日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

ランタンフェスティバル(その4)

2009-02-03 14:41:44 | Weblog
 平和公園を後にして、「浦上天主堂」に行くことにした。せっかく500円で、「電車一日乗車券」を買ったのだからとの家内の意見で、浜口町から次の電停の松山町まで、電車で行った。で、テクテク歩いて、「浦上天主堂」に着いて思った。以前、家内とここに行ったと思っていたのは「(グラバー亭の近くの大浦天主堂」の間違いであった。
 で、今回、も一つ、間違っていたことが判明した。被爆後の水分補給を避ける理由のこと。原爆記念館で、解説してくれていた人に、「被爆の後、水を飲んだら(死んでしまうので)いけないと聞いていたのですが、どうしてですか?」と尋ねた。すると、その人は、「それは、軍の教育です。間違った教育です。飲んで助かった人がいますし、飲んでも助からなかった人もいます。軍の方が、飲んではいけないと指導していたんですよ。」と言われた。この時、今まで自分がずっと疑問に思っていたことの扉にやっと光が差した感じだった。
 「大浦天主堂」、驚いたのは、原爆の跡形をそこに如実に残していたことだ。正に、これは、キリストの嘆きの姿だなあと思った。

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ランタンフェスティバル(その3)

2009-02-03 13:01:44 | Weblog
 平和公園に、いろんな彫刻があった。どれも、力作だが、やはり、断凸、自分の心に響いたのは、北村西望氏の平和祈念像だ。とても柔和な顔に、逞しい肉体。
 大学受験の時と宮医大勤務前の時にも、今までに恐らく2回も平和公園に来てるはずなのに、この記念像だけ少し記憶にあるだけで、周りの景色など、全く記憶にない。頭は、受験のことや仕事のことで、自分にゆとりが全くなかったのだなあ(1浪の時に長崎を受験して、不合格)。
 真珠湾攻撃に使われた母艦が長崎の三菱造船所で造られ、その長崎に原爆が落とされて、終戦となった。正に、長崎は、大戦の初めと終わりに深く関係しているんだなあ。

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