山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

自民党内の選挙を国民的行事に祭り上げて世論を誘導する

2021年09月26日 22時43分01秒 | Weblog
 9月29日自民党総裁選挙が行われる。9月3日に菅首相が政権投げ出しを表明したことに伴う党内選挙が行われる。
 その選挙は党内規定に従ってしっかり実行すればいいだけだ。問題は、国民的大行事であるかのようにマスコミが大騒動に仕立て上げていることだ。今の国会議員の体制の下では、次期自民党総裁は国会において次の総理大臣に選任されることは事実だ。だが次の総選挙で自民党総裁が総理大臣になるということは予定された事実ではない。
 この20日余りのテレビの異常は過去の記憶にない。4人の候補者それぞれの個人のプロフィールに始まって、にわか作りの政策らしきものがさも素晴らしいかのように持ち上げられる。しかも、かつて主張していた内容が安倍前首相への忖度から別物に置き換えられる。噴飯ものとしかいいようがない。コロナ禍の対策でも野党がくりかえし求めてきた対策を持ち出したりするが、それなら、一番必要だった時期に何故主張し実行してこなかったのか。アベスガ強権政治のシンボルの森友・桜・日本学術会議への反省と是正の意志表明はいっさいない。これではアベスガ政治そのものではないか。この20日あまりのテレビ騒動は、何か新しい政治が生まれるかの幻想を作り出す世論操作でしかなかった。もとよりアベスガ政治の下でぬくぬくとしてきた候補者たちのお祭り騒ぎで何か新しい民主政治が生まれると妄想するのはあまりにもお人よしだ。
 ここで放送法に立ち返って、テレビの一連の姿勢を検証しなければならない。放送法第4条では、政治的に公平であること、報道は事実を曲げないことが定められている。公平ということは自民党内の4人の候補者を公平に扱うことではない。この総裁選は菅氏の辞職表明に伴うもので総選挙に直結するものだ。現時点ではちょうど1か月後に衆院選の公示となる。
 この20日余り、総裁候補の家庭内の事情にまで立ち入って紹介して好印象を引くように仕組まれた番組、個々人の政策がさも素晴らしいもののようにしつらえる。しかも許せないのはその政策への批判が一切ないことだ。これほど政治的な問題にもかかわらず、公然とした批判の場面が設定されないことが意図的だ。反体政党の側からの批判、討論がない政策などほとんど漫画としかいいようがない。批判にさらされない政治ほどいかがわしいものはない。そんな場面設定をしているテレビ局は政治報道をする資格がない。
 だが問題は生易しくはない。すべてのテレビ局で、毎日、アベスガ強権政治への検証はいっさいなしに、自民党政治持ち上げのお祭り騒ぎを続けてきた結果、自民党支持率は10ポイントも上がった。10ポイントは1000万票に相当する。
 いや、もとより政治報道などしているつもりはないというだろう。そのとおりだ。やっているのは政局報道だけだ。政治的には無意味のというより悪質な政治的意図を持った自民党持ち上げの政局報道だ。これだから日本のテレビ、そして同等の新聞もジャーナリズムとしての資質が問われる。
 暗澹とした気持ちになる。テレビ局への批判を集中しよう。総裁が決まれば総選挙に事実上突入する。自民党持ち上げなどふざけたことを許さない批判をテレビ局に収集する必要がある。

 
コメント
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