日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

本出版断念

2008-03-10 13:53:24 | Weblog
 本を出版しようかなあという気になっていた。(大学で解剖学を教わった)恩師から本を頂いて、そんな感じになったのだ。来年は還暦だ。自分なりに生きてきた証として、還暦前に出版したい、そんな気持ちで一杯だった。
 昭和43年(1968)から昭和63年1988)までの約20年間の日記をベースに「為になるかも知れない本」との題で、(救急病院に勤める小児科医の日記より)との副題を付けて、エッセイなども入れて、300頁~350頁の内容で、A5版で平成21年3月までに出版したらどうだろうか。今度は、限定版でなく、先に出版した2冊の本と違って、誰でもがどこでも買える本にして、売れることが目的でなく、あくまでも、自分なりに一生懸命に医療に取り組んできた証として出版したいと思っていた。

で、その後ある出版社と相談したところ、過去の日記では、まず受けることは少なく、それよりも、エッセイ集を出版した方が受けるだろうとのこと。ガクッと来てしまって、一応断念することにした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

非正規雇用労働者

2008-03-10 13:25:49 | Weblog
 非正規雇用労働者の数が、労働者の33.5%をも占めている。3分の1をもとうとう越えてしまったのだ。その内、パート・アルバイトが一番多く、1.164万人、契約社員298万人、派遣社員138万人となっている。
 問題は、非正規雇用労働者の収入であるが、200万円未満が77%をも占めている。
 男性が非正規雇労働者としてお金を稼ぎ、それだけで結婚して子どもの要る家族を養っていくことは、まず無理。親と同居して家賃が要らないとか、食事代を親と半々に出来るとか、そう言った条件があれば、共稼ぎをしなくてもやって行けるかも知れないが、人並みに車を持ち、家族が一緒になって外で何かを楽しもうとなると、なかなか経済的には難しいと思われる。
 結婚した男女が共に仕事をしたとしても、両方とも非正規雇用職員だと、やはりそれなりに深刻になると思われる。子どもがいなければ何とかなるかも知れないが、子どもがいて、医療費や教育費に負担が掛かるとなると、子どもが大きくなるに従って必要経費が増大して行き、年々歳々経済的に苦しむことになる。
 周りを見ても、非正規雇用労働者が2つの職場を持っていることも珍しくない。そうまでしないと、家族を支えていけないのだ。昼間も夜も仕事をしていて、ホントにきつそうだ。(家族の為に父親が頑張っているケースが多い)
 行き着く所は、如何にして支出を切り詰めるかとなるが、これにしても、ある程度まで行けば限界に達してしまう。
 田舎に行くと、お年寄りの人が、年金だけで生活をしている。そんな人は、家は自分のモノで、自分の畑で野菜を植えて、自給自足って感じで、又、周りの人がお互いに食べ物を持ち寄っている。隣の冷蔵庫の2番目の棚に何があるのかまで、知っているとか。
 一人で生き抜くことが出来なければ、周りと協力しながら生きるしかない。奪え合えば足りぬ、与え合えば余るとの相田さんの言葉もある。
 タイでは、気温が暖かく、食べる物がない時には、周りの人が恵んでくれる。又、医療費にしてもどんなに要っても(貧乏な人は)1日100円ほど。
 日本の若者の中に、収入も少ないのに新車を買って月賦月賦しているのって、正常とは言い難い。車を親が買ってあげてる甘やかしのケースもある様だが。公共機関をもっと利用できる様にするべきではないだろうか(そうすることによって、地球温暖化の問題も少しは解消されるだろう)。食料自給率が極端に低い日本でも、作り過ぎて(価格が下がってもうけが少なくなると言うことで)野菜を捨てることもあるとか。こんな馬鹿なこと止めるべきだ。
 まあ、日本人の好きなマグロ、その中でも最も高価なトロ、豚肉では、最も高価なロース、牛肉では霜降り、そんなものばかり食べていたら、それこそ生活習慣病になりますね(それで、又、医療費もアップします)。
 お金を子孫に残して子どもがふがいなくなっているケースも、沢山見てきていますが。子孫に美田を残すなって言葉、再認識したいと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その299-2)

2008-03-10 09:38:19 | Weblog
 8:00過ぎに養賢寺に着き、直ぐに鎌田先生から東京の義理の兄から借りた着物を着せてもらい、(鎌田先生から借りた)袴を着せてもらった。練習を我々男性二人は昨日その場で何度もしていたので、(もうどうにでもなれって感じになっていて)しなくて、もう一人の女性の練習でのお点前を見た。自分とは桁外れに上手で、さらさらと水が流れる様であった。
 自分の英会話の先生であるポール(カナダ人で、写真を撮りたがっていたので、予め許可を得ていたが)待ち合わせた時間通りに9:00前に来たのに準備が遅れて、一番初めにする自分の番が始まったのが、10:00前であった。
 1番目田原、2番目梅田、3番目宮崎、4番目田原、5番目宮崎、6番目梅田、7番目田原、8番目梅田の順だった(宮崎:女性)。
 1回目のお点前:もうスゴク緊張していて、正客の顔も覚えていない。この想像してきた以上に長きに渡る静寂さには参った。柄杓(ひしゃく)は震うし、茶杓(ちゃしゃく)は棗(なつめ)に上にちゃんと乗らないし、湯を釜からこぼすし、上手にお茶を点てられないし(抹茶がそおままお茶碗に少し付いていた)、教科書通りに正客がおしまい下さい」「お棗、お茶杓の拝見を」と言わないし、面食らってしまった。
 ただ、後見人が鎌田先生の息子さん(翌年に県の青年部の部長、整骨師)であったので、最後の方になってやっと心拍数が100回/分になってきたと思った。兎に角、自信がなかったことが本番で上がってしまった元凶だと思った。この時、この経験はお茶以外でも応用できると思った。どんな時にも平静なる心でいられる様に、このお茶の道を通じて自分を鍛え上げなければいけないと思った。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする