山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

「中国共産党、その百年」を読んで、中国共産党を考える

2021年09月01日 09時42分38秒 | Weblog
 石川禎浩さんの「中国共産党、その百年」を読んだ。比較的平易な文章で読みやすく書かれている。石川さんは京都大学の人文科学研究所教授だ。
 書評風の感想文ではなく、わたしの中国共産党への抱いてきた思い、現在の評価等について書いてみたい。年初以来、いくつも感想文を書きたい書物があったが、荷が重く課題を果たせていない。しかしこの本については、読んだ後もういちどメモを取り、書こうと思った。でも最終、自分の中国共産党についての考えを書くこととした。

①今年は中国共産党創立100年だ。中国ではマルクス主義の文献がその多くを日本経由で、日本語からの翻訳で導入している。マルクス主義の導入と革命運動の進展は順が逆になっている。日本は、天皇制を中軸とした絶対主義的ともいえる強固な支配体制が確立していた。徹底した弾圧体制が敷かれていた。一方中国は、1911~12年孫文の辛亥革命で封建王朝の清が倒れ、国民革命の道が始まるが、袁世凱など軍閥支配へとねじ曲げられた。孫文が中国国民党を組織し国民革命推進をはかる中、1921年中国共産党が発足した。24年、国民党に共産党員が入党する形の国共合作が成立し、中国共産党は国民党とともに国民革命をすすめる役を担った。順調に党員も拡大していった。
 徹底した弾圧下の日本と思想警察もなく統一国家への国民革命を民族挙げて進めている中国とのあいだで、マルク主義と革命運動のおかれた歴史的条件はまるで違っていた。
 中国で「共産党宣言」が日本語版からの重訳で出版されるのは1920年、党創立の1年前である。日本では、1904年に堺利彦が幸徳秋水との共訳で「平民新聞」に、1906年に堺が「社会主義研究」第1号に全文を載せた。
 中国でマルクス主義への研究と理解が初発の段階で十分ではなかったことはその歴史的条件によるが、革命後70年余経ってどれほど進展したのかは責任がともなう。

②わたしのこれまでの中国への関心は、日本帝国主義の中国侵略、日本軍による蛮行とこれへの中国人民の抵抗にあった。とくに南京大虐殺に大きな関心を抱いてきた。南京には何度も訪れ、紀念館見学、生き残った方々(幸存者)からの聞き取り、虐殺現場となった水辺や女性への暴行が行われた金陵女子学院への視察などを行った。
 日本では、90年代半ばから歴史修正主義の逆流が仕組まれてきた。その中心は安倍前首相だった。これに呼応したのが藤岡信勝らの自由主義史観グループだ。その最初の歴史修正テーマが南京大虐殺だった。その後、慰安婦、沖縄集団自決などに拡大した。真理の探究ではなく、特定の政治目的のために歴史に接近し、それを偽造するのだから、学問レベルではすぐに決着がついてしまう。しかし真実の前にこうべを垂れるという姿勢がない彼らは、証拠を示されても何度でも同じことを繰り返す。学問ではなく政治運動をしてやっているのだから。歴史修正主義の教科書をつくり、これを自民・維新が権力を握っている地方で教育委員を入れ替えし、思い通りに教科書採択して子どもに押しつけた。一時相当の広がりをみせたが、良識の反撃で押し返している。
 わたしは、南京については、読めもしないのに中国語の研究書もいくつも買ったりもした。

③革命後の中国党史については、反右派闘争、大躍進と人民公社、文化大革命、改革開放から法の不備を放置した格差拡大容認、天安門から香港に至る人権・民主主義抑圧について関心を持っている。
 1949年、国共内戦を制して中華人民共和国の宣言がなされた。毛沢東は1956年、「百科斉放、百家争鳴」を提唱し自由な議論を推奨するが、翌年、右派への反撃を命じた。反右派闘争だ。毛沢東は抗日戦争中から、整風運動といって、自己批判と毛沢東への屈服を表明する思想運動をしていた。石川さんによれば、1951年には上海では年に1000~2000人を処刑しなければ右派を抑えられないと、4月だけでも285人を反革命の罪で銃殺刑にしていた。毛沢東は、右派の割合は5%だと規定した。スターリンと相通じる、特定の指導者にすすんで服従する恐怖の組織体制づくりを身につけ徹底していった。
 1956年には、200~300戸による高級合作社、1958年には「大躍進・人民公社」政策により、8000~1万戸レベルの農業集団化をすすめた。強引な集団化はソ連で失敗の前例があるが、毛沢東への追従の下、主観主義的な「大躍進」は誇張した成果報告が集まるばかりで、その実は無残なものだった。飢餓栄養失調は1000万レベルの命を奪った。
 これに対し、政策転換(調整政策)をはかったのが劉少奇だった。市場経済の一部導入、農業税引き下げ、自留地耕作等で生産意欲を刺激した。その結果60年代前半は経済は成長した。
 ところが、これへの歴史的猛反撃をしくんだのが毛沢東だ。1966年からの「文化大革命」だ。社会主義の仮面をかぶりながら堕落させるのがフルシチョフ、劉少奇だと。劉は党内最大の実権派だとし、「造反有理」をかかげて、青少年をたきつけ、大々的な党攻撃を組織した。8回にわたり、毛語録をかかげた100万単位の紅衛兵を天安門にあつめた。多くの有能な幹部、知識人が攻撃され、人格的な屈服を強いられ、命をも落とした。
 文化大革命というから、社会主義の運動も新たな段階に発展したかのようにいう風潮が日本のマスコミでは吹聴された。だが実質は毛沢東による暴力的な奪権闘争でしかなかった。社会主義ともマルクス主義とも無縁の野蛮で非人間的な権力闘争だった。石川さんは資料が不十分で十分究明ができていないという。
 わたしは文化大革命といえば忘れられない思い出がある。1967~68年頃、中国の書物を扱っている書店に勤めていたある友人が顔を青黒く腫らして登校するようになった。彼の会社にも文革が押し寄せ、毛沢東への屈服を強いてきた。それを拒否した彼は、毛派社員から暴行を受けるようになった。
 それと忘れられないのが「四つの敵」論だ。中国人民には4つの敵がある、アメリカ帝国主義、ソ連修正主義、日本軍国主義、日共宮本修正主義集団がそれだというのだ。あめりか、ソ連に加えて日本軍国主義はかつて侵略された経験から軍港主義化の危険を増大させている状況を見て、警告的に規定したのはわかる。ところが日本軍国主義の復活に正面から闘っている日本共産党を中国人民の敵だというのだから理解に苦しむ。これが毛沢東の世界の情勢把握なのだ。もしかして日本向けに特別に4つの規定をしているのかと思ったりもしたがそうではなかった。世界で4つの敵だという。理解不能、主観主義的な情勢分析だ。

④1976年毛沢東は死亡し、文革は終了した。1983年から行政単位としての人民公社は廃止された。
 1978年、文革を生き延びた鄧小平が「改革開放」政策を出した。劉少奇の調整政策ところではない、全面的な市場経済の導入だ。国家統制による製剤運営ではなく、市場システムを利用して経済運営するのは、社会主義経済のあり方としてありうる。ソ連式計画経済が非効率、官僚主義の温床となり、経済運営には適さないことは歴史的に証明されている。だから市場システムを利用するのは正しい。だが、市場経済が100%資本主義経済となってしまっては、社会主義はごまかしとなる。現実の中国はほぼそのごまかしの姿となっている。資本主義とは永続的な利潤追求、自己増殖の運動だ。内部に自己を規制する動機も装置もない。
 市場は、原材料や部品の調達を適切に行ううえで有効なシステムだ。ただ、過剰生産や在庫などの問題を生む。しかしそれもやがて市場は解決する。必要なのが資本主義のシステムへの人間的な規制だ。労働者の保護、資源の浪費規制、環境保護、利益隠匿規制、法人税・累進課税・相続税などで所得の再分配を制度化することなどが不可欠だ。企業経営の形態では、国営企業、集団企業、株式会社、個人企業など各種ある。
 限りなく国営をふやしていって社会主義が完成すると考えていた時期もあったが、現実的ではない。資源の制約や自然保護、生命・安全などにかかわる分野は国有の意義はおおきいが、要は企業がいかに暴走しないかが重要だ。
 鄧小平が「改革開放」を導入するとき、まず先に豊かになれる人が豊かになり、ついであとからそれにつづくという説明をしていた。わたしはそれを牧歌的にとらえて、一度に全員というわけにいかないから一部が先に2階に上がり豊かになる、ついで順次残った人が2階に上がるという計画だととらえていた。ところが先に豊かになった者が、それを資金にどんどん利益を増大させる。資本主義全面展開だ。豊かに鳴った者が、貧しい者の手を引いて2回に上げる仕事をするというシステムは構想されていなかった。
 いまや、中国が世界1、2の格差社会だということは周知のこととなった。昔ながらの内陸部農村の貧困がある一方で、大都市の資本家の富裕ぶりは世界轟いている。
 結局、鄧小平には経済発展しか頭になく、社会主義の理想は忘れられていたのだろう。毛沢東の極左主義、主観主義が社会主義とはもちろんいえないが振れ幅が大きい。
 社会保障については、現在、健康保険、年金制度が整えられつつある。かつては人民公社や国有企業が自己完結的な単位としてそれらの機能を程度に問題はあろうが担っていた。
 中国が格差社会となっている最大の問題はザルのような税制だ。日本の法人税に当たる企業所得税は日本より安い25%だ。消費税に当たる増値税はモノで16%、サービスで6%だ。個人所得税は3~45%の累進課税だが(日本は5~45%)、問題はその捕捉率だ。労働者は源泉徴収だが、高額所得者の所得はザルから抜け落ち不当な蓄財が放置される。2017年の日本の税収34兆円のうち所得税は11・6兆円34・37%だ。中国では2017年税収276兆円のうち個人所得税は19兆円6・93%しかない。一般労働者は税率の低い中低所得者が多いということもあるが、主な原因は高額所得者の捕捉率が低いことによる。日本でも抜け道や優遇策で高額所得者の実質税率が低いことが問題になっているが、世界第2の経済大国の所得税の徴収額がこのように貧弱なことは偽りの社会といわざるを得ない。
 加えて中国には、相続税・贈与税がない。封建社会の税制だ。相続税・贈与税の案はすでにあるが、高級官僚、党幹部、資本家の妨害で実現する見通しはない。世代を超えて蓄財がすすみ、格差はさらに拡大し固定する。 
 自由の問題に目をつぶるとしても、平等こそが名前だけでも社会主義を自称する根拠だ。そこが完全に崩れている。理念も実態も。19世紀的国家資本主義としかいいようがない。中国共産党は共産党とはもういえない。マルクス主義をかかげる資格はない。
 毛沢東の時代は極左主義、鄧小平以後は社会主義を放棄した資本主義的強肩国家に変質した。初期のころからマルク主義の研究・探求が弱いとみていたが、建国後は多くの時期が極左主義にとらわれた国家建設だった。後半はマルクス主義なき経済至上の強権国家建設だった。
 わたしは抗日戦争中の共産党が指導する八路軍の「三大規律、八項注意」、とくに農民のものは針一本、糸ひとすじも盗らないという行動規範が農民の信頼を得、中国革命を成功に導いたと思っている。その原点はどこへいったのか。ところがなんと、習近平の下、抗日戦中の逸話が中国共産党100周年記念の思想教育の教材として持ち上げられている。長征の途上、貧しい農民の家に一夜の宿を得た紅軍女性兵士が自らの携帯用の布団をお礼に差し出そうとするのを農民は断る、それならと布団を半分に切って渡したという話だ。共産党の紅軍と農民の間であったことだろう。だが古い逸話を今持ち出して子供たちを教育するのは間違っている。その逸話は党幹部や官僚に対して教育すべきものだ。抗日戦でかかげた理想を今どのように実践しているのか、どこまで到達したか、理想に反しているならどこに問題があるのかを明らかにすることが幹部の仕事だ。

⑤習近平指導下の中国は、大国主義、覇権主義の道をつきすすんでいる。南シナ海、東シナ海での覇権主義は目をおおうばかりだ。その根拠に国際法的には何の意味もない、議論の相手にもされない「九段線」なる海洋権益線をふりざして国際法違反の行為をくりかえす。「一帯一路」政策も、港湾や道路建設を借款と工事をセットですすめることで借金で縛り付ける新植民地主義的な手法も行っている。
 中国本土ではもはや思想言論の自由は圧殺されている。ウイグル族や香港へのあらたな弾圧は猖獗を極めている。香港2制度の国際公約も国際人権規約も
カエルのつらにしょんべんだ。マルクス主義をかかげるなど恥ずかしくてできない地点に立っている。












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