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佐伯の医師不足「深刻」 署名5万人

2008-01-19 09:48:05 | Weblog
産科と脳神経外科 佐伯の医師不足「深刻」 署名5万人

 佐伯市自治委員会連合会(山中琢磨会長)は10日、同市の地域医療充実と、脳神経外科、産科医の確保を求める市民ら50.801人分の署名を県に提出した。
 佐伯市内には3病院に脳神経外科があるが、常勤医はそのうちの1病院に1人しかいない。3病院とも緊急手術の対応は難しく、1時間以上かけて大分市まで搬送しているのが実情という。産科医は1病院・1人のみ。ほかに助産院が1施設ある。今年9月に産科診療所が開設予定。
 同連合会メンバーや西嶋泰義市長ら12人が県庁を訪問。山中会長は「医師不足によって救われるはずの命を失うことも考えられ、不安な生活を送っている」と訴え、阿南仁福祉保健部長に署名簿を手渡した。
 西嶋市長らも「佐伯市は面積が広く救急搬送に時間がかかる上、高齢化が進んでいるため脳神経外科医不足は深刻な問題。手術や治療は1分1秒を争うだけに、医師確保に努めてほしい」と、厳しい状況を説明した。
 阿南部長は「署名を重く受け止めている」と返答。県が医師確保対策に取り組んでいることを説明したが、「新医師臨床研修制度によって研修医の大都市流出が進み、地方での医師確保が難しくなっている」とも述べた。
(以上1月11日の大分合同新聞より)

 医療訴訟の多い科は、脳外科と産科である。小児科や産婦人科などのきつい科では、どんどん集約化が進んでいる。つまり、厚生労働省の方針では、集約化に漏れた医療機関の周辺の人には、我慢して下さいって感じになっている。今までは、何故それが出来ていたのか。それは、数少ない小児科医や産科医や麻酔科医が無理をして医療をしてきていたから。で、そんなにしてきても今は刑事事件になる時代だ。一生懸命にしても、結果が悪いとクレームがつく。忙しいでは、言い訳にならない。
 今やセカンドオピニオンやサードオピニオンを求める患者さんは多くなり、どこで医療するにしても、患者さんが充分に納得出来る医療をしていないと難しい時代になっている。
 要求がより強くて必要性がそれなりにある地域に医師派遣が出来ればそれにこしたことはないが、最大の問題は、時代に即した絶対数が足りないのである。しかも、この集約化の動きは、医師不足に拍車をかけて進むばかりである。専門医が求められる科の脳外科と産科、どこも喉から手が出るくらいに欲しいはず。しかし、現在、訴訟を恐れて、病院勤務の産科医数も脳外科医数も、絶対数がじり貧だ。
 次の様な方針をとっているある大学の産婦人科の教室がある。産婦人科の医師として、常勤医が1人しかいない病院に、大学から若い優秀な先生を派遣したとしても、その常勤医の先生が不在の時は、全て、大学からのその先生が責任を持ってすることになる。もしもの時、直ぐに助けが求められないので、少なくとも現在2人の産婦人科の常勤医がいる病院でないと、大学からは送り難いと。
 自分と10年余一緒に仕事をしてきた産婦人科専門医が私にこう言った、「兎に角、(赤ちゃんを)出せば小児科がちゃんとしてくれるので、ハイリスクでも、それまで頑張ればいいと思ってやっている・・・」と。(今は、大学の応援なしで、一人で頑張っておられる)
 又、やはり10年余一緒に仕事をしてきた脳外科専門医が私にこう言った。「乳児の場合どうしようかと、ずっとここに就職するまで考えていた、・・・」。で、そこでの初めての乳児での脳外科の症例で、しばしばミルクの量等を尋ねられていたが、その後は、脳外科の先生からしばしばアドバイスを頂く感じで(10例近く)私が主治医で、(脳外科の先生からは、手術と術後のガーゼ交換を主体にして頂いて)上手くやって行くことが出来た。その先生から、私は多くのことを学んだが、先生に付いている脳外科のナースの教育も、独自のテキストまで作成して、徹底的にプロの看護を目指していた。 
 その脳外科の先生がある時、私に次の様に言った、「脳圧が高くなっているのをナースが30分以上気が付かないでいると、脳ヘルニアを起こしてしまって間に合わない。ドクターは、自分のエネルギーの7割を使って仕事をしておくべき、そうしないと、いざと言う時に10割の力が出せない。」と。(熱心な先生で、殆ど毎晩、病院に様子を見に来られていたが)
 日本の周産期死亡率や乳児死亡率や新生児死亡率は、正に世界のトップレベルだ。しかし、小児科医数(ベッド数に対しての割合)が多くの先進国の半分以下となっている。脳外科医がある救急病院で積極的に仕事をすると、その地域周辺での交通事故死亡率が明らかに減少している。
 多くの国民の意識を変える必要があると思う。医師を増やすことにお金を惜しまない。実際に現場で働いている脳外科医や産科医の意見を反映させる。
 しかし、米国の様に、医療訴訟は益々エスカレートしているのが現実だ。イギリスの様に、日本も、一度は行き着いてしまうのかなあ。

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為になるかも知れない本(その251)

2008-01-19 09:29:27 | Weblog
○昭和61年1月4日(土)晴。
 朝7:00ちょうどから診た。外来、230人診た。何と、今日22人も帰した。宮医大から○○先生が17:00から来てくれた。嬉しい。
○昭和61年1月5日(日)晴。
 保険の注意書きで病院に行った。1100gの子が仮死状態で亡くなった。○○先生、「バリバリ働かせて下さい」と言ってくれた。正に、○○先生は、自分にとっては救世主だなあ。
○昭和61年1月9日(木)晴。
 停留睾丸の手術の子を医大に紹介して退院して来て、父親からお礼を言われた。大学の教授がスゴクおっかない先生で、主治医の先生を叱りとばしていたとのこと、しかし、紹介した自分のことを褒めていたとのこと。めったに褒めることのない先生らしく、珍しいと父親が言ってくれた。片方だけある場合は、それが全く触れていなければ2歳で、触れていても、両側が停留睾丸の場合は、やはり2歳で手術した方がいい、片方だけでちゃんと触れていれば、5歳まで待てると親にアドバイスしただけなのだが。
○昭和61年1月11日(金)晴。
 夕方津久見から熱が5日続いている子が来た。血沈が促進していて、眼球充血があり、口唇赤くて苺舌がある。MCLSかなあ。土曜にひどいのが来るときついなあ。それも、夕方なんて。
○昭和61年1月13日(月)晴。
 ヒスシュスプルング病の疑いの日齢2の子と1ヶ月の肺炎の子、少し危ないと思っていた。が、ヒルシュ疑いの子、48時間経過してレントゲンでガス像が下までずっと追えて、浣腸して便が沢山出た。良かった。急いで小児外科に送るべきかと思っていたが、違っていた。やはり、頻回に同じ人間が診ることと、診る人間もそれなりの経験を積んでおくことが大切だなあ。
○昭和61年1月29日(水)晴。
 (水曜の午後は、大分医大の先生が来てくれているので)久し振りに「串の豊」に行った。恵ちゃん、とっても喜んでいた。やはり1週間に1回は、外食した方がいいなあ。そうしないと息抜きにならない。如何にして上手に息抜きをするか、気分転換をはかるか、これが問題だなあ。朝の7:30から診る様になったので、午前中がゆっくりとした感じになっている。
○昭和61年1月30日(水)曇。
 宮医大にCHDを送った。心雑音が送る時点で、少し小さくなっている感じがした。何故かなあ?夜、宮医大に電話したら、○○先生が出た。懐かしかった。(同時に県病に就職して一緒に仕事をしていた)彼は、今、どんな心境で大学にいるのかなあ?入院するはずの○○さんが来なかった。こちらに不信感を持っているのかなあ?約束を守らない人、お金を払わない人、いろんな人がいる。それでも感謝して耐えることだ。


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