日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

子どもは元気

2008-05-21 09:13:55 | Weblog
 平成20年5月20日(木)、午前中外来を済ませ、午後から、「○○中学校」と「○○保育園」に定期健診に行った。
 ○○保育園、昭和25年には、148名もいたとのこと。今は、39名しかいない。
 子どもが少なくなっている(数年後に、3つの保育園が合併を余儀なくされる)。そこに長いこといる保育士さん、寂しさを隠せない様だ。 熱が下がると直ぐに保育園に預けられるとのこと。で、熱が又保育園で上がって、保育士さん達をしばしば慌てさせているし、他の子に伝染させたりしている感じだ。
 経済的なことで、親も仕事をせざるを得なく、大変な思いをしているとのこと。それに、こんな田舎は、大きな会社が引き上げてしまって、職場がないとのこと。
 問題が深いなあ。
 しかし、子ども達、皆元気だ。1歳過ぎの小さな子が柵から出て、「アッ、脱走兵」何て言って、保育士さんが追い掛けている。小さな子どもは、万国、どこでも同じ感じがするなあ。


*昔、大きな台風が来ていた時、蒲江中学校に1晩引っ越していた。自分がやっと物心付く頃で、川の橋を渡る時、父に背負われて暴風雨の中をカッパに包まれ進んでいたのを思い出す。中学では、他の家族も沢山来ていた。夜、ろうそくだけが灯り、風で「ヒュー」って音がして、異様な雰囲気だった。翌朝は、母の作ったおにぎりは、美味しかったなあ。父は、常にラジオを聞いていた。翌日、(自分の家族の住む鷲谷)住宅に帰って見ると、戸が外れていたり、瓦が飛んでいたりしていた家があった。(住宅の隣が直ぐに海だったが)海に出ると、いろんなモノが流れ着いていて、それを見るのがとても楽しかったのを思い出す。怖いと言う感じは、当時は全くなかった様に思う。


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救えない時の虚しさ

2008-05-20 08:31:58 | Weblog
 日本から国際緊急援助隊が四川省に行って活動をしているが、残念なことに、まだ、1名も救っていない様だ。思うに、これは、時間との闘いと思う。700kmものガタガタ道での移動で、スタッフも、それだけでも大変だなあ。
 阪神淡路大震災の時、消防隊の人が行っても、何も出来なかった。その時の消防隊員の虚しさは、本人しか理解できないだろう。同じ様な感じで、この日本の救命救急隊も同じ思いをしているに違いない。医療関係者だって同じことで、もうちょっと前に来院していればこうならなかったのにと思うこともある(が、患者さんをきつく責める訳にもいかない)。
 救命率も、24時間70%、48時間30%、72時間15%と、急激に低下していく。
 ちゃんと血液が送れる力で、1分間に数回でも、心臓が打ってくれていれば、(経験的に)殆ど助かっているかな。
 ショック症状になっていても、直ぐに血圧が下がる訳でない。特に女性の場合は、なかなか血圧が下がりにくく、上が50前後でしばらく経過していることが多いかと思う。その時に、点滴をすれば、直ぐに上昇してちゃんと救える感じだが、下がり切ってしまうと、もう、可能性は極めて0に近くなる。学校でも教わっているはず、5分以上心臓が停止したら、元に戻らないと。
 子どもの場合、冷たい箇所などで代謝が落ちている関係で、心臓が止まって5分以上経っていても、助かった例などあるかと思う。確かに、子どもの場合、10(~30)分以上心停止が予想された感じで来院しても、それなりに処置をすると、心臓が殆ど又動き出す。が、数日後に、その多くは、亡くなっていた。
 日本の場合も、救急車にドクターが常に乗って、救急車の中で処置が出来る様になると、ホントにいいと思うのだが。

 もう、30年ほど前のことだが(多少、記憶に間違いがあるかも知れないが)、ある日の夕方、(火災になって)焼け出された感じで、3歳の男児が救急車で運ばれてきた。心臓マッサージを救急隊の人がしてきていたが、手足は冷たくなっていた。完全に呼吸が停止していたが、聴診すると、心音が10秒に1回あるかないかの頻度で聴こえた。何度聞いても、間違いなく聴こえる。
 で、直ぐに点滴、でたまたま一発でショック状態のその子に(今は、もう不可能と思われるが)点滴が入った(ショック状態だと、入ったかどうかの確認も難しく、刺しても血液が逆流して来ない)。幸いに、たまたま脳外科の先生が(近くの散髪屋で散髪中で、半分切った感じなのに来てくれて、これも)挿管が一発で入った。
 脳外科の先生との2人3脚で、必死で頑張った結果、しばらくすると心臓が軽やかに動き出し、30分ぐらいすると、手足が温かくなってきた。信じられなかった。助かった。で、てっきり何か後遺症が残るだろうと思われたが、これも、不思議なことに全く起きなかった。
 その後、腸重積で、1年後に、時間に来て、又、救命し得た。
 その母親から深々と頭を下げられて言われた言葉、「先生には、子どもを2回も救ってもらいました。」と。

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中国大震災

2008-05-19 11:50:15 | Weblog
 中国が大変なことになっている。オリンピックどころじゃないと思うのですけど。まあ、共産党の批判は別にして、こういう時には、イデオロギーを越えて、困った人達を援助すべきでしょう。
 阪神淡路大震災の時には、その被害で日本が苦しんでいる時に、喜んでいた外国の人もいたとの噂がありますが、もしそれが本当であったとしても、そんな品のないことは、我々日本人は辞めましょう。
 かってトルコの船が日本で遭難した時、日本の人達が手厚くよくして、それがトルコ全土に伝わって、日本人は素晴らしいと言うイメージがしっかりと作られ、今もそれが親子の間でトルコ人に伝えられているとか。
 台湾が地震で大変だった時、一番先に援助に来たのは日本で、それで又日本に対する評価が(そうでなくても、台湾の人達は、日本人のことをよく思ってくれている人が多いのだが)更に上がったとのこと。
 考えてみるといい。にっちもさっちも行かなくて困った時こそ、援助の手を差し伸べることで、絆がしっかりと出来る。このことは、夫婦の間でも、友達の間でも、企業と個人の間でも、国と国の間でも言えること。困った時に冷たい仕打ちでは、そのツケは後から何倍にもなって跳ね返ってくるでしょう。
 中国では、役人と業者が密着して、安上がりで学校の校舎を作っていたり、中国には、ボランティアと言う言葉はない?とのこと(ボランティアと言うのは、国がするものとの考え方らしい)。
 外国のことを問題にする前に、日本にしても同じかな。阪神淡路大震災の時に、国境なき医師団が外国から直ぐに来たが、政府の固い頭で、全く医療が出来ない状態で帰って行かれた。又、大学からの応援があったが、検査が出来ない状態での医療の仕方を経験してこなかった為に、その時、第一線の開業医の先生方が大いに活躍されたとの話を伺ったことがある(その反省から、それに対処できる様に、医師のトレーニングを見直したとのこと?!)。
 失ったものから得られるものもある。中華人民共和国、世界に及ぼす影響が大きいだけに、今が正に正念場だと思う。

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志村けん

2008-05-18 11:40:02 | Weblog
 志村けん、本名志村康徳、昭和25年2月20日生まれ(私と同じ58歳)、東京都東村山市出身。
 多くの人はどんなイメージで、彼を思っているだろうか?「馬鹿殿様」のイメージが一番強いかと思う。
 しかし、ホントは、とっても真面目で、兎に角、笑いで観客を誘うことに命を駆けていると言った方がいいかも知れない。
 ネタが思い付かなくて、眠れない時がよくあるとか。林家三平も、同じ事を言っていたなあ。
 34年間、お笑いの世界に入って、いろんな所で活躍している。が、10年前からの夢があり、それは、地方公演。そこでは、コントが17~18もあり、藤山寛美の人生訓的な作品の再現にも力を入れている。
 かって、「8時だよ、全員集合」のテレビでのお茶の間の人気番組で、私も真剣に見ていた記憶がある。彼は、ドリフターズのメンバーで、あちこちの公演で直に観客に接していた。直にお客さんに接することで、お客さんの反応を見て、いろんなことを学べたと言う。
 自然体で行きたいと言う。観客からギャグが受けてもらった時には、何とも言えない喜びがそこにあると言う。歳を取っても、体が動くまで多くの人から笑ってもらいたいと言う。
 素晴らしい生き方だと思う。その姿には、多くの人が学ぶべき「志村けん哲学」があると思う。
 彼は、「最初はグー、ジャンケンポン」など、いろんな言葉も生み出している。


http://www.ken-shimura.com/profile.html(志村けんのブログ)


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盆踊り太鼓

2008-05-17 10:09:29 | Weblog
 どうしても生きている内にしておきたいことがある。それをしてないと、先々、悔いが残りそうな気がしている。それは、自分が歳を取れば取るほど、難しくなること。それは、直ぐに出来なくて、それなりに時間が掛かること。しかし、それは、私の今の夢である。
 それは、「盆通り太鼓」を外国の子どもに伝授すること。(佐伯は、オーストラリアのグラッドストーン市と姉妹都市の関係にあり、アメリカのホノルル市とも、友情都市の関係にあるので、出来れば、そこで)
 太鼓を始めたきっかけは、亡くなった父が、(天理の協会で)太鼓をよく打っていたとのことで(私は、父が太鼓を打つのを聞いたことは一度もなかったが)、盆踊り太鼓でも打てば、父の供養も出来るだろうと思ったから。
 で、驚いた。音楽なしの、太鼓の中央を中心に打つ太鼓の打ち方と、盆踊りの太鼓の打ち方、全く違うのである。普通の太鼓を打つ人で、盆踊りの時に盆踊り太鼓を打っている人もいるが、少ない。多くは、盆踊りだけ打つ人で打っているケースが多い。
 盆踊り太鼓での打ち方は、ホントは、民謡の曲に合わせて座って打つのがオリジンだと思う。民謡をしている人から、「炭坑節」の打ち方を教わった。ちゃんと教科書的な3通りの打ち方があり、譜面もあって、曲に合わせて打ち方がちゃんと決まっている。しかし、それは、座って打つ時の仕方だ。盆踊り太鼓では、立って力一杯打つので、その打ち方だと、力が入らないので、少し迫力に欠けるかな。で、実際や、ちゃんと決まっていない感じで、盆踊り太鼓が打たれていることが多いと思う(地踊りの場合を除く)。
 盆踊り太鼓は、次の3つの大切な要素があると思う。まず、周りの人に聞こえなければ意味がない、つまり、「力強さ」が必要とされる。
 次に、音楽に合わせて、「リズミカル」に打つことが要求される。打ち手が焦ると、バックの音楽よりも早くなり、疲れると、バックの音楽よりも遅くなる。あくまでも、リズミカルに、音楽に合わせて打たないといけない。プロは、踊りに合わせて打つ。踊り手が踊り易い様に打つのが、プロだ。
 そして、盆通りは、「格好」が大切だ。踊る格好も大切だが、衣装もそれなりに大切な要素となると思う。
 で、実際に、佐伯でも、「佐伯音頭」や「佐伯小唄」や「炭坑節」の曲に合わせて演奏する場合、太鼓打ちは、人により、いろんな打ち方をしている。決まっていない。しかし、そこが、私は、盆踊り太鼓の一番の魅力的な所だと思っている。
 自分の疲れ具合に応じて、疲れた時は、それなりの打ち方をする、いつも同じ打ち方だと、見ている人は退屈だろうから(実際は、踊り手の方を見て、太鼓の方は、見てないことが多いのだが)、1番~4番まで、いろんな打ち方をする。そんな自分なりの楽しい世界がそこにある。
 盆踊りでは、太鼓の縁を沢山打つ。その軽やかなリズムの響きを生み出して打っている時、正に、私は別世界にいる感じになる。
 佐伯でも、大川でも、子ども達に教えてきたし、それなりに、子ども達は、打ってくれた。これを、是非、外国でしてみたい。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070916/2

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070811/2

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070826/2

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080317/1

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20060917/1

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070907/2

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20060727/6


*(以下、フリー百科事典ウィキペディアより)大分県の盆踊り
 現在、全国各地で盆踊りという文化が廃れてきている中、大分県には昔ながらの盆踊りが残っている。 踊りの種類と、唄の種類の多さには目を見張るものがあり、これには小藩分立の歴史や、上方からの座敷唄の流入などが深く関係している。新作踊りも数多く作られてきたが、別府市などを除いて、未だに昔ながらの踊りが幅をきかせている。所によっては厚化粧をして華やかな衣装・髪型で参加する。
 
佐伯市
・佐伯音頭、佐伯小唄、蒲江音頭、直川音頭、宇目小唄、弥生音頭、上浦音頭。
・佐伯市下堅田の「堅田踊り」…全部で50種類以上にのぼる多様で洗練された踊り。

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病める大国

2008-05-16 08:46:57 | Weblog
 イラクに派遣される若い兵士の大半が不法移民のこどもであり、アメリカで他に生きるための手段がなく、しかも退役後はあたかも生活も医療も保障されているかのようにだまされて(実際はぜんぜん違う)リクルートされて兵士になりイラクに派遣される、さらにはその詐欺的リクルートをやっている勧誘員自身が同じ不法移民のこどもであり、自分の生活を守るためにやっているとのこと?!
 広い中国では、1日に農民中心の暴動が100件も起きているとのこと。共産党は、それを隠すのに、一生懸命だ。大地震で大変なのに、北京オリンピックを成功させようとしている。国民の不満がかき消されている。
 ロシアは、正に、一党独裁的色合いを見せている。反対分子は、潰されている。ナショナリズムが強くなっている。アメリカとの協調路線は、少なくなりつつあるかな。
アメリカ、中国、ロシア、3つ共、核を持ち、政局も不安定だ。貧富の差も、日本どころでないだろう。それに、軍備への投資の割合、とても大きいのだ。(額としては、中国が経済大国の日本をつい最近抜いているが・・・)

 2002年の日本の軍事支出は、ストックホルム国際平和研究所の調査によると、ドル換算で467億ドル(約5兆5千億円)となり、米国に次いで世界で二番目の高さである。以下は英国、フランス、中国の順で、この5カ国で世界全体の62%を占めている。
 ストックホルム国際平和研究所の調査以前におこなった英国国際戦略研究所調査によると、世界3位であったが、日本は不名誉な2位に格上げされたことになる。ちなみに英国国際戦略研究所の発表による世界各国の軍事費総額は、7980億ドルで、軍事費支出の上位20位の順位は次の通りである。

世界各国の軍事費支出順位(単位:ドル)
(英国国際戦略研究所資料) 
  1位 アメリカ  2946億
  2位 ロシア  588億
  3位 日本 444億
  4位 中国 411億
  5位 フランス   342億
  6位 イギリス   338億
  7位 ドイツ  282億
  8位 イタリア   205億
  9位 サウジアラビア 183億
 10位 ブラジル    175億
 12位 インド  144億
 13位 韓国 125億
 15位 イスラエル 94億
 16位 カナダ   75億
 17位 イラン   73億
 19位 オーストラリア  70億
 20位 パキスタン 36億

 ある調査によると、国民の満足度のトップは、デンマークとのこと(税金はとても高いのだが)。そこでは、医療と教育は、皆等しく無料だ。タイでは、極めて自殺者が少ない。そこでは、所得の少ない人は、どんな医療を受けても1日30バーツだ。
 医療と教育は、最優先課題にして欲しい。どこかの国では、軍備や道路を造ることにやっきになっている様だが。


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ナイチンゲール生誕祭

2008-05-15 08:45:54 | Weblog
 平成20年5月14日(水)17:30から、病院の6階の会議室で、恒例の「ナイチンゲール生誕祭」がありました。ちょうどその時に、嘔吐の子が来たのでと電話があり、落ち着かない状態で写真を撮りました。
 15分もしなくて救急外来に行くと、「まだかなあ・・・」と子どもが母親に言っていました。嘔吐で来たのですが、顔色もさほど悪くなく、五苓散の注腸と内服で帰しました。
 ある救急病院では、待ち時間が1時間近くもあるとのことですが、ここでは(開業医がこの5000人余の町に一人もいない)、15分も待たせなくても、まだかなあって感じで言われることがあります。診察が終わって帰る時に、お礼の言葉、ないことが殆どです。
 仕事と思って割り切って診ていますが、少し、寂しい気もしますが。


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免疫学の裏話

2008-05-14 09:24:28 | Weblog
 北里柴三郎は、コッホの元で破傷風の抗毒素を発見したことで超有名な人。血清療法を記した論文が、コッホの元で研究していたベーリングと北里の名前で提出された。北里は、破傷風の血清療法を中心に、ベーリングは、ジフテリアの血清療法を中心に研究していた。で、不思議なことに、1.901年から始まった(第1回目の)ノーベル医学生理学医賞には、ベーリングだけがもらって、北里はもらえなかった。同時にもらってしかるべきと思われたのだが(なしか?!)
 抗毒素は、毒素に対しての抗体で、正に、免疫学の具体的な走り。それまでの免疫学で偉業を為してきた人が、ジェンナー(種痘の発見者)→コッホ(結核菌、コレラ菌を発見)・パスツール(ワクチンの名前を提唱)・メチニコフ(マクロファージの名前を提唱)→北里・ベーリングと連なる感じであったのだが。
 ところで、北里は、熊本県阿蘇郡大字小国(おぐに)町北里出身で、Kitazatoと書くべき所を、ドイツ語読みで、北里と呼んでもらう為に、Kitazatoでなく、Kitasatoとしたとのこと。知らない日本人は、何故、Kitazatoとしないのかと不思議に思うだろう。濁らない場合は、Kitassatoと書くだろう(フランス語だと、キタザトをKitasatauと書くのかな?)。
 ノーベル賞をもらった利根川進氏、彼は、元々は免疫学をしていた訳でなく、カリフォルニアでウイルス学をしていた。その後、スイスのバーゼルにあるバーゼル免疫学研究所で「遺伝子の再構成によって抗体の耐用性が生まれる」ことを証明した。この時の所長が、ネットワーク説でノーベル賞を取ったヤーネであった。
 利根川氏が赴任した直後に、「北里を知っているか?」とヤーネ氏は尋ねた。利根川氏は、「名前は知っているが、何をした人かは知らない」と応えた。利根川氏がノーベル賞を取った時に、ヤーネ氏は、祝電を打った。それには、「You accomplished what Kitasato started.」とあった。北里が発見した抗体の秘密を利根川が解いたと言う意味と、北里が受賞できなかったノーベル賞を受賞したと言う2つの意味を込めて。


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ツバメの救急

2008-05-13 08:47:03 | Weblog
 病院の救急外来に、ツバメが巣を作っていて、そこから(平成20年5月11日(日)に)まだしっかりと飛べない雛が一羽、落ちてバタバタしていた。で、よく見ると、巣が2カ所あって、入り口に少し遠い方の巣には、雛が大きな声で餌を求めて啼いていて、2羽の親鳥も、代わる代わる餌を持って来ていた。入り口に近い方の巣には、雛はいない模様であったが、見つけた時に、落ちた雛のいる場所がその近くだったので、てっきりそこから落ちたと思って、そこに上げた。しかし、又、落ちてしまった。よく見ると、その巣の下はきれいで、糞が落ちていない。これは、てっきり誤診をしたに違いないと思った。
 それで、考え直して、入り口に少し遠い方の巣から落ちて来たと判断して、そこに上げたら、上手くいった。そこには、他に3羽の雛がいた。つまり、4羽いて、その内の1羽が踏み外して、落ちてしまったのだ。
 慌てていると、判断を間違える。救急医療も、慌てていると、思わぬミスをしてしまう。その間、幸いにも、人間の患者さんは来なかったが。雛も、これで助かったかな。

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Ai(エーアイ)

2008-05-12 09:15:12 | Weblog
 日本では、死因の原因をはっきりさせようとすることが、先進国と比べて少ない。つまり、死亡した時に、解剖してその原因を探ろうとすることが少ないのだ。司法解剖でさえ、年間5.000件前後でしかない。
 日本人が年間100万人以上が亡くなっているのに、解剖の数は、何と3万件余でしかない。日本人の気質として、解剖を嫌がる風潮がある。
もしも、家族が病院で診療を受けた直後に病状が急変し亡くなったら・・・。 理由を知りたいと考えても、現状ではカルテや医師の証言だけが唯一の証拠。客観的に検証できる唯一の手段、解剖は遺体に傷をつける為、家族としては受け入れがたい。こうした中で、遺体にCTなどの画像診断を行い、画像から死因を正確に特定するAi(エーアイ:オートプシー・イメージング)に注目が集まっている。 わずか5分の画像撮影のみで作業が終わり、しかも改ざん出来ない「客観的な証拠」になる為、遺族にとって真相を知るための有力な手段になると期待される。一方、医師から見ても、「説明責任を果たす」ものにもなる為、前向きにとらえる現場も出始めている。
 近年、CTやMRIが普及して、生前の診断力がかなり向上している。これで全てが分かる訳ではないが、これで異常が見つかれば、解剖の必要性の有無も言える場合もある。
 仕事中に急死して、Aiの結果、肝破裂で、最初の発見者だった人が誤ってクレーンをお腹にさえていた事が判明したり、腎検査検査後に急死して、実際は、くも膜下出血が原因だったこともあるとか。
 自験では、既に30年前後経っているのだが、ある病院に勤務して余り経っていなかった時のこと、・・・ある時、父親が(他の医療機関でお産をして直ぐに亡くなった)新生児を抱えて病院に来た。「ずっと調子よく行っていたのに、生まれて直ぐに(数時間前に)子どもが死んだ。産婦人科の医者からちゃんとした説明がされていない。原因をはっきりしてくれ!」と、不信の塊の様な形相で言われた。外見からは、体重が小さい以外は、特に問題はない様で、まだ、少し温かかった。
 「私は診ていないので、何とも言えません。写真を撮れば何か分かるかも知れませんので、写真を一枚撮らせて下さい。何もないかも知れませんが・・・」と言って、私は、2.500g前後の子どものレントゲン写真を撮った。先天性心疾患を疑って撮ったのだが、結果は、意外であった。右の先天性横隔膜へルニアであった。
 「お父さん、これは、生まれつきの横隔膜の奇形で、横隔膜へルニアと言います。右の横隔膜に孔が空いていて、そこにお腹の腸が入り込んで心臓を圧迫しています。横隔膜ヘルニアは、普通は左が多くて、手術で助かることもあるのですが、右側だと、例え手術してもとても難しくて、助からないことが多いです。」と説明した。父親は、今までの厳しい顔が急変し、納得した顔になって、深々と頭を下げて帰られた。
 これって、今考えると、Aiの走りとも言えるかな?今考えると、他にも、複雑な奇形があったのかも知れないが・・・。
*写真は、その時に撮ったもの。


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