黒鉄重工

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博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第6夜

2021-08-21 22:36:29 | 旅行・イベント記
前回に続いてジーライオンミュージアム収蔵のアメ車を見ていきます。


前回紹介したハドソン・7パッセンジャーとスチュードベーカー・コマンダー8コマンダーのグリルには、これ見よがしに「8」の数字がグリルに意匠としてあります。8気筒車はステータスだった時代だったのかもしれないです。


これも前回書いたスチュードベーカー・アースキンモデル50、フォード・モデルAA、フォード・モデルTT。


フォード・モデルAのロードスターだと思います。こういうロードスターはよくホットロッドのベース車に使われていたので、原型を維持している車両は実は貴重なのだ。まあこれが原型なのかホットロッドから復元したのか、見ただけでは判別できませんが。
ちなみにモデルTのロードスターやV8を搭載したモデル18のロードスターも同じような目に遭っているので、もはや宿命なんですかね。


1941(昭和26)年式キャデラック・モデル61です。御存知高級車メーカーのキャデラックです。キャディがお好き?結構。ではますm(ry


1941年にもなると流線型ブームは大衆に受け入れられて、キャデラックでもそれを採用していますね。今見てもオラついてるなぁっていう顔つきです。


はい、これすき。フォード・デラックスです。たぶん1939(昭和14)年式。
1930年代後半から流線型の概念が自動車のデザインにも取り入れられたんですが、その黎明期に登場したこのフォード・デラックスやリンカーン・ゼファーはドンピシャどストライクで好きな自動車です。
フェンダーの張り出た従来のボディから現代の箱型へ移行する過渡期なのもあり、従来型ボディとしてはかなり洗練されてきているのも魅力です。


バッジがおされ。


フォードとキャデラック。


ビュイック・エイト。1942(昭和17)年登場の2代目で、4ドアセダンですかね。
1942年登場ながら、当時は戦争真っ最中でしたので統制が入り同年に生産中止。戦後の1946年から生産を再開しました。この個体も戦後型じゃないかな?


1938(昭和13)年式ハドソン。流線型が勃興した時期ですが、準流線型とでも言うべきやや保守的なボディで登場しました。ただ縦長ヘッドライトはハドソンのトレードマークだったらしく、これにも採用されています。


1938(昭和13)年式パッカード・モデル120。リンカーン、キャデラックと並ぶアメ車高級車メーカーの一角。今は消滅してしまったけど...。
ホイールベース120inch (3,048mm)なのが車名の由来だとかで。


アメ車館は以上。やはり楽しいところですなぁ。ハドソンとかスチュードベーカーとかは正直知らんかったので、新しい発見もありました。


次はイギリス車館です。イギリス車もブリティッシュ・レイランドが出てくるまではなんだか楽しそうな車ばかり作っていましたな、というのがなんとなくな印象です。ただここに収蔵されているのはだいたいロールスロイスなんですが。


トライアンフ・タイガー100。二輪はさっぱりなんだ・・・。


ロールスロイスのなにかです。


1961(昭和36)年式ビュイック・ル・セイバーです。これは1961~1964年に生産されていた2代目の2ドアコンバーチブルです。


この頃の車の内装、赤一色や青一色みたいな目が疲れそうなものが多いです。


1910(明治43)年式のビュイック・10サレー。またT型フォードかと思いきや、グリルの切り抜き文字がビュイックなのでした。
製造当時から白の塗装が純正であったみたいです。当時に白い車というのはあんまり聞いたことがなくて、たぶん珍しかったんじゃないですかね。


古式ゆかしい車で良いなと思いました。

というところで今日はここまで。

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博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第5夜

2021-08-16 18:42:00 | 旅行・イベント記
ジーライオンミュージアム本館の続きです。前回も書きましたけど、元々小さめの倉庫が何棟かあるところを再活用した施設なので、館内も複数の倉庫があります。倉庫ごとにその自動車の生産国が分かれていて、最初の倉庫は自動車黎明期と日本車です。


マツダ・コスモスポーツです。1967(昭和42)年登場。世界で初めて、多気筒で実用的で量産されたロータリーエンジンを搭載した自動車です。なおこういう妙な肩書の時はたいてい先駆者がいるので注意。本当の意味で世界初はNSUヴァンケルというドイツのメーカーのヴァンケルスパイダーという車です。なお課題山積だった模様。


コスモスポーツについては、なんだかウルトラマンやエヴァンゲリオンでその姿を見ることができるらしいよ、というくらいのことしか知らないので多くは語れません。
ただ実物を見るのは初めてですね。


クーペなんですね、というかんじ。


マツダ・ルーチェ(初代SUA/SUAV/SVA型)です。1966(昭和41)年登場の4ドアセダンです。実物見るまで存在を知りませんでした。


フェラーリ・ディーノ。1967(昭和42)年登場のミッドシップ2人乗りスポーツカーです。フェラーリ、他に適した置き場所がなかったのかしら。
ディーノには206型と246型の2種類があるみたいなんですけど、どっちかは分かりませぬ。日本へ輸入されたのは246型の方が多いので、確率的には246型だと思いますが・・・。


1968(昭和43)年式のアルピーヌ・A110です。アルピーヌはフランスのメーカーで、今はルノーの傘下です。当時にしては顔立ちが濃いかなあという気がします。まあこれも全く知りません。


御存知、1969年式トヨタ・2000GTです。1967(昭和43)年登場したトヨタとヤマハが共同開発したスポーツカーです。当時の高級車のアイコンみたいなポジションにいますよね。
どうやらこれは2台共後期型のようです。フォグランプが小さくなっているのが見分けるポイントだとかで。


こちらも御存知、日産・スカイラインGT-R(KPGC系)です。1969(昭和44)年登場のいわゆるハコスカですね。極稀に道端で見かけることもあったと思いますが、まじまじと見るのは初めてでしょうねえ。
グリルのバッジと拡大されたリアフェンダーがGT-Rであることを主張していますけども、ぱっと見は不通のハードトップクーペなのだろうというおとなしい外観からのギャップ萌えがミソなのかもしれないです。


プリンス・スカイラインスポーツです。1962(昭和37)年登場した日本初のスペシャリティカーと言われとるやつです。
値段が高いのとスペシャリティカー文化が日本ではまだ浅かったので、たったの60台くらいしか生産されなかったらしいです。



まあなんと言ってもこの顔つきでありますが・・・。ツリ目ヘッドライトにクソデカグリルというのは斬新でありましたでしょう。後のグラチャン族の車にこういうツリ目ヘッドライトがありましたけど、元ネタになっているのかしら。というか今に続くオラオラ顔の元祖か?


隣の倉庫に移って、次はアメリカ車館です。日本車は1960年代以降の車種ばかりでしたが、アメ車だとさすが1910年代からの車両が展示されています。


フォード・モデルTTです。1917(大正6)年登場のトラックです。例のT型フォードの貨物版です。
モデルTのシャーシを元に、骨格強化、ホイールベース延長、ギヤ比変更、リアサス強化などのトラックとして使うための設計変更がされています。
荷台の種類は色々あるようですが、この個体は木枠の柵を付けたステークベッドという種類ですね。


1927(昭和2)年登場のフォード・モデルA。モデルTの次に登場したやつですな。


1928(昭和3)年式のスチュードベーカー・アースキンモデル50。
ヨーロッパ向けの小型車として売り出しましたが、あんま売れなかったようです。

ダッジ・1931年式クーペ。


シボレーのクーペだと思いますけど、手がかりが少ないのでなんとも言えませぬ。


1932(昭和7)年式ハドソン・エイト。縦長のヘッドライトが個性を出している感じ。


1947(昭和22)年式インディアン・チーフ1200。すまねえ二輪はさっぱりなんだ。


1923(大正11)年式ハドソン・7パッセンジャー。7人乗りということでこの頃にしては大きめの車体してます。エンジンは水冷直8で、8気筒の大排気量エンジンを搭載しているのがハドソンの強みの時代もありました。


1929(昭和4)年式スチュードベーカー・コマンダー8。コマンダーは元々6直エンジン車でしたが、1929年から加わったのが8気筒エンジン車でした。

というところで今日はここまで。

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北陸project ~Hokuriku Master Side M. その30【2018/4/28~5/3】

2021-08-08 19:56:49 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)13時18分
京都府京都市左京区 叡山電鉄鞍馬駅
第35走者:叡山電鉄鞍馬線「きらら」出町柳行(900系)鞍馬13:19→修学院13:43
鞍馬山を降ります。帰りの電車も「きらら」でした。


発車直前でもう座れんかったので立って前面展望を楽しみます。鞍馬線もなかなかエグい勾配を進んでいきますね。このあたりの区間は土砂崩れでよく不通になるんだそうです。全線乗れるとは良い時期に来たのかも知れないです。


800系と列車交換。800系はいかにも中小電鉄的な電車です。


八幡前駅のHATO EKICHO。じわじわくる。


ゆるキャンスタンプラリーの最後のスタンプを回収すべく修学院駅で下車。
700系が停まっていたのでついでに撮影。


修学院駅には叡電の車庫があって、そこの事務所内にスタンプが置かれています。これでできた。
あとは出町柳駅で景品と引き換えてもらいます。


第36走者:叡山電鉄叡山本線出町柳行(700系)修学院13:51→出町柳13:58
次の電車で出町柳駅へ戻ります。既に14時前でちょっと時間推してるので、聖地巡礼は省略です。


さっきも見たゆるキャン装飾をした700系がまだ停まっていたので、未撮影だった八瀬比叡山口寄りの先頭をば。


ヘッドマークです。絵柄は特に見新しいところなし。


あきちゃん。


昼飯は駅前のロッテリアで。地元だと食べる機会がないしな。
あと景品は入手できました。缶バッジでしたね。


同日14時23分
京都府京都市左京区 叡山電鉄出町柳駅
そいでは今度は比叡山に登るべく再び叡山電鉄へ。


!?
なんだあれは...。


わぁー、やっぱすごいなあの輪っか。


これが叡電の誇る最新鋭観光列車700系「ひえい」である!
経年の増えてきた700系の延命工事ついでに車体を改造して観光列車に仕立てたものです。
前面に楕円の円環体をくっつけた鉄道車両の常識を外れた外装が「なんじゃこりゃ」と感じさせます。よく見ると700系独特のくさび形の前面形状がわかるんですけど、ぱっと見は円環がまず目に入ってきてしまうので分からんですね。


第37走者:叡山電鉄本線八瀬比叡山口行「ひえい」(700系)出町柳14:37→八瀬比叡山口14:51
駅に着くと誰もが写真を撮ります。そらそうよ。
これに乗ります。別に興味なかったんですが、たまたま乗れてしまいました。ラッキー。



乗り込みます。意外にも混んでいませんでした。観光列車としては珍しいロングシートです。種車が元々ロングシートだったというのもありますけども。
とにかく楕円がこの車の設計概念なのだ、というのが感じられるくらいに社内も楕円が目に入ります。側窓は楕円だらけだし座席の手すりも楕円です。つり革の持ち手も楕円にしてくれれば。


終点についてみんな降りた後に車内を一瞬撮影。座席の幅はたぶん標準的な通勤電車よりも若干広い印象でした。
側窓の間には枕が付いているハイバックシートです。これは人間の頭を窓から外すことで車窓を遮られないための工夫だと思われ。


たった15分足らず、片道だけの乗車じゃ短すぎる気がしました。また乗ってみたいところです。
八瀬比叡山口の駅ホームは開放感あって良いですね。高くて広い屋根はなんだかヨーロッパ的です。


出町柳行で折り返していった「ひえい」を後追いで撮影。さよーならー。

というところで今日はここまで。次回は比叡山に挑みます。


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北陸project ~Hokuriku Master Side M. その29【2018/4/28~5/3】

2021-08-03 23:18:41 | 旅行・イベント記
2018年5月3日(木・祝)12時3分
京都府京都市左京区 叡山電鉄鞍馬駅
叡電鞍馬線の終点、鞍馬駅に着きました。終点に着く手前の貴船口駅にはどえらい数の乗客が山を下る列車を待っていましたが、あれと一緒になるのはゴメンだと思いました。


鞍馬駅でゆるキャンスタンプラリーの2つ目を手に入れいました。駅には志摩リンのポップがありました。


駅の待合室は古風にまとめられています。


駅の外に出ると、電車の生首がいます。これは京都電燈デナ21形です。京都電燈というのは、叡山電鉄の前身の会社です。
1928(昭和3)年製造の電車で、鞍馬線開業用に製造されました。なお就役は翌年8月です。1994(平成6)年まで実に65年間活躍した後、前頭部カットモデルのだるまとしてここに保存されています。
デナという型式ですが、デは電動車というのは想像つくもののナが分かりませんでした。鉄道省の客車の重量区分なのかと思いましたけども、調べると車体の大きさなんだそうな。ナというのは中型車(ナカガタ)という意味です。


たぶんデナ21形の車輪です。


駅前名物天狗のお面。大層ご立派なお鼻だこと。



鞍馬寺の門前駅なわけで駅前から伸びるのは門前町とでも言うべきなんでしょうが、ちょっと短いかな。


そういうわけで鞍馬寺へ。勝山の某寺と違ってこっちは盛況です。
これは山門です。

鞍馬寺についてはあまり書けることがないので流していく感じで。


普明殿という建物。休憩所ですかね。


鞍馬寺参拝とはこれすなわちちょっとした登山なので登りはしんどいのですが、ケーブルカーが敷かれているのでズルすることが可能。もちろん拝観料に加えて乗車賃も掛かるわけですが、体力と時間を温存できるならアリです。
乗った搬器は牛若號IVでした。IからIIIもいたんですかね。



山頂駅に着きました。混んでいたので車窓を見る余裕なしでした。搬器はまあ何の変哲もありませんでした。


とはいえ、まだまだ登るんですけどね。


結構登らされました。


道中色々すっ飛ばして登ってきたような気がしますが本殿に着きました。やれやれ。


本坊(金剛寿命院)という建物。要はお寺の事務所。


奥の院参道をまた登りますか・・・。ここでワイ選手、引き返すことに。本殿見たしいいでしょ、うん。


今度は下っていく模様。石垣の擁壁はなんだか年代物っぽいです。


中門です。帰りはケーブルカーには乗らないで歩いて鞍馬駅まで戻ります。


山内にある由岐神社 。


屋根にびっしりコケ生えているけど、屋根張り替えないんですかねぇ?という気持ちで撮っていたと思われ。


山中にある神社の場合、あんまり朱色を全面に出していない神社のほうが落ち着きあるので好きかも。


門前町へ戻ってきました。ぐへぇ。

というところで今日はここまで。


その30へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第4夜

2021-07-18 19:06:26 | 旅行・イベント記
2020年11月3日(火・祝)12時52分
大阪府大阪市港区 ジーライオンミュージアム

[Ex編最終夜はこちら]
サイコロの旅に勝って晴れて自由の身を手にした後に行ったのが「ジーライオンミュージアム」というビンテージカー、クラシックカーのショールームです。
ここにはどうやらアメ車がたくさんあるらしい、ということで以前より目をつけていたところでした。大阪市内で丸一日暇になってしまった今ころ行く機会です。
本編では尺が長くなると中の様子をほとんどカットしましたが、落穂拾い編ではもうちょい尺を取って見ていきましょうかね。というか毎度おなじみ、尺が長すぎ黒鉄重工の博物館見学記です。


一番初めに目に入ったのがまずこれですからね。
本編でもちらっと書きましたが、シボレー・ベルエアーの初代(たぶん1954年式)です。50年代アメ車代表のひとつですな。とてもイカした車だと思います。


後輪は全て覆いが被せられていて、全体的に張り出したフェンダーや控えめながらテールフィンとの一体感がよく主張されています。


この頃のアメ車は座席からダッシュボードからみんなボディと同じ色に設定されていますよね。特に赤なんかだと目が疲れそうなものです。


シボレー・フリートライン(たぶん1949年式)です。2ドアセダンでスポーツっぽい車です。


後ろはファストバックスタイルでぬるんとしたボディ形状が良い。ファストバックはえっちだなあ。


GMC・サバンナ(初代;1996~2002年)。大型の商用バンで、シボレー・エクスプレスの兄弟車です。1990年代のアストロブームの時に一緒に輸入されたのかな?


オークランド・シックス・モデル212オールアメリカン・4ドアセダン(たぶん1929年式)
オークランドという自動車会社が1907年に創業されにけり。1909年にGMの傘下に入っています。この頃のGMにはまだシボレーブランドは無かったので、オークランドはGMのエントリーブランドの地位に置かれました。シボレーがGMに加わると、オークランドはシボレーとオールズモビルの中間のブランドになりましたが、オークランドのサブブランドとして1925年に立ち上げたビュイックが人気でオークランドを追い抜いていったので、1931年にオークランドは廃止されました。


シックスは1913~1929年まで生産されていた乗用車で、車名は6気筒エンジンに由来します。
1928年にホイールベースを117inchに拡大したモデル212オールアメリカンというモデルだと思います。たぶん。


密閉式のセダンボディですな。丸いバックウィンドウがおしゃれか。


ロールスロイス・ファントムVI。たぶん。クソ重そう。



倉庫を改装した本館の中へ入ります。本館は小さな倉庫が数棟あるような感じで、倉庫の棟ごとに展示している車の国も違うという展示をしています。入館して最初の棟は、自動車黎明期と日本車の展示です。


まずは自動車の生まれる前、自動車の起源からということで馬車から。馬車はもちろんのことお馬さんの模型もあるのでわかりやすいです。


馬と馬車の連結もいろいろな工夫が積み上がっているんだろうなぁと思いますが見ただけでは分からず。そもそも本邦、馬車文化があまり無いですしね。


こちらが馬車。フランスのトゥールーズのコーチビルダーでだいたい150年前に造られた個体で、南仏ラングドック地方で使われていたそうな。


自動車にしろ鉄道の客車にしろ、馬車で培われた技術が土台としてあるので、これを持っていたヨーロッパ人はそれらの開発においてそりゃ強いよなっていう。


板バネとか使っていますし、後の自動車と大差ない足回りではないでしょうかね。


ブレーキも付いているんですなぁ。


馬車の技術を使ったイギリスの乳母車。足回りが馬車に似ているみたい。


車輪そんなに大きくしないとだめなのかしら。


バネの形状が凝っていますな。籠の形状に溶け込むような形になっているのが良いです。


なるほどな~(よく分かっていない)


謎自動車。たぶん電気自動車だと思います。電気自動車は簡単に起動や運転ができるとして女性からの支持があったと言われています。


自走式馬車みたいな車体なのが興味深いです。馬がいない分、衝突安全性は皆無なんですが、そういう思想は当時はなかったでしょうし。運転するにしてもちょっとした冒険だったのでは。
・・・とここまで書いておいて、実はただの馬車かも知れない・・・と予防線を張っておきます。


御存知フォード・モデルT(1923年式)。
1923年はモデルTの絶頂期で、年間生産台数が史上最高の2,055,300台を記録しました。以降は衰退期に入ります。
約20年間モデルチェンジしないまま売れ続けたと言われていますが、マイナーチェンジ相当の改良はしばしば行われていて、初期型と末期型では結構印象違います。ボンネットなんかはわかりやすいですかね。
ボディは、2人乗りオープンカーのラナバウト仕様。色々なボディ種類の中で一番安い仕様です。

というところで今日はここまで。どうもこの調子じゃ長くなりそうだなぁ。


第5夜へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第3夜

2021-07-17 23:51:30 | 旅行・イベント記
2020年11月1日(日)14時27分
鳥取県八頭郡智頭町 智頭急行恋山形駅
津山駅から鳥取駅へ向かう途中、智頭急行の普通列車に乗りました。その時停まったのが「恋山形駅」です。全国津々浦々に存在する縁結び駅のひとつで、智頭急行も数年前にこの駅を全身ピンク色に改装して縁結びアピールを全面に打ち出しています。
さらに土休日は、ここに止まる列車のうち1往復は25分間のバカ停をして列車で駅を訪ねやすいようにしています(この駅に来る人のほとんどは自動車でしょう)。我々の乗った列車はちょうどそれに当たったのでした。
色恋沙汰に縁遠い人生を送ってきたわけですが、バカ停されると降りざるを得ないわけで、いざ外へ出たのです。


ここが恋山形駅縁結びスポットの爆心地だ。
ハート型の絵馬を買ってこの社に吊り下げると恋が叶うらしいよ。屋根からぶら下がっている鐘を鳴らすと効果倍増。


駅名標もクソデカハート型。距離が取れなくて端が見切れるっていうね。


智頭急行の鉄道むすめ、宮本えりお嬢がおりました。初出時は結構人気あった記憶。制服がスカートだからなのもあるか?


めっちゃピンク。
無人駅で、駅舎もありませぬ。駅の至近に集落があるわけでもないので普段の乗降人数は一桁台だそうな。
ここは智頭町の山形集落の近くにあるんですが、「山形に来い」という意味を込めて「恋山形」になったそうです。来いが恋になった経緯はざっと探しても見当たらないですね。当て字かな?


恋ポストなる郵便ポスト。普通の丸ポストに見えて、なんだか微妙に形が違いますね。"帽子"のような形状がないです。
いわゆる丸型ポストというのは1949(昭和24)年から設置が始まった郵便差出箱1号丸型というやつです。それ以外の局地型の変わり種か、戦前からの生き残りなのか、あるいは恋ポスト設置に際して作り起こされた新品なのか。
ちなみにこれは智頭急行私設のポストで、郵便局の管轄する郵便ポストではありませぬ。
ここに投函した郵便物は限定の風景印を押されて配送されます。


小屋と自動販売機が設置されています。たぶん以前は駅のホームだけの簡素な無人駅だったと思いますが、ラブリーピンク作戦の一環で置かれるようになったのかも知れません。
飲み物を売っているのはきっとついでで、この自販機の本命は右上にある絵馬です。1枚430円也。あとは駅名標のキーホルダーも売っていますね。


宮本えりおの絵が全身ぶち抜きで描かれています。これは貴重なMATSUDA98絵です。両手に何か持っているような恰好なので汎用性が高く、色々な場所で色々なものを持った姿を見かけることができます。

恋山形駅はここまで。


2020年11月1日(日)15時46分
鳥取県鳥取市 JR鳥取駅
所変わって鳥取駅。「因幡の麒麟獅子舞」 というすげー面白い石像がありんぬ。この獅子舞は2人で演じるもので、前の人が被っている獅子の頭はご立派。


で、こいつだ。
何だお前。お尻から顔だけ出して。顔の前にある棒みたいなのは何なの。笑わしに来てるよね。


真顔なのがむかつく~。


オデコとアゴがちゃんと抜けているところがグッド。


後ろを見るとその面白ぶりとは裏腹にきつい体勢を取っているのが分かります。ガニ股で立っているし、腕もたぶん肘まで伸ばしているんでしょう。


石像の上に座りたいどころか寝そべってみたいくらいです、この広さ。酔っ払いが寝ていたなんてことは過去に何回かあったんじゃないか?
サイコロの旅で見てきた銅像石像の中でこれが一等賞でした。おめでとう。

これで2日目終了。


2020年11月2日(月)9時3分
徳島県徳島市 JR徳島駅
最終日の朝、雨の徳島駅。
留置線にはこの後特急「うずしお」8号になる2600系が待機中です。JR四国の次世代気動車特急として活躍が約束されているかと思ったら、空気ばねを使った車体傾斜装置は土讃線の線路事情には適応できないということが分かり、その座から転落してしまった悲運の気動車。数台造られただけで製造は打ち切られてしまいました。それでも今は車体傾斜装置でも問題なく走れるという高徳線でブイブイいわせてます。
振り子装置を採用して主力の座を射止めた2700系とは車体断面と塗装が少し違っていて、なんだか穏やかな印象を持ちます。


徳島駅は、駅の構内に車両基地が併設されている駅です。駅にいながら車両基地で寝ている車両や入換の様子を見ることができてとても楽しいです。かつて四国には徳島駅の他にも高知駅と松山駅も同様の配線をしていましたが、どちらも駅の高架化により郊外に移転されてしまい過去のものです。
しかし徳島駅も高架化事業の話が進んでいるみたいで、まだ具体的な完了時期は未定なものの計画はいずれ実行される模様。この光景もいずれ過去帳入りすると思います。


1200形と1500形は出払っているみたいで、キハ40系だらけですね。四国キハ40系の最後の楽園です。


UZUSHIO
いつの間にか四国で勢力を広げているJR四国の放った妖精「すまいるえきちゃん」「れっちゃくん」。かわいさ全振りです。これがJR公式ゆるきゃらなのだ。ちなみに私は結構好き。ファンといっていい。


1200形の2両編成。車体の緑はすだちの色を表しているらしい、たぶん、知らんけど。
なお徳島県内ですだちとかぼすを間違えると鳴門の渦潮の中に放り込まれてわかめの養分にされるぞ、知らんけど。


2600系のヘッドマーク。8600系ともども今どき珍しくヘッドマーク付きなのがなんとも嬉しい。しかしフルカラーLEDにしてやるほどのお金は無かったのかも知れない・・・。でも視認性は意外と高いですけどね。


連結面のステッカー。2700系とは違うものです。


高松駅にて。いつ見ても体格差すげえなコンビでした。

これで最終日も終了。
というところで今日はここまで。次回から自動車博物館編です。


第4夜へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その28【2018/4/28~5/3】

2021-07-14 21:34:00 | 旅行・イベント記
2018年5月4日(木・祝)7時46分
京都府舞鶴市 舞鶴市内
ゴールデンウィークの旅行もこれで6日目です。ZBSとは昨日のうちに別れたので、今日は単独行動です。
昨日は舞鶴に泊まったはいいもののその後どうするかは直前まで決めていませんでした。結局京都市内に出て電車を乗り継ぐことにしました。だったら昨日のうちに京都市まで出てもよかったかも知れませんけどね。でも今の京都市内のホテルはどこも値段が高そうだ。
朝ごはんも食べずに7時半にはホテルを後にするようにして、東舞鶴駅へ歩いていきます。その途中にあったのは、八千代会館という映画館。昔ながらの映画館という感じです。静岡市にもかつてはこういう映画館が何軒か並んでましたけど、みんな解体されてしまったなと少し思い出しました。


こういう掲出も懐かしみが。
この頃は名探偵コナンゼロの執行人が絶賛上映中でした。これは面白かったね。土休日は朝8時から上映開始って初めて見たな。舞鶴市民の朝は早い。
昔の映画館って入れ替え制じゃなかったのでその気になれば1回分のチケットで何周も観れたんですよね。今はそんな放漫経営できんでしょうから、昔からの映画館でも入れ替え制になっていると思いますけど。


東舞鶴駅へ着きました。今日もどんよりとした天気です。京都市へ行けば好転することを期待しよう。


難波行の京都交通の高速バスが出発準備をしていました。ふそう・エアロエース(#806)でした。後ろには続行でいすゞ・ガーラもいました。



東舞鶴駅からは特急に乗るので、入場前に特急券を購入しました。乗車券は、金沢~静岡通しの切符を使います。
この乗車券を買う時、途中で敦賀~小浜線・舞鶴線・山陰本線~京都という経由をするのを説明しても駅員氏が初め理解してくれなかったですが、まあそりゃそうだよなって感じでした。長距離乗車券の途中下車制度って、一筆書きの周遊旅行的な使い方を想定した制度設計では本来ないと思うんですけどね。それでも制度上は問題ないし運賃も安いので利用させてもらう。


ホームの端で福知山から送り込まれてきたと思われる287系を迎撃。485系の正常進化系みたいな顔つきが良いですが、いささかあっさりしすぎなきらいもあります。ヘッドマークを付けてほしかった。


第30走者:舞鶴線・山陰本線特急「まいづる」4号京都行(287系)東舞鶴8:24→京都10:07
始発駅だからとケチって自由席車を選びました。しかし駅の端で電車を撮ったということは乗車待ち列から棄権することを意味します。電車が来る直前になるとそこそこ人が並んでいてちょっと心配になりましたが、結局無事に窓側の席に座ることができました。
乗車中は妙に落ち着かなかったんですが、思い出してみるとJR西日本の特急電車に乗ったのはこれが初めてなんじゃないかと思います(国鉄型と気動車特急には乗ったことあり)。


同日10時10分
京都府京都市下京区 JR京都駅
はい京都駅。


乗り方と路線図がよく分からないのと道路渋滞ですごい遅れそうというイメージしか無いのであんまり乗りたいなと思わない京都市交通局のバス。これは日野・ブルーリボンシティハイブリッド(#2663)でした。
この後は地下鉄烏丸線に乗ります。


第31走者:京都市営地下鉄烏丸線国際会館行(3220系)京都10:43→三条10:48
第32走者:京都市営地下鉄東西線六地蔵行(50系)烏丸御池10:53→三条京阪10:56
三条駅の壁に描かれていた電車の絵。こんな電車いたか?とおもいましたが、京都美術工芸大学の学生の作品のようですね。


第33走者:京阪鴨東線臨時快特「洛楽」出町柳行(3000系)三条11:08→出町柳11:11
三条からは京阪電車に乗り換え。たまたま、最近登場した臨時の観光列車「洛楽」に当たりました。イカスヘッドマークを付けていて素敵。LED画面のヘッドマークなのを活かして動いたり光ったりするらしいです。


同日11時17分
京都府京都市左京区 叡山電鉄出町柳駅
出町柳駅からは叡山電鉄に乗り換えます。この後の動きは、鞍馬山を登って降りてきて、次は比叡山に登って滋賀県側に抜けていくというものです。叡電をフル活用させてもらいます。


叡電の観光列車「きらら」と漫画雑誌「まんがタイムきらら」と名前が同じという理由で近年はやたらきらら作品とコラボしまくっている叡山電鉄です。ただこれは、「けいおん!」の劇中に叡山電鉄が登場した繋がりでコラボしたら好評だったから、この先もオタクを引き寄せるためにどうにか「きらら」繋がりでこじつけたんだと個人的には思っています・・・。
この時は「NEW GAME!」の等身大パネルが置いてありました。頑張るぞいで全国的に知られる主人公の涼風青葉がおりました。


この前テレビアニメが放送されたばかりの「ゆるキャン」の各務ヶ原なでしこパネルもありました。叡電とのコラボパネルになってますけど、なでしこの絵自体は汎用ですかね、これ。



なでしこの奥の掲示板を見てみると・・・。スタンプラリーをやっているんだそうな!集めるのは簡単そうなので乗っかることに。


スタンプ台紙をもらいました。ひとつ目は出町柳駅で押せるので、実質2箇所行けば完了ですな。残りは修学院駅と鞍馬駅です。


さらにちょうどゆるキャンヘッドマークを付けた700系も停まっていました。


本栖湖と富士山が背景のキービジュアルの絵柄でした。


戸袋にもフィルムが貼られていました。


ドアの注意喚起ステッカーにも。これは斉藤恵那です。他の扉にも各キャラが貼られているんでしょうな。


第34走者:叡山電鉄鞍馬線「きらら」鞍馬行(900系)出町柳11:30→鞍馬12:01
次の鞍馬行の電車はちょうど900系「きらら」でした。鞍馬線用の観光列車で、天地を拡大した大きな窓が特徴です。それでいながら直線的で角張った車体が電車然としていて良いです。


車内は1+2列のクロスシートです。2列シートの一部は伊豆急行の「リゾート21」のように席が窓の外を向いています。沿線の紅葉の車窓を堪能できる作りになっています。
私はボッチなのでおとなしく1列席に座りました。


途中の車窓はこんな感じ。この時期は新緑の紅葉の葉です。秋に乗ってみたいものですが、混雑もすごそうで、立ち乗りになったら外が見えないんじゃないかと思い躊躇します。

というところで今日はここまで。


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北陸project ~Hokuriku Master Side M. その27【2018/4/28~5/3】

2021-07-11 21:31:22 | 旅行・イベント記
2018年5月2日(水)15時29分
京都府福知山市 某所
加悦SL広場から撤収して、豊岡駅方面へ向かいます。ZBSを駅へ捨てていくためです。
その途中の通り道と言うか少し遠回りして寄ったのが、阪急2800系の静態保存車です。国道沿いにあります。
ネットに転がっている写真を見てみると塗装が傷んでいるのですが、今日は雨だったので濡れた車体がそれを隠してくれました。


同日16時33分
兵庫県但馬市 但馬空港
阪急電車からさらに車を走らせること1時間。着いたのは豊岡駅じゃなくて但馬空港でした。まだもう1箇所くらい寄り道できる時間があったものでね。
但馬空港というのは実は通称で、正式名称は但馬飛行場。その慎ましやかな名前から察せるとおり、小さな空港、もとい飛行場です。滑走路は1,200mが1本です。これだとたぶんプロペラの小型旅客機しか離着陸できんと思う。
路線は但馬~伊丹線が1日2往復だけです。しかも朝と夕方しか飛んでこないので、今の時間では何もいないっていう・・・。
空港の建物に「羽田まで2時間!」と書いてありますけど、あれ羽田線就航を目指すためのスローガンみたいなものです。誤認表示にならないのかあれ。


建物の隣を見てみれば、飛行機が静態保存されているじゃないですか!あ、これは知らなかったですね。


日本航空機製造YS-11A-500R (JA8734)です。御存知今の所唯一の日本製旅客機です。でもこの肩書は今後も長い間続きそうね。


JA8734はエアーニッポンの機材でした。塗装を見ての通りANAグループの航空会社で、国内ローカル線担当でした。
機材の退役後1999(平成11)年12月に但馬空港まで自力で飛行してやってきた後にここで保存されたそうな。
アメリカじゃそういう事はよく聞きますが、日本だと同じような事例は少ないんじゃないかしら(自衛隊機はともかく)。


ロールスロイス・ダートMk543-10Kターボプロップエンジンですね。


本邦、YS-11の保存に手を焼くようなこともある状態なので、よく20年間も保存を維持しているものだと思います。
双発ターボプロップ機といっても、置物としてみたら大きい方ですからね。


尾翼。





なんともう1機いました。エアロコマンダー680FL (JA5197)です。日本の保存航空機の中では意外と複数機が現存しているエアロコマンダーです。
680FL型は、シリーズの決定版680F型の胴体を延長して10人乗りのコミューター機としたものです。680FL型を導入したのはこの共立航空の1機だけで、それがここに保存されているというわけです。
ただ共立航空の機材ということで旅客機ではなくて航空写真の撮影用として使われていました。なお共立航空は中古機として購入していて、新造時はアメリカの個人が所有していたそうな。1998(平成10)年9月に退役して、やはり自力飛行して但馬空港までやって来ました。


言われてみると確かに今まで見てきたエアロコマンダーよりも胴体が長い気がする。


これは川崎重工が開発した兵庫県の極秘戦略兵器「はばタン」の試作2号機(1号機は現在も六甲山の大深度地下基地に配備されているという噂がある)です。マッハ5で巡航飛行することができ、15Gまでの高機動も可能。
無尾翼かつ前進翼という独創的な翼配置で、胴体のリフティングボディのおかげで超音速時でも揚力を生み出しています。黄色い塗装はステルス性が高く、機首にある目のような銃口から発射する2門のレーザー光線により遠くの対象物も一瞬のうちに破壊できます。コックピットは見当たらないので遠隔操作する無人航空機だと推測できます。
2006(平成18)年に試作機2機が製作され、ゆくゆくは紛争中の大阪民国に対する戦略兵器としての活躍に期待が掛けられていましたが、神戸空港の経営不振に足を引っ張られる形で予算が凍結されて開発中止になりました。


ターミナルビルの中へ。ここも相応の小ささですね。


天井に謎の水上機が。説明板によれば三菱MC-1型なんだそうな。乗員2名、乗客5名乗りの旅客機です。
1928(昭和3)年に製作されて、初めは陸上機として航空会社の定期便に使われていました。その後1931(昭和6)年に水上機に改造されて日本海航空の定期便と遊覧飛行に使われるようになりました。

日本海航空は1931(昭和6)年設立の城崎を拠点にした航空会社です。これは1925(大正14)年に発生した北但馬地震に対する復興策の側面がありました。創業時に購入した航空機がこのMC-1で、城崎1号という名前を付けていました。
初めは天橋立への遊覧飛行を事業にしていましたが、翌年には定期路線事業へ進出、城崎~天橋立線を皮切りに鳥取、大阪、松江へも進出。機材数は5機に増えました。
日本海航空はこのまま拡大を続けるかと思いきや、強制イベント日中戦争と太平洋戦争により統制が強くなり1938(昭和13)年に飛行中止に。最終的には1940(昭和15)年に会社解散となってしまいました。悲しい最後だ。
しかし事業をしている間の人身事故は0件で、黎明期の民間航空事業としては誇るべき数字だと思います。


この機体の出自については空港内では何も説明を見つけられませんでしたが、まあ機体の製造時期から見て十中八九レプリカだと思います。とはいえよくできたもので、本物そっくりのように思えます。縮尺が原寸大なのかは比較対象が近くに無いのでなんともですが、7名乗りの飛行機にしては小さいような気がするので縮小を掛けているかも知れないです。
震災復興の町おこしのために飛行機で遊覧飛行するという考えをぶち上げたのは当時では奇想天外な考えだったのではないでしょうか。当時の航空産業はまだベンチャー事業のようなものでしたし。


2階からの方がよく見ることができました。操縦士は天井の席に座るのか。客室は胴体前方にありますね。そのすぐ前にエンジンがありにけり。


日本エアコミューターの新機材、ATR42-600が但馬空港にもやってくるそうな。ATRというと、某航空事故調査番組でよく墜落しているので、あんまり良いイメージが無い・・・。ただこの規模の小型プロペラ旅客機は事実上ATRの独占状態なので選択肢がないようなものなんですけどね。
ということは今就航しているサーブは退役してしまうのです。しかしさっきも書いたとおり時間が合わないので、無念の撤収です。

冷やかしのつもりで訪ねた但馬空港でしたが、実機やレプリカも飛行機が展示されているのが楽しい空港でした。意外と飛行機好きに嬉しいところです。


この後は豊岡駅へ行ってZBSを捨てていきました。ZBSがこの後乗った大阪行特急「はまかぜ」はデッキに立ち席が出る混雑でひどい目にあったらしい。
私はと言うと豊岡から舞鶴までレンタカーを返却しに戻ります。但馬地方の下路を2時間くらい走りました。楽しかったよ。で、無事時間内に返却完了。

歩いてホテルまで戻って荷物をおいた後に、ホテルの近くで夕飯を食べることに。昨日行きそびれたラーメン屋にしました。


ラーメン餃子炒飯セットにしました。豚骨醤油的ラーメンでおいしゅうございました。

この日はこれで終了。明日はついに最終日です。


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博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第2夜

2021-07-04 20:15:54 | 旅行・イベント記
2020年11月1日(日)8時10分
山口県山口市 JR新山口駅
2日目の朝、新山口駅からのスタートです。駅前のモニュメントのひとつがD51の動輪を使った碑です。
山陽新幹線開通記念の碑で、1975(昭和50)年に建てられたんだと思います。石板には小郡駅とか日本国有鉄道とか、当時を感じさせる言葉が連なっていました。
動輪はD51形797号機のもの。当機の経歴も簡単に記載されていました。ロッドの位置が下にあるのが高得点です。


2020年11月1日(日)11時18分
岡山県津山市 JR津山駅
駅前で静態保存されているC11形180号機の後ろ姿はこんな感じ。


本編ではばっさりカットした「津山まなびの鉄道館」を取り上げようと思います。旧津山機関区の跡地を転用したところで、転車台と扇形車庫と13台の鉄道車両が保存されています。


キハ33形1001号。余った50系客車にエンジンと運転台を載せて気動車化したもの。ただし2台しか造られませんでした。なぜか中間車のオハ50を種車にして改造したので改造費が高く付いたのと、明確な基本概念がないまま改造したような中途半端な仕様に仕上がって使い所がなかったのが要因かなと。同じ思想で改造されたJR北海道キハ141系と比べると基本概念から前面のデザインまで、やる気が低かったように思え、なるべくしてなったような印象を持っています。いや知らんけど。


側面はLE-CarやNDCみたいなかんじか?


転車台にいたDF50形18号機。日本初の本線用ディーゼル機関車です。ディーゼル発電機で発電した電力でモーターを駆動させて走行する電気式ディーゼルを採用しています。見た目は電気機関車寄りの箱型車体ですし。
しかし技術面と価格面で不利だったので蒸気機関車を置き換えるには至らず、それはDD51形の登場を待つことになります。ついでにDF50形もそれに置き換えられました・・・。


キハ58形563号。急行用気動車の代表格で、こと中国地方では縦横無尽に線路を走り回っていたのでこの地方の人達にとっては馴染み深いんだと思います。
しかし非電化ローカル線の急行列車は時代が下るにつれて真っ先に廃止されてきたので、私はひとつも馴染みがないんですなぁ。


キハ181形12号。非電化勾配区間用の特急型気動車ですな。貫通扉付きながら特急型らしい精悍さも持ち合わせた秀逸なデザインなので好きなのですよ。
これは「はまかぜ」で使われていた個体です。


キハ28形2329号。キハ58系列のひとつで、キハ58形が2エンジン車なのに対してキハ28形は1エンジン車です。


キハ52形115号。キハ20系の勾配区間用の2エンジン車です。後継のキハ40系に勾配区間用の車両が製造されなかったこともあって、キハ52はJRになっても生き残り続けました。最後に残ったのがこの個体が走っていた大糸線で、10年前の鉄オタ共の格好のネタになっていましたね。
大糸線キハ52の後継はキハ120なんですが、なんだキハ120でも走れるんじゃんどうしてキハ52が残り続けたんだろうと不思議に思います。


D51形2号機。見ての通り津山まなびの鉄道館の収蔵車両は内燃動車ばかりという渋い選定をしていて、このデゴイチは館内唯一の蒸気機関車です。なお電車は1台もいません。
いわゆる「ナメクジ」で、ちょっと旅客型機関車っぽいデゴイチらしくない外観が特徴。


DD13形638号機。入換用ディーゼル機関車ですな。蒸気機関車を置き換えてかつてはそこら中のヤードで見られましたが、意外と保存機は4機だけ。


DD15形30号機。DD13形にラッセルヘッドを取り付けて除雪機関車に仕立てたやつと見ればよいです。ラッセルヘッドには車輪が無くて機関車に取り付ける形を取っているので、奥に機関車本体もいるんですが見えにくいっていうね。

というか、扇形車庫ってのは構造上入り口から車両全体を撮影するのが難しいです。特に車両が隣り合っている時なんてのはほぼ不可能ですね。それは構造上仕方ない部分があるので妥協できるにしても、見学者は車庫の中に立ち入ることができないので車両の側面は観察できないのです。実質的に前頭部しか見ることができないので、やってることはほとんどカットモデル博物館です。
これには結構がっかりで、側面もちゃんと見せてほしかったです。全国的に見て希少な保存車も収蔵しているのですし、もったいないなと思いました。


DD51形1187号機。御存知本線用ディーゼル機関車の代表格です。山陰地方で長いこと走っていた地元枠選手だった模様。


DE50形1号機。これは全国でここだけの激レア枠です。DD51の後継機としてDD51とDE10のいいとこ取りをして、かつリターダーという下り勾配走行時抑速用の補助ブレーキを搭載しているという性能でした。しかし生産需要が消えたので試作車の1号機が造られただけで終わってしまいました。使いにくかったと思いますがちゃっかり生き残っており博物館入りしています。


2,000馬力エンジンを積んでいるからか第1エンドのボンネットはでかめ。台車はDE10と同様で、3軸台車を履いていますね。車軸が5軸なのでDD51よりも車軸が軽いそうな。
・・・というふうに、側面から読み取れることも多いんですよ。車庫の中に入れるようにしてクレメンス。


DD16形304号機。ローカル線用のディーゼル機関車です。DD51用エンジン、DD13用台車、DE10用の各種パーツの設計を流用して造った寄せ集め感のある機関車です。なお登場時期が悪く、出てきた頃にはローカル線の貨物列車や客車列車は減ってきてたので仕事が少なかった模様。
300番台は除雪機関車の機能を付与したやつで、304号機は大糸線で使われていたものです。


で、あれがラッセルヘッドですね、きっと。あれを見せろ。表に出せよ。
このラッセルヘッド、全長がDD16本体と同じくらい長いので、機関車の付属品と言うよりキ100形のようにもはや別物の車両でしょうっていう威容を持っています。というのも、ローカル線に入れるように軸重を減らすために2軸ボギー台車を2つ履いたので、全長が延びてしまったのだ。
このラッセルヘッドはまだ見たことがないので、これまた残念でした。


敷地内から見ることのできる津山運転区の車庫。キハ40天国ですがな。



これにて津山まなびの鉄道館から撤収。


帰り際。
低い看板だなと・・・。


これまた低い消火栓の看板だなと・・・。


津山線のキハ47形。あと10年はいるだろうとはいえ、いずれは消えるので記録記録・・・ということで。

というところで今日はここまで。


第3夜へ→

博多→大阪 サイコロの旅5・落穂拾い編 第1夜

2021-07-03 23:32:05 | 旅行・イベント記
サイコロの旅5の落穂拾い編を書いていきます。いわば未公開シーン集で、尺やテンポの都合上本編からカットした写真を載せていきます。
初めは、同人誌にして即売会で売るのもアリかも知れないと思ったものの、よくよく考えてみれば急に同人誌で出されても手にとった人はわけわからんわけで、ブログ向けの内容だと思い直したわけです。
このブログの性質が、全世界公開している個人データベースみたいな側面も持ち合わせているので、本編カットされた写真も載せておいた方が後々役立つかもしれないです。
そういうわけで、あと数回お付き合いください。


2020年10月30日(金)13時36分
静岡県静岡市葵区 JR静岡駅前
時系列的には第1夜が始まる前の話です。静岡空港から飛行機で福岡空港まで飛んでいくわけですが、静岡空港までは静鉄バスに乗って行ったのです。バスが来るまでの待ち時間でバス車両を撮影しておりました。
で、待機場に停まっているアレは三菱ふそう・エアロエースです。しずてつはここ数年前までふそう車の発注が一切無くて干していた状態だったんですが、路線バス用のエアロスターを皮切りに続々とふそう車を入れるようになり、後に高速バス用のエアロエースも導入しました。
しずてつのエアロエースというのがまだ真新しくて珍しい存在ですが、あのエアロエースは全国初導入となった13列64席の詰め込み仕様の座席を備えているのです(通常は12列60席)。
前年開催されたイベントでもお披露目されていて、それの座席にも座ったことがあります。意外と悪くない印象でしたが、実際の運用で乗ったらどんなもんだろうと気にはなってました。空港行のリムジンバスがあれだといいようなよくないような・・・。
ちなみに、詰め込み仕様車両の外観的には旧貸切塗装であること(なぜか金帯が省略されているが)、前面前照灯周りに赤い隈取が塗られていることです。


ふそう・MP38エアロスターの通常塗装。通常塗装車を見たのはこれが初めてかな?


あっ。
おいマジか。


詰め込み君が来ました。本当にこれに乗るとは。


しかし悲しいかな空港線はガラガラなので座席の写真は撮り放題でした。本来の使途は、通勤時間帯の相良特急なので。
さて、この座席の性能を改めて確認すると、座席を1列分増やすために背もたれの厚さをとても薄くしています。さらにリクライニング機能もありません。しかしシートピッチは従来型と比べてむしろ2cm増えた54cmになっています。あとは座席とは直接関係ないですが、車内Wi-Fiと各席電源ポートを付けています。
座った印象は変わらずそんなに悪くないなというものです。ただ足を動かすには少し窮屈なような気がしました。じっと座っているのが苦手なのでそこが気になってしまいました。
総合的には、空港リムジンバスや相良特急のような乗車時間1~2時間くらいの路線で運行するなら気にはならないだろうという乗り心地でした。


静岡空港に着きました。ここから第1夜へ繋がります。



この後は第2夜まで飛びます。ここからは本編のネタバレが含まれます。まだ本編未読の人は先に第1夜から本編を読んでおくのをおすすめします。


2020年10月31日(土)10時26分
広島県広島市南区 広電広島駅前電停
駅着いてサイコロ振ってソッコーで退散した広島駅。なんか変な路面電車がいたのでついでに撮影していたのでした。
広電の5200形という最新型電車で、グリーンムーバーエイペックスという長たらしい名前が付いています。5100形を今風にするとこうなるんじゃ、という感じです。私はまだこの外観に慣れてません。


2020年10月31日(土)12時52分
山口県宇部市 JR宇部新川駅
新山口駅から宇部線を通って宇部駅へ行くっていうただの遠回りを強いられている途中。乗った宇部線の電車は全線走破じゃなくて途中の宇部新川駅で乗り換えるやつだったので、一瞬ホームへ降り立つことができました。
ここは車両基地もあるので、ホームから昼寝している電車を見ることができます。魔改造電車の123形も見れました。お元気そうで何より。
しかしそれにしてもまあ、翌年公開された「シン・エヴァンゲリオン」で宇部新川駅と105系その他諸々が出てくるとは思わなかったよ!そのうち行くかなぁとは思っています。


2020年10月31日(土)13時22分
山口県宇部市 JR宇部駅
宇部駅で山陰地方の目を出してしまったところ。電車が来るまで少し時間があるんで、駅前をふらふら。


地方の中規模駅といった感じ。ちゃんと有人駅です。


この規模の駅としては珍しく駅そば屋が営業しています。客入りも良さそう。この店があると知っていたら昼飯はここまで温存していたかも知れぬ。


駅前は割とガランと・・・。というのも宇部市の中心街は宇部新川駅の方なのでこちらは郊外寄りなんだとかで。



宇部市交通局のいすゞ・エルガミオLR。宇部市の路線バスは公営が運営しているんですな、知らなかったです。


同じく宇部市交通局の日野レインボーKR。公営だからでしょうかね、新車もちゃんと買うことができるようです。


2020年10月31日(土)14時8分
山口県山陽小野田市 JR厚狭駅
美祢線との乗換駅、厚狭駅です。これでも新幹線駅です。こだましか停まらないとは言えだ。駅舎が古めかしくていいぞ~。


典型的国鉄駅という具合で良いんですよ。


本編でも出てきたクソニートこと三年寝太郎。名前のセンスがギャグ漫画並み。


ご利益ありそうなものはもう何でもいいから祈り倒しておけという姿勢。いや気持ちは分かるんよ。


献眼をたたえる碑というもの。菊池歌寿さんという人が日本で初めて角膜移植を受けたのですが、氏は岩手県在住なので、はてなんで山口県に・・・。


駅前です。ふふふ、新幹線駅なんだぜ、ここ。某安中榛名と違って元々山陽本線があるところの駅ですから、うふふ・・・。


老舗っぽい駅前ビジネス旅館がいい雰囲気出しています。


船鉄バスの日野・レインボーHR。フロントのSentetSuっていうSの強調の仕方がちょっと気に食わない。tSuは変でしょう。


2020年10月31日(土)15時50分
山口県長門市 JR長門市駅
日本海側へ。JR西日本もついに新型電気式気動車でキハ40を置き換えると思ったんですが、どうやらそうじゃないみたいで肩透かしでした。あと10年は使うんだろうな。


広クチのキハ40系には、タイフォンカバーにゴム緩衝材が付いているのを発見しました。破損防止とか開きっぱなし防止とかですかね。ちょっと微笑ましい。まだまだ大切に使うんだなってのが伝わってきました(皮肉じゃないよ)

ここから新山口駅までは特になし。ということで今日はここまで。

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