日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

身を持って知る教育のあるべき姿

2008-03-22 09:59:26 | Weblog
 あるブログで、今年の東大理3の合格者にどの高校からが多いのか何てのが載っていた。
 人生の勝利者って感じで、高校別に有名大学や医学部などの入試での結果がまだ話題になっていること自体が、問題だと思うのだが(受験勉強に秀でていて、その時点での一発勝負で他人よりも成績が良くて合格したに過ぎないのだが)。マスコミが騒ぎ、世間もつられて騒ぐ感じになっている(なぜか、資格試験の合格率や就職状況やその後の活躍などは、余り話題にならないなあ)。東大理3の場合、灘と開成で全体の3分の1近くを占めている(理3では、ある年には、入学生の内に女子学生0のことがあったが)。(そこに入る為の受験勉強とそこでの男子のみの生活で)そうでなくても視野が狭くなっていると思われているのに、又、同じ感じの人間の集まりで、いろんなタイプの患者さんの苦しみをホントに理解できる医者になってもらえるのだろうかと心配にもなってくる。
 昔は高校や大学に行っていた人はホントのエリートだったと思う。戦前までは、末は博士か大臣かって感じで、高校(今の大学の教養部に当たる)に入学する時の数が、今の東大生よりも少なかった。
 世の中を自分たちの力で変えよう、世の中の為に精一杯尽くそうと、文武共に優れた学生(頭脳明晰なるも貧乏学生が多かったと思われる)が、全国アチコチから、高校(今の大学教養部)や大学に進学していた。
 しかし、今は違っていると思う。
 平成20年3月18日(火)の夜のNHKで、アメリカ出身のジェロさんが「海雪」なる演歌を上手に唄っているのを見て、これって、有名大学や医学部への進学と似ているなあと思ってしまった。彼は、今は亡きおばあちゃんを喜ばせる為に演歌を小さい時から始めている。目標は、NHKの紅白歌合戦で歌うことみたいだ(まあ、NHKの紅白歌合戦も、年毎に視聴率が落ちてはいますが)。
 NHKの紅白歌合戦に出ることが最高の目標だと仮にして、そうなったとしても、ずっと出れる人はほんの僅かである。又、実際にそこのNHKホールで聞いた人の話では、(生で聞くので)上手か下手か一目瞭然だとのこと。つまり、下手でも運良く出場出来ている人もいるのだ。
 福岡県の大川市にある大きな病院に勤めていた時に、夜(単身赴任だったので、暇な時にはよく)あるカラオケ・スナックに行くことが多かった。そこでは、プロの歌手もいたし、カラオケの先生も来ていた。
 思うに、カラオケの先生の中には、ブラウン管の有名歌手よりも上手な人、多かった。それも、メチャクチャ上手なのだ。(大川は、元々、古賀政男記念館があるほどで、カラオケの盛んな所だったが)そんな中からブラウン管で多くの人が見るまでの存在になるには、その人だけの力なんて微々たるモノ。コネや人とのつながりが大きい。それに、有線などを通じての投資なども。ブラウン管にしばしば出る様になり、NHKの紅白歌合戦に出れる様になった人は、もちろん、実力もあるし努力もしているが、それ以外のものの方が大きいと思っている。
 大川出身で、NHKにも最近よく出ている「○山たけし」なる歌手のお父さんはカラオケの先生で、一緒に同行したことがあった。プロ意識の強い人で、足をその日の直前に捻挫したのに踊ると言って、添え木をして(私の太鼓に合わせて)どじょうすくいを踊って大拍手をもらっていた時には、世の中には、こんなに芸に徹する人もいるのだと思って感動してしまった。
 有名大学や医学部に入る場合も、同じ感じで、6カ年一貫教育で、レベルの高いカリキュラムや尊敬できる優秀な教師がいて、いい塾に恵まれていたなどが、それに、親の経済力があって、そうなれている場合が多いのだ。だから、たまたまそうなったと思うべきで、それで頭が人よりもずっといいとか(確かに、受験的な才能は認められるが)、それで奥の深い人生の成功者何て言うべきモノではないと思う。
 問題は、それで失ったモノである。それを考える人は実に少ない。そんな人に限って、肩書きで人を判断してしまう傾向にある。世の中に出れば、いろんな価値観の人がいる。エリートは、ほんの一部に過ぎない。いろんな能力の人がそれなりに力を出し合って全体として釣り合いが取れる。自分の一人の力なんて、大したことないはず。支える人がいて、自分を理解する人がいて、多くのことが成就していくはず。そんな謙虚さが、上に立つエリートの人には、大切だ。
 ある中学の校長先生(後、教育長になったが)が私に次に様に言ったことがある、・・・「今までは、頑張れ頑張れと言って、勝つことばかりを奨励していた。しかし、自分の息子が大学入試に失敗して、敗者の気持ちがやっとわかる様になった。それまでは、スポーツの試合でも、勝て勝てとばかりしか言って来なかった。世の中、勝てば負ける人もいる。どんなにガンバッテも負けることがある。そんな負けた子どもの気持ちが分からなかった。負けても、それで人生に負けた訳ではなく、それなりにそこから立派に学ぶべきものが別の角度から勝った時と同じ様にあったのだが、それを教える教育が欠けていた。」と。
 (その校長先生、私の父と師範学校の時の同級生で、父と同じ様に、今は他界されています。)

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国々の人口から見た私見

2008-03-22 09:40:30 | Weblog
 中国、インド、アメリカ、インドネシア、ブラジル、パキスタン、バングラデシュ、ロシア、ナイゼリア、日本、これは人口の多い国の順だ。日本の順位は、年毎に今から確実に下がって行くだろう。
 2050年には、インド、中国、アメリカ、パキスタン、インドネシア、ナイゼリア、ブラジル、バングラシュの順になるとの専門家の予想だ。
 人口の多い国ベスト10では、貧困が切実な問題だ。貧富の差も日本どころでない。
 ちなみに、11位からは、メキシコ、フィリピン、ベトナム、ドイツ、エジプト、エチオピア、トルコ、イラン、タイ、コンゴと続く。
 現在、先進国のフランスやイギリスやイタリアの数は、似たり寄ったりで、6000万~7000万人だ。ドイツは、合併したこともあり8000万に達している。
 余り人口が多いと、末端の状況が中央ではよく分からなくなってくるのではないかと自分なりに考えた。成立直後に、大きな政府と小さな自治体の関係がずっと保てて行ければ、中央で決めたことがよく通るかも知れないが、年毎に地方が力を付けてくると、そう簡単にはいかなくなるだろう。
 ましてや、普段使用する言葉が明らかに違ったり、文字まで違っていたりすると、尚更、難しいはず。
 日本は、日本語で統一しているし、地理的に周りを海で囲まれているので、まとまりやすい。北朝鮮も韓国も、同じハングルを使用しているから、元々は同志と思っているはずだ。しかし、中国では、いろんなトラブルは、今に始まったことではない。チベット自治区だけでなく、ウイグル自治区にしても、話し言葉や文字まで中国語とまるっきり違うわけだから、まとめるのは大変だ(当然、文化や価値観も違うので)。
 バングラデシュは、言葉の違いでパキスタンから独立している。インドのお札には、10カ国語程、いろんな文字が書かれている。インドのカースト制は今も根強く、貧富の差は、日本の比でない。バングラデシュもインドもパキスタンも、人口が多いだけに、国をまとめるが大変みたいだ。汚職や賄賂も、大きな国では、それだけ上の人に権力が集中していることが多いので、多くなっている様だ。
 一方、イスラム教徒が一つにまとまっている理由の一つに、コーランに書かれている言葉を共通語にしていることも上げられると思う。
 日本はいろいろ言われても、1億人以上をよくまとめてきていると思う。本当は、ヨーロッパの先進国の様に、もっと少ない人口の方がよりまとまっていたかも知れない。今から日本の進むべき道は、地方分権を勧めて、政治も教育も医療も地方に独自性をもたせていくべきではないだろうか。
 カナダのケベック州に行った時に、消費税が急に高くなったのには、びっくりした。日本も、早く道州制になった方が、国としてはいいのではと思っているのだが。

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無駄をなくせば・・・

2008-03-21 08:45:23 | Weblog
 日本の防衛費を半分にする法案が可決、これが本当に現実になると大拍手なのだが、・・・民法テレビで、10:8で、太田光総理のこの案が可決した。まあ、政治家のプロでなくても、まともな考え方の人は、ちゃんといるのだ。
 米国にしても、生活が苦しくなれば、軍備を縮小せざるを得ないだろう。何せ、戦争兵器を平気でどんどん作って儲けている国なのだ。もう、そんなカウボーイ的な政策は止めてもらいたいなあ。
 医療が崩壊している。医者が足りない、医療スタッフが疲弊している。教育にしても、多くの批判があり、問題が山積しているのに、何ら抜本的に変えようとしていない。
 プロと名の付いた人の意見も、何かうさんくさい。彼ら(官僚や政治家)によってなされた現実を見ると、はっきり言って現場を知らな過ぎると言いたい。
 看護師国家試験問題における不適切問題をつぶさに見て欲しい。資格試験であるはずの国家試験勉強の為に医学生が難儀している姿を見て欲しい。都会での小学生からの過酷な受験勉強の姿を知って欲しい。学校現場の教師の苦悩を知って欲しい。政治家は、出来もしないことを公約しないで欲しい(日本の子どもの教育上、マイナスです)。無駄なお金が沢山使われている(私利私欲で、なかなか改善できない)。
 奪え合えば足りず、与え合えば余る。自分だけ(自分の国だけ)が幸せなんて、本当の幸せではない。今、正に日本の心が問われている時だと思います。

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私なりの子どもの見方

2008-03-19 08:11:50 | Weblog
 ゆったりとした、図太い鈍感力を身に付けた母親の子どもさんだと、あまり病気にならないし、病気になっても重症にはなりにくい気がしている。そんなお母さんだと、子どもに熱があっても慌てなくて、深夜に来ることはまずない(これが正解の事が多いと思うのだが)。
 子どもの鼻水をすすっている母親にしばしばお目に掛かる。それも、汚い鼻水なのだが。親の愛情を直に感じ取れていいかなと思う。治りもいい感じだ。
 とても神経質で、熱が出たと言っては、ちょっと下痢をしたからと言っては、直ぐに医者に掛かっている親御さんだと、子どももかなり神経質になっていると思う。うんちをした後も何度も拭いて清潔にしている感じの母親。結果的には、マイナスになっているかも知れない。
 夜泣きの時に、抑肝散(や甘麦大棗湯)なる漢方薬を上げることがある。証が合ってホントにそれ以来ピタッと治ることがあるが、母親にも一緒に処方するとより効果がある様だ。
 母親がイライラしていると、子どもの心の寄り所がなくなって、病気がちになっているみたいだ。夫婦の不仲は、最悪。親が学校の先生の悪口を子どもの前で言い出すと、 子どもは当然のことだが、当惑してしまう。同じ様に、親御さんが医療機関を不信に思っていると、子どもも不安になる様だ。やはり、掛かるからには、その医者を信じてもらいたい。
 突飛な意見があって、子どもが熱があって医者に行くと抗生物質と解熱剤をもらう。で、免疫力が落ちて、治りが悪くなるが、親御さんが医者を信じることで、親が安心することで子どもも安心して、それが子どもの免疫力に影響して、少し医者に掛かった方がいい感じになって、病気が少し早く治った感じになるとか?!
 子どものカゼで抗生物質をあげなくなって余り病気をしなくなったとはっきり言ってもらえた母親がいた。解熱剤を使わなくても濡れタオルで拭けばいいと思うのだが、どうも、日本では解熱剤の内服や座薬を上げ、直ぐに医療機関に掛かるのが定番になっている様だ。そして、掛かっても又熱が上がったと言って、時間外に慌てて来ているケースもある。
 
 子どもの見方は、次の4点に注意することが大切だと思います。つまり、「機嫌」、「顔付き」、「食欲」、「睡眠」です。熱、咳、下痢などがあっても、以上の4点であまり問題なければ、あわてる必要はないと思います。その大半は、翌日受診しても間に合うものと思われます。
 しかし、熱はないけど、何となく顔色悪く元気がない(腸重積やショック状態?)、熱はさほど高くないけど、力のない咳をして殆ど飲まなくなって息づかいが何となくおかしい(細気管支炎?)、3カ月未満の子どもの発熱(敗血症や尿路感染症など)、嘔吐が止まらない、顔色がどんどん青白くなっている、痛みがどんどん増している(急性虫垂炎?)、全く眠ることが出来ない、けいれんが止まりそうにない時、意識状態がだんだんおかしくなっている(急性脳症)、そんな状態は救急ですので、直ぐに受診すべきでしょう。

 「熱」について説明します。
 発熱は、熱を出して治そうとしている体の防衛反応ですし、熱の経過を見ることで、病状経過を知ることができます。熱を安易に座薬で下げても、再び上がることが多く、ウイルスがかえって強くなって熱が長引き、又急に熱を下げてもその反動で上がる時にけいれんが起きることもあります。当院では、その様な理由から、安易に解熱剤の座薬を使用していません。熱で苦しそうにしていれば、濡れタオルで、首や脇やソケイ部を拭いてみて下さい。それでもひどくきつそうにしていれば、病院にお電話下さい。急に熱が上がっても、その多くは、あわてる必要はないので、(元気がなければ)翌日の午前中に医療機関を受診して下さい。小児の場合は、熱の原因としてはウイルスのことが一番多いのですが、その多くは上下しながら熱があっても3日間です。
*アデノウイルスやインフルエンザでは、それ以上になることがあります。子どものインフルエンザでは、(麻疹と同じ様に)熱が下がって又上がる二峰性のパターンをとることもあります。子どもの発熱の原因は、細菌感染でなくウイルスのことが圧倒的に多く、細菌性の場合は、一般状態がウイルス性よりも悪くなっています。しかし、インフルエンザとか麻疹は、ウイルスですが、一般状態は初めから良くないことが多いです。

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日本人が失ったモノ・・・

2008-03-18 08:26:12 | Weblog
 (平成20年3月17日早朝の民放テレビで)日本に現在来ている外国人に、日本人が失ったものを尋ねている。
 「努力」、「勤勉さ」、「躾」、「敬語」とあった。アンケートを取った場所や状況で、いろんな見方をしてしまうと思われるが、改めて外国の人からそう言われれば、日本人も少しは反省した方がいいと思われる。
 戦後、会社の為に一生懸命に頑張っていたお父さんが多かった。しかし、今は、いつリストラに合うか分からない時代。それなら、家族を大切にした方がいいと思うのは当然のこと。会社は、仕事のし過ぎで体を壊しても責任取ってくれない。最後の砦の奥さんからリストラされると、元も子もなくなってしまうと、世のお父さん方は考え出したのだ。しかし、与えられたこと以外はしようとせず、地方の財政難の時に、仕事以上の給与をもらっている感じになっている人が少なからずいると思われる。今の日本、ニートも増えているし。
 基本的な躾が出来なくなっている。朝起きが自分で出来る、箸の扱い方がちゃんと出来る、自分の部屋が片付けられる、挨拶が出来る、ありがとうの言葉が素直に出せる、そんなことが出来なくて、次の段階の皆とちゃんとやっていくことをさせられている。自分のことがまず出来なくて、皆とちゃんとやっていける訳がないと思うのだが。
 家庭教育のツケが学校にきて、そんな生徒を相手にしている学校側が難儀し、躾は学校で、勉強は塾でって言うモンスターペアレントまで現れている。しかも、学校の勉強だけでは難関校の合格は無理で、中高一貫教育の学校に行くとか(それに入るのに塾通いを強いられるが)、そんな塾でしっかりと勉強していないと有名大学には入れないシステムになっていて、そのトップが東大と言うことになっている。何と、47都道府県の内、東大卒は24人とか。もちろん、東大卒でも立派な人もいるけど、それまでの受験勉強とか競争競争で視野が狭くなってきているのではと危惧しているのは、自分だけではあるまい。現にしていることをつぶさに見ていると、もっと現場を知ったらと言いたい。
 教育には、尊敬と言う言葉が介在しなければ、成立しない。教える側の情熱と受ける側の積極性がなければ、成り立たない。義務教育の目的は、人格形成にあることを忘れてはいけない。教師も生徒も、敬語なしの同じレベルでは、もうそこには、真の教育は存在しない。



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実践体験(子どもは天才)

2008-03-17 08:45:15 | Weblog
 平成12年、大川市の教育委員会から特別非常勤講師に任命されて、1年間大川市立○海島小学校の小学4年生~6年生に「篠笛と和太鼓(盆踊りを含む)」を教えた。
 そこで、私は多くのことを学んだ。又、そこの学校の先生方も多くのことを学び、そのことで研究発表までしている。つまり、太鼓で学校全体の雰囲気が明るくなり、はっきりと変わったのである。
 具体的には、一人一人が積極的になり、授業中によく発表する様になった。よく挨拶する様になり、礼儀正しくなり、又、チームワークを大切にしてお互いに思いやる気持ちが生まれた。
 そして、何よりも各児童が自信を持ち、アチコチで演奏したくて仕方ない状態にまでなった。

 平成12年4月から始めた。6月頃に生徒にアンケートを取ったみた。それによれば、「楽しくて続けたい」と「きついから、出来たら止めたい」の意見がほぼ半々であった。学校での総合学習では、生徒は好き嫌いに関係なく、全て受けざるを得ない。しかし、時間外の道海太鼓チームとしての練習は、自由参加であった。兎に角、夏の大川市民総盆踊り大会に間に合わせる為に頻回に練習を重ねた。
 そして、その市民総盆踊り大会の時、夏に一生懸命に練習してきた子ども達が、自分と一緒にカッコ良く打てたのである。大人から絶賛された。練習を余りして来なかった子どもの前で。
 それからである、太鼓がいやで余り乗り気に打って来なくて市民総盆踊り太鼓に参加できなかった子ども達が、目の色を変えて練習に励む様になったのは(校長先生の談話)。二学期からは太鼓演奏で誰一人、嫌がる子はいなくなった。

 市民総盆踊り大会だけでなく、老人施設への慰問や秋の体育際や大川市最大の祭りである「大川木工祭」や卒業式など、子ども達は大いに活躍し、大拍手をどこでも受けた。お年寄りが涙を流して喜んでくれたことで、子ども達も大いに燃えた。秋の体育際や木工祭りでは、子ども達と一緒になって、私も楽しく演奏した。
 今でも、まだ、私の創った「個性と調和」の太鼓の曲を道海島小学校の子ども達はそのまま演奏し、又、市民総盆踊り大会の時にも毎年、盆踊り太鼓を打っている。

 学校までの送り迎えを、そこの学校の先生方からよくして頂いたが、その時、担当の男の先生が、深刻そうな顔をして、次に様に言ったことがあった。
「田原先生、一つだけ心配なことがあるんですが」と言う。「何ですか?」と聞くと、「生徒から馬鹿にされてないかとヒヤヒヤしています。生徒の方が覚えがいいので・・・」と言われた。私は、「子どもが覚えがいいのは当たり前です。子どもは天才ですから」と私は言った。
 又、別の担当の女の先生から次の様に言われた、「私達が注意してもなかなか聞かない。しかし、田原先生が話す時、皆真剣に聞いている。どうしてですかネ」。私は言った、「小学校4年生になると、自分よりも出来る人を尊敬する傾向にあるんですヨ。それまでは一緒に遊んでいれば、それだけで充分だったんですが。小学校4年生になると生徒以上にはっきり出来ることをしばしば見せる事が必要と思います」と言った。

 私は、生徒の前で決して叱らなかった。「素晴らしい、覚えがいい」、そして訂正すべき時は、「それでもいいけどこうした方がもっといいかな」。何度しても出来ない時は、「簡単に出来そうで出来ないのが太鼓。練習すれば必ず出来る様になる」。そして、時々言った、「練習は本番、本番は練習」。「上手になる人と下手な人の違いは一つしかない、それは、出来る人は皆の見てない所で一生懸命に練習している。ここでの練習時間は、限られているからたいしたことない」と。


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細気管支炎に対しての私の治療法

2008-03-16 11:37:58 | Weblog
 細気管支炎に対しての私の治療法です。
 細気管支炎、原因の多くはRSウイルス。しかし、RSウイルスでなくパラインフルエンザウイルス(3型)のこともあり。教科書的には、冬、乳児、鼻汁、咳嗽、喘鳴、呼気性呼吸困難(多呼吸、陥没呼吸)、気管支喘息と似ている、熱はないこともあるなどの内容で書かれている。時に、痰が切れなくて、窒息で亡くなることもある。自分の経験でも、深夜の2時~6時の間に、危なくなった例を数多く経験している。
 乳児以外は少ないだろうと思っていたが、検査が直ぐに出来る様になって、2歳~4歳の子にも時にあることを知った。しかし、幸いに、乳児ほど症状がひどくない。
 どうすればいいのか、かなり長いこと悩んできた。ネブライザーをずっするのがいいのか、2~6時間おきに定期的にするすのがいいのか、いろいろしてみた結果、ずっと続けてしなくてもうまく行くことが多いことを知った。しかし、ひどい時には、メプチン+生食(2ml~30ml)を2時間おきにすることもある。何時間おきにするべきか何て、教科書には書けない。それなりに主治医がしばしば診察を細かくしながら決めていくしかない。乳児で呼吸困難が取れず、細気管支炎と思っていたのが気管支喘息で、冷や汗をかいたこともあった。
 ある(研修医に非常に人気のある)病院の「小児科レジデントマニュアル」には、・・・6カ月未満の乳児への抗ヒスタミン剤の含まれた薬剤の投与は、呼吸抑制、意識レベルの低下を来たし、むしろ有害である。そのために入院に至った乳児を当施設は何例も経験した。・・・とはっきりと書かれていた。これで、自分の治し方、少し気を強くした。
 治療はどうするべきか?私自身は、咳止めや鼻水止めは使用していない、ステロイドも細気管支炎であれば、すべきでないと思っているのだが。ある子どもの「お薬手帳」を拝見したら、(私と同じ年代の)ある小児科医の処方には、鎮咳剤や抗ヒスタミン剤が全くされてなかった。それで、又、気を更に強くした。(しかし、多くの例では、咳と鼻水の症状で、アスベリン+ペリアクチンの処方がなんと多いことか。)
 アメリカでは、小さな乳幼児には、簡単に売店で買えるカゼ薬の薬は危険で使用すべきでないと言う意見が最近強くなっている。
 喘息発作の治療に関しても、(よく使用する)去痰剤については、多くの教科書で詳細に書いていない。(しかし、多くの医師が去痰剤を使用しているが)
 細気管支炎が多くて、入院ベッドがなくて、にっちもさっちも行かなくなった。仕方なく、清肺湯なる漢方薬を使用してみた。著効した。私の経験からは、細気管支炎では、清肺湯なる漢方薬を早期から与えると、痰が切れて(熱も下げる働きもあるが)、入院を免れる例を多く経験した。
 細気管支炎では、去痰剤としての(ムコソルバンなどの)粘膜潤滑剤や(ムコダインなどの)粘液修復材や気管支拡張剤も同時に処方しているが、外来通院では抗生剤は使用していない。(遠方の人には、吸入器を買ってもらって、吸入を家で1日に2~4回、してもらうこともある)
 子どものアレルギー患者さんが多くなっている日本で、子どもに売店で気軽に買って来て、咳止めや鼻水止めを上げている例も少なからずああると思うが、少し危険な気がしてならない。


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為になるかも知れない本(その299-8)

2008-03-16 11:15:18 | Weblog
1998年5月31日に、「日本の心・さいき」を、佐伯の三余館で開催した。この時、お茶会も施行。
 
第2回・「日本の心・さいき」(The Spirit of Japan in Saiki)

  世界の子ども達の健全な発育を願い、
  世界平和を強く切望し、
  人間同志だけでなく、
  自然とも、うまく共存して生きて行くことが、
  今の時代には、極めて大切だと考える人達、
  ここに、集まって下さい。

平成10年5月31日(日)
場所 三余館大ホ-ル(お茶会は、1階の実習室)
後援 佐伯市、佐伯市教育委員会

   第2回「日本の心・さいき」での実際の内容
場所:佐伯市三余館
日時:平成10年5月31日
10:00~18:00

1、「国際茶会」(10:00~14:00) 鎌田社中・たはら教室
      亭主:ジャミ-ル、トモ、小学生2人(4年生と5年生)
      後見人:鎌田宗百教授、田原宗正
      立礼(三余館1階実習室)          
      *お菓子は、(田原清子の)手作り
      一服 300円(チャリティ-)
2、挨 拶(13:00~13:30)
      会長
      佐伯市長・佐藤佑一氏
      インドネシア共和国大使館・
      教育文化部長ウィネトウ・ノワウィ
      大分韓国教育院長・孫在奉先生
3、講 演 「日本と韓国」(13:30~14:30)
      大分韓国教育院長・孫在奉先生 
4、書道披露 (14:30~14:50)
      国際書芸展副会長・東九美術書道会長三田井筑翠先生
      (インドネシア共和国大使館・Bapak WISBER・LUEIS大使、
       ウィネトウ・ノワ ウィ氏、孫在奉氏に、
      三田井筑翠先生より、作品贈呈)
      *国際書芸展で文部大臣賞を取得された三田井先生の
      奥さんの解説入りで、三田井筑翠先生の筆により、7枚、
      デモンストレ-ション
      (初めの2枚に、インドネシア語で、
      スラマッ・ダタン・ディ・サイキと、
      韓国語で、オソオセヨと書かれる)
5、仕 舞 (14:50~15:00)
      鎌田宗百教授
6、琴演奏(15:00~15:10) 「さくら・さくら」
      菊島社中(第1琴、第2琴、独奏)
7、インドネシアの舞踊(15:10~15:20)
      佐伯在住のインドネシア共和国の研修生
8、和太鼓演奏(15:20~15:35)
      「番匠奔流太鼓、屋台囃し、女組の3曲」
      若鮎子ども太鼓(会長:大太鼓)
9、インドネシアの舞踊(15:35~15:45)
      佐伯在住のインドネシア共和国の研修生
10、国際語会話(15:45~15:55)
     インドネシア語・韓国語・中国語
11、日本舞踊      「黒田節」
     島田喜和子先生
12、ギタ-演奏・歌
     貴田、ワンダ、ジャミ-ル
13、極真空手披露      板割り等、あり
     佐脇武先生、インドネシア共和国の研修生、他
14、簡化太極拳       「荒城の月」の曲で
     藤田春代先生、会長、他
15、佐伯音頭と炭坑節とばんば踊り
     *全員が、輪になって、踊る。
16、日本舞踊     「いたこあやめ」
     鄭恩淑さん
17、蛍の光
     顧問、インドネシアの研修生、会長
     *日本語、英語、インドネシア語、韓国語で
18、挨 拶
     孫在奉先生
     ウィネトウ・ノワクィ氏
     会長
19、万歳三唱
     鎌田宗百教授(平成10年5月10日に、
     自分の喜寿のお祝いのお茶会と宴会を、
     県外からも、235名も集めて、開催した、
     茶道歴60年、学校茶道33年の経歴の先生)
     
*司会者は、ケ-ブルテレビの女性の専属司会者により行なわれた。
*インドネシア共和国大使館の教育文化部長のウィネトウ・ノワウィ氏は、広報官のモハマッド・クスマン・ブルハン氏と、通訳のダフラン氏と共に来佐した。
*写真:池田有三先生、ビデオカメラ:田原恵子・田原久八郎、
 総務:矢野倫康、
 受付:日本文理大附属高校
*平成10年6月2日の西日本新聞に記載される。
 ケ-ブル・テレビで、放映される。

*現在、三田井先生、島田先生、故人となられています。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

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為になるかも知れない本(その299-7)

2008-03-15 09:45:17 | Weblog
 お茶の道にとりつかれてしまった自分は、小習い16通り、茶箱、奥伝と、次から次へと茶道(正式には、ちゃどうと言い、英語では、The Way of Teaと言う)の世界にめり込んでしまった。
 又、「たはら小児科医院」開業式にはもちろん、閉院式の時にもお茶会を施行した。10人余の小学生だけでなく、インドネシアの人やアメリカの人にも教えていった。
 又、県下のインドネシアの人を沢山集めて、「日本の心・さいき」の会を佐伯で開催した。
 お茶の練習は、土曜の午後に、たはら小児科医院の院長室を使ってした。つまり、開業した4畳半の部屋「たはら小児科医院」の院長室は、正に茶室の造りでで、炉を切っており、訪れるお客さんにお茶を差し出していた。もちろん、昼休みには、たはら小児科医院の職員のお茶の練習場にもなっていた。

*写真は、男茶会。

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為になるかも知れない本(その299-6)

2008-03-14 08:29:48 | Weblog
 自分の子ども二人を入れて、近所の子どもを集めて、小学生にお茶を教えた。教えることで、自分もしっかりと覚えていった。
 大分県保険医新聞平成7年2月号に記載された内容である。
 子どもは天才、私は今もそう思っている。特に、小学校4年生~6年生の子どもは、超天才と思っている。
 高校での学校茶道でもしてない茶箱や濃茶のお点前まで、スイスイと教えた小学生が皆、覚えて行ったのには、驚いた。もちろん、意欲のある子ども達ばかりであったが、友達同志で同時に学び合うことの大切さもこの時に実感した。
 佐伯に「子ども茶会」を初めて立ち上げ、多くの人のたゆまない努力で、今もそれが続いている。しかも、今では、佐伯市内の小学校での総合学習にも、あちこちでそれが取り入れられている。

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