菅首相が退陣表明に追い込まれた。支持率低下が止まらなかった。国民から見放されたことの表れだった。
菅首相の声は国民にとどいていないと1年いわれつづけた。委員会答弁でも記者会見でも官僚や秘書が書いた文章を棒読みするばかり。棒読みのあげく、大事な部分を読みとばしても気づかないままだった。表明会見も不十分な説明で身をひるがえす。無責任だとの批判を背に浴びながら。自分のことばで語らない。たまに自分のことばの時でも温かさがないからいっしょだ。
もともと、7年半も官房長官として安倍強権政治の番頭をつとめてきた。官房長官時代のことばは、とりわけひどいものだった。「それは当たりません」と切り捨てることばばかり。意見は違っても、かみ合わせて議論しようという気が全くなかった。切り捨てることで権力の怖さを見せつける、そこに心地よさを感じていたのだろう。根っからの権力者だ。民主主義の政治家とは縁もゆかりもない。東京新聞の望月衣塑子記者に対する威圧的な態度は象徴的だ。
菅首相の権力むき出しの姿勢がきわだっていたのが沖縄への向き合い方だった。自民党の政治家でも以前は、沖縄は戦争において、また戦後も日本の犠牲となったことへの後ろめたさをともなった理解と寄り添う姿勢をもっていた。ところが、菅氏は「私は戦後生まれで沖縄の歴史は知りません」などと平気でしゃべった。体験したかどうかが理解の分かれ目ならば、およそ歴史は一切理解不能ということになる。歴史や人の痛みに思いを致すということが、政治家にとってもっとも必要な徳だ。辺野古の埋め立てを「粛々とすすめる」と沖縄県民の気持ちをはねつけてきた姿勢は必要な徳の正反対だった。
菅氏のこの基本姿勢が首相在任1年の間、ずっとにじみ出ていた。