日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

動物の気持ちになって・・・

2008-05-06 10:06:19 | Weblog
東京の上野動物園に初めてパンダが来日した時に見に行って、あまりにも大きなパンダを見て、驚いた思い出があります。
 パンダにとっては、自然が一番いいはずで、大きな体の割にはとても仕草が可愛くて、見るの方にとってはスゴクなごむのですが、本人は、可哀相ですね。あるブログに、以下の内容がありました。

 希少動物であるパンダは大切にされるべき存在です。何せなかなか子供ができないので数が減る一方です。なのにパンダに朝から晩まで休む暇も無くショーをさせ、一生懸命芸をしても、結果的にお客さんが満足しなければひどい拷問を加えるとんでもない国がありました。当然のことながら、その国のパンダは次々と衰弱し、疲れ果てて死んでいき、各地の動物園で、パンダが居なくなってパンダショーができなくなりました。でも、不思議なことに、その国では、少なくなったパンダを大切にしようとか、これ以上死なないように保護しよう、という声は全く上がらず、生き残ったパンダをもっと働かせ ようとか、パンダショーが好きなだけ見れる事を要求して署名しよう、とか頓珍漢なことばかりしているのです。そんなおかしな国での出来事です。
 とある小さな動物園で、毎日毎日必死にショーをこなしていたパンダがいました。ある日、ショーの間にお客さんがその動物園に飛び込んで来ました。受付のおじさんがパンダに耳打ちします。「お客さんが来てます。どうやら、今すぐに火の輪くぐりが見たくてならないそうですよ。」ただでさえ、疲労困憊のパンダはちょっと悩みました。「でも、火の輪くぐりならやったことがあるし、折角来てくれたんだからやってみましょう。」そう答えて、パンダショーの順番を待っているお客さんに事情を説明し、急遽できるだけの準備をして火の輪くぐりにチャレンジしました。飛び込みのお客さんは母子二人連れです。何とか無事に芸を披露できた、と一安心した時、事件はおきました。子供のお客さんは手を叩いて喜んでくれたのですが、お母さんが怒り出しました。「私が見たかったのはこんな火の輪くぐりではない。もっと大きくてごうごうを燃え盛る火の輪でないと駄目だ。」一生懸命芸をしたパンダは悲しくなりました。でも仕方がありません。その場では火の輪はそれだけしかなかったのです。でも、とにかくお客さんが怒ってる。急いで納得してもらうように手配しよう。パンダはこれ以上の芸は不可能であることを説明し、急いで他の動物園のパンダに連絡をとります。「予定外の火の輪くぐりをリクエストされて、急いで準備して精一杯やってみたけどお客さんが納得してくれません。迫力満点の火の輪くぐりをやってくれませんか?」あちこちに連絡しても「こっちだって予定のショーだけで必死だよ。急に言われたってそんなの無理」とにべもなく断られてしまいます。お客さんはますます怒り出します。待たされているお客さんからも怒声が飛んできます。あせってあせって電話する手が震えてきました。でも、なかなか受けてもらえません。ようやく、ちょっと離れた動物園が「やってみましょう。」と言ってくれました。お怒りのお客さんを丁寧に誘導し、どうにかひと段落したと思いましたが、結局はよその動物園 に行ってもお客さんは満足してくれませんでした。
 この不思議な国では突然高度な芸を要求されて、必死に応じたとしても、お客さんが不満足ならば結果責任を取らされるのです。パンダの首に縄が掛けられ、動物園から引きずりだされました。「どうしてお前は満足してもらえないような芸をしたのだ!!」容赦なくパンダにムチが振るわれます。パンダは泣きながら反論しました。「火の輪くぐりなら何とかなると思って必死にやったのです。十分な準備期間もなく、突然だったらあれ以上の対応は無理です。」「初めから豪華な火の輪くぐりを見せてくれるところにお客さんを誘導すれば、あんなに機嫌を損ねることもなかったろう。生意気なパンダめ、こうしてくれるわ。」今度は棒でフルボッコです。気を失いそうになるパンダに「いいか、お客さんが満足しなけりゃお前らは叩きのめされるんだよ。思い知れ。」と裁判官から罵声が浴びせられました。「それは結果論だよ、満足してくれるかどうかなんてやってみなきゃわからないよ。だから、特に緊急のパンダショーができなくなって問題化してるんじゃないの?無理を承知で とりあえずショーをやってみろ、と皆言うけど、一生懸命やっても拷問じゃあ、誰もやらなくなるのは当たり前じゃないの?」本当はパンダはこう言いたかったのです。でも、あまりにも打ちのめされて、声を出すことができませんでした。その日はクリスマス、パンダは叩きのめされた後に、冷たい水をぶっ掛けられて外に転がされました。待ち行く人々は楽しそうに食事をしたり、恋人同士で愛を語り合ったりしています。ああ、今日はクリスマスか・・・薄れ行く記憶の中でパンダは昔を思い出していました。そういえば無理やりショーをさせられることがなかった頃は幸せだったなあ。優しいお母さんにプレゼント買ってもらったっけ。でも、お母さんもムチで打たれた傷が悪化して去年死んじゃったよ。僕どうしてパンダに産まれたんだろ。昔はもっと仲間も多かったし、お客さんだって罵声を浴びせたり物を投げたりしなかった。ムチで打たれることも多くなかったのに・・・どんどん仲間は死んじゃうし、それでもお客さんは大勢やってくるし、芸は高度になるし、僕これ以上頑張れないや。ああ、もう立ち上がれない、僕、もう死ぬのかな。生まれ変わるなら、パンダじゃなくて、仲間が多くて高度な芸もしなくていい動物がいいなあ。この国じゃ、パンダが足りない足りないって騒ぐくせに、全然大切にしてもらえな いんだから・・・ああ、もう考えることもできない。もう駄目だ。みんなさようなら・・・・パンダの体温はどんどん下がり、ついに死んでしまいました。
 パンダが足りないと騒ぐくせに、虐げられて衰弱死したパンダに対しては同情すらありません。それどころか、「これぐらいで死んでしまうパンダはいらない。もっと打たれ強く て丈夫なのをもらってこい。」と住民は動物園の園長さんに要求するだけです。いつになったらこの国の人たちは分かるのでしょうか?少なくなったパンダをいじめてはならない、ということに・・・

*何か、今、救急医療で頑張っておられる医療従事者がパンダに思えてなりません。
*ある市では、財政難を理由に、ある動物園が市の命令で、人員も動物もリストラになりました。そこで再生する方法が新たに取られました。今までの生き物の数を半分にしたのです。生き物にとっては、敷地が倍になりました。それを利用して、動物を伸び伸びと動かせることが出来ました。
 見に来る人と生き物が身近に触れ合うことが出来る場所も新たに作りました。キリンさんは高いので、高い所からキリンに餌を上げてもらいました。広い敷地になった為に、多くの動物が嬉しそうに動き回っています。
 見に来る人の立場に立ち、又、動物の気持ちになって飼育するのは、難しいことなんですね。

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医者の気持ちになって・・・

2008-05-06 10:02:12 | Weblog
(朝日新聞4月7日)
 日曜も絶えない電話
 東京都大田区の東邦大学医療センター大森病院。同様に朝から勤務する藤本愛医師(31)と研修医(25)も当直についた。午後7時半すぎ、夕食の出前を注文したとたん、重篤患者の受け入れを要請する電話(ホットライン)が消防から入った。脳動脈瘤(りゅう)のある80代の女性が意識障害という。動脈瘤破裂かもしれない。医師9人が1階の初療室に走った。10分後、顔が紅潮し目を見開いた女性が救急車で到着。「血圧は?」との声に、「190/110」。「わかりますか」と藤本医師が声をかける。「ニカルピン、ニカルピン」 。浜田医師が降圧剤投与を指示した。すぐCT室へ。コンピューター断層画像が映し出された。最悪の動脈瘤破裂ではない。視床出血だった。ほっとした空気が流れた。
 看護師の携帯が鳴る。「先生、ホットラインです」。午後8時45分、20代の男性が運び込まれた。オートバイで乗用車と衝突した。顔は腫れ上がり、腕も折れている。男性が痛みで叫び声を上げる。再び看護師の携帯が鳴った。またホットラインだ。「(受け入れは)無理!」。浜田医師の声が響いた。午後11時前にやっと夕食にありつけた。その後も午前0時すぎに吐血した70代の女性が、早朝には交通外傷の患者が来た。眠る時間はほとんどなかった。
 救命救急センターの医師は全部で14人。研修医を入れて3人が当直につく。2交代制の看護師は約100人。午後4時半から午前9時までは30床を15人前後でみる。当直明けも医師の勤務は通常通り。医師たちはそのまま仕事を続け、夜まで働いた。午後8時15分、藤本医師が控室で栄養飲料リアルゴールドを飲み干した。この日5本目だ。「バタンキューで寝て、また明日ですね」。病院を出たのは午後11時前。勤務は前日から39時間に及んだ。
 若手医師(27)は「処置しても延命行為でしかないこともある」と漏らす。かつてなら「大往生」だった末期がんや施設入所の高齢者が心肺停止で次々と運び込まれる。「蘇生が患者や家族にとって幸せかどうかわからない」自傷も少なくない。ある日の明け方、100錠以上の鎮痛剤を酒と飲んだという30代の女性が搬送されてきた。意識はあり、命に別条はない。医師(35)は「この人は(救命 救急センターの前の)2次救急で十分。こういう人を処置していて、本当に重篤な人を受け入れられないことがある」。
 9年目の医師に給料明細を見せてもらった。本給は15万円、当直は5回で5万6500円。総支給額は26万7020円だった。アルバイトで週に1日半、外の病院で診療し、泊まりもする。1日約9万円、泊まりは1回約4万5千円。
 救命救急センターの吉原克則准教授(54)は「勤務医が足りない。その影響が一番出るのが救急だ」と話した。

 「とりあえず診て」軽症の人搬送次々
 東邦大学医療センター大森病院が受け入れる救急車は年間7千台を超える。ある夜、39度の熱が出たと2歳の娘を救急車で連れてきた母親がいた。連絡を受けた看護師は「熱だけで救急車?」と声を上げた。診察した小児科医は「熱はあるが、しっかりしている。解熱剤を持っているということなので、何もせずにこのまま帰します」。「高熱にびっくりしたんでしょう?」と質問する と、母親は「そんなに心配していたわけではないけど、とりあえず診てもらおうと思って」と話した。また、ある日の午後、「気分が悪い」と自分で119番した一人暮らしの70代の男性が運ばれてきた。蒸れたような酸っぱいにおいが初療室に充満した。迎えた看護師が「まずはシャワーしましょうか」と服を脱がし始めた。男性は「寒いよ」と文句をいう。「大丈夫よ。ごめんね、寒い思いをさせて」と謝りながら裸にし、シャワーをかけた。姿を見せた医師は「乾いたら呼んで。このままじゃ診られないから」と立ち去った。「ズボン下」「ベルト」と男性はいちいち注文をつけた。看護師は「あれはうんちがついている。これ着ようね」と院内から探してきたシャツとズボンをはかせた。到着から約1時間後、医師が心電図をとった。男性は「点滴してよ」。「水飲めるの?」「飲める」。医師は「じゃあ、いらないな」。医師はたしなめた。「それとね、救急車をタクシー代わりに呼ばないでね」。男性は「金ないもん」。30分後、おしっこのついた靴下をはき、病院を後にした。

 「24時間医師」気概と誇りと
 別の日の午後、70代の女性が「体全体の脱力」を訴えていると救急隊から電話が入った。一人暮らしで自ら119番したという。血圧や脈拍、意識に問題はなさそうだ。電話を受けた当直師長は「ひとりですか? 親類の人に迎えに来てもらえるようにしてほしい。それを約束してくれるなら、受け入れます。親類の電話番号ありますね」。大したことがないのに入院されると、重症患者を受 け入れるベッドがなくなってしまうからだ。約30分後、女性が運び込まれた。目を半分開け、上を向いている。女性は来るなり「おしっこ」。看護師がトイレに連れて行った。ベッドに戻ると、今度は「お水」。「苦しい、苦しい」とつぶやく。医師がすぐに診察したが、意識障害になるような不整脈はない。胸の音もきれいだ。念のため、CT検査とX線撮影、血液も調べた。「手が震えてしかたない」と訴える女性に、「大丈夫のようですよ」と医師。「問題ないんですか」と女性は消え入るような声で言った。看護師が親族に迎えに来るよう電話した。親族は「死んでもらっていい」と言ったという。「一晩泊めて」。女性は看護師に懇願した。親族に引き取られて女性は病院を去った。
 救命救急センターの吉原克則准教授は朝のミーティングで研修医に向けて言った。「医師はどこにいても24時間医師。飯を食って酒を飲んでいる時も。患者への愛情、倫理観、強い職業意識があって初めて医師たり得る。熱意がないとできない」。皮膚科や眼科、耳鼻科志望が増え、大学に残る医師が少なくなる今、あえて厳しい救命救急の現場で働く医 師の気概と誇りを感じた。◇

〈救急医療〉1次から3次まで3種に大別される。平日夜間や休日に自分で病院に来る軽症患者用が1次、手術や入院などが必要とされ救急車を呼んで来るのが2次、2次以上で重篤な患者が3次。救命救急センターは3次で、東京都の場合は、消防庁から21の施設に直接受け入れ要請の電話が入る。2次救急病院は全国的に減っており、98年の3344が07年は3153に。東邦大学医療センター大森病院は1次から3次までを備える。それらを合わせた救急外来の患者は平日夜間が約100人、日曜日は約200人にのぼる。


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新たなる考え方の出発

2008-05-06 09:56:04 | Weblog
 全国アチコチ、病院から産科と小児科が消えつつある。熊本県でも、天草の中央病院の小児科、八代の八代総合病院の小児科、それに、荒尾市民病院や山鹿市立病院も、常勤の小児科医がいなくなってしまった。
 理由は、小児科医の集約化が行われているからだ。小児科だけでなく、小児科と直接に結びついている産科の場合は、もっと深刻そうだ。
 新しく小児科医になる医師の半分は女性、新しく産婦人科医になる医師の7割は、女性だ。女性の場合は、出産と育児がある。どんなに女性医師の旦那さんが頑張っても、乳児期初期の育児の授乳などの代用は物理的に不可能。
 いろんな方法が試みられている。そんな女性医師の育児施設とか、パート勤務とか、当直免除とか、・・・しかし、子どもが病気をしたり、学校の行事のことなどでどうしても休まないとけいないケースも実際に多い。
 ところで、この場合、男性医師に対しての思いやりも配慮してもらいたいものだ。男性だって、父兄参観日には行きたいし、娘のピアノの発表会にも行きたいのだ。親だから、当たり前のことを言っているだけで、間違ったことを言っているとは思いたくない。
 しかし、日本の場合は、そんな家庭の事情を言うと、上司から、「お前は、少しはやる気があるのか・・・」何て言われて、白い目で見られてきた。有給休暇だって、20日間あっても、完全に消化し切れてない、法律上堂々と取れるはずなのに。患者さんのことで時間外にしばしば呼び出されていても、それは、管理職だからと言うことで時間外手当はもらえない。患者さんの状態が悪くて、1晩泊まり込んでも、もらえない。それを請求する方が不自然と医師自身が思ってきたし、お金の請求何て、考えてみたこともなかった。
 しかし、しかしである。管理職でも、1日に5時間以上も時間外に働いていれば、裁判所から、その分払うべきだとの判例が下される時代になっているのだ。時代も変わって来ているのだ。今までが異常な考え方だったのだ。
 忙しくて責任も重い女性の医師が、育児を考慮してちゃんと働ける職場にすることなんて、基本的な権利なのだ。それが不等にないがしろにされて来たのだ。
 大きな責任を背負わされている男性医師も、今からは、バッチリ有給休暇を正当に取って、管理職でも、時間外に法外に沢山働いていれば、それなりに請求しよう。そうでなければ、仕事を拒否するか、別の職場を探そう。医師も、そんなちゃんとした(医師らしい)意志を持っていることを示そう。
 「小児科は忙しいそうですね」とよく言われてきた。しかし、それは必ずしも当たっていない。自分の場合を考えても、1人常勤医で新生児・未熟児(年間500)を抱えていた時でも、初めの3年間は、全く1人で大変だったが、それからは、応援があって、家族旅行も何度も出来た。
 19床の入院ベッドを持っての開業の時でも、援助全くなくて、平日は朝7時半から、夜も日・祝日にも小児救急をしていたが、(昼寝をよくしていて)趣味の方でも忙しかった。
 冬季は確かに、月曜など、開業の時は1日200人以上とか来て殺人的だったが、8月~10月は、入院0が1週間も続く時もあり、暇をもてあましていた。(しかし、入院患者さんを持っていたので、家族旅行が全く出来ず、佐伯を出ることも出来なかったが・・・)
 どうしても他人に頼まないといけない時は、忙しい人に頼めとの言葉がある。人は、忙しくて苦しい時のことをよく話すが、暇な時も確かにあるのだ。
 まあ、それも程度ものもあるであろうが、土台、この時代に、一見暇そうで楽そうに見える仕事であっても、実際にしてみると、暇で楽な仕事何て、本当はないに等しいはず。
 人間は、生きていること自体が苦との考え方もあり、考古学者の吉村先生の様に、人生は大いなる暇つぶしだと言う人もいるぐらいだ。
 仕事が忙しい人は、それだけ社会に要求されている有能な人間になっていると思って自負心を持つことが出来るし、暇を持てあましている感じの人は、皆忙しく働いているのに、自分だけこんなに暇をもらって申し訳ない、今は充電期で、何かの時は、人の何倍も働こうと思えばいいかな。


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