山上俊夫・日本と世界あちこち

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強権による「君が代」強制の撤回を訴えます

2011年05月27日 10時37分06秒 | Weblog
 大阪維新の会が、5月府議会で公立学校教員に君が代の起立斉唱を義務づける条例を制定するとしている問題について、組合が府庁周辺で配布した(2011・5・25)ビラの内容を以下に紹介します。

 「強権による『君が代』強制の撤回を訴えます」

 脅しや命令によって教育を左右することは誤りです
 5月17日、橋下知事は「大阪維新の会」が府議会で過半数を占めたことを背景に「時の権力に仕えることが国民・市民に仕えること」「従わないものはやめさせる」として卒業式等での「君が代」斉唱に際し教職員の起立を義務づける条例を制定することを明らかにしました。
 処分の脅しを背景とした「命令に」よって教職員の良心を縛り、生徒・府民への「君が代強制」を進めよとするこの強権的なやり方は、教育を歪める不当な介入そのものであり、私たちはその撤回を強く要求します。
 「時の権力に仕えることが国民・市民に仕えること」という知事の主張は「戦中は『鬼畜米英』と教えた同じ先生が終戦後は豹変しアメリカ占領軍を礼賛した」という例(朝日5・17付投書「鬼畜米英叫んだ教師の豹変」)に象徴されるような無惨な教員類型を良しとするものに他なりません。しかし、このような教育や教職員のあり方を再び生み出してはならないという決意こそが戦後の新しい教育のスタートでした。
 学校教育法28条は「教諭は(児童の)教育をつかさどる」と簡潔に教員の職務権限を定めています。しかし戦前の法律は「訓導ハ校長ノ命ヲ受ケ教育ヲ掌ル」(国民学校令第17条)でした。真理・真実、良心に基づくのではなく「上が命じたこと」を無批判に教えさせるという教育政策をすすめたことがついには国を誤り、無謀な戦争で周りの国の人たちにも大変な災厄を与えるに至ったことへの深刻な反省が行われました。戦後教育法制の確立にあたっての国会論戦では山本有三氏(緑風会参院議員・作家)らのこうした提起を受けて学校教育法から「学校長ノ命ヲ受ケ」が削られたという経緯を重く受け止める必要があるのではないでしょうか。

 国旗・国歌法は義務化、強制をしていません
 1999年、国論を二分する論議のなかで国会での多数によって議決された現在の国旗・国歌法は「1、国旗は日章旗とする。2、国歌は君が代とする」と定めています。しかし、わずか2条のこの法律には何ら義務づけや罰則の規定はありません。その制定の過程では当時の小渕首相や野中官房長官、有馬文部大臣らによって繰り返し「義務づけはしない」「強制はしない」ことが答弁され、その後も「教育委員会と教職員組合の間で、立つ、立たん、歌う、歌わんで処分までやっていくというのは、制定に尽力した私の気持ちとしては不本意で、・・残念に思っています。」(野中広務氏、日弁連「自由と正義」2007年12月号より)とされています。

 学習指導要領は教育の内容、方法を学校の判断にゆだねています
 卒業式での日の丸・君が代に関わる職務命令やそれに基づく教職員処分の根拠とされているのは学習指導要領・特別活動の項にある「入学式や卒業式などにおいては、国旗を掲げると共に国歌を斉唱するよう指導するものとする」という規定のみです。
 しかし、学習指導要領はもともとが教育の全国的な水準を維持するための「大綱的な基準」であり、「法的拘束性」を持たせることへの疑義が繰り返し表明されています。教育のあり方自体として、指導要領そのものを廃止して学校現場での実態に則した教育課程編成ができるようにすべきであるという方向性が自民党政権時に出された経緯さえあります。
 「教育内容への介入は抑制的であるべき」との最高裁判決をうけて、学習指導要領は具体的な教育の内容や方法については記さず、個々の学校の判断にゆだねています。卒業式の内容についても、子どもたちの門出を心から祝い励ますことを主眼とした学校独自の創意ある実践を次々につぶし「日の丸・君が代の扱いについての望ましい形」まで押しつけている現在の教育委員会のやり方は、こうした学習指導要領のあり方からさえ、既に大きく逸脱しています。

 学校教育で国旗・国歌を強制する国は少数です
 多くの国でも国旗・国歌に対する尊重と教育の場での取り扱いは別のものです。文部科学省調査にもあるように学校教育の場で国歌・国旗の強制を行なっている国は天安門事件以降の中国などごく少数でヨーロッパ諸国ではほとんど行われていません。日本の場合、「国旗・国歌」そのものが司法の判断でも「『日の丸・君が代』は、政治的・宗教的に見て、未だ価値中立的な存在となるまでに至っていない」(東京地裁06・9・21)とされる現状ではなおさらではないでしょうか。


 東京高裁判決は懲戒権の乱用と断じ、処分取り消しを命じています
 東京都で行われた君が代強制に関わる168人の不起立行為等への処分について、3月10日東京高裁第二民事部(大橋寛明裁判長)は職務命令の適法性を認めながらも「不起立行為等を理由として懲戒処分を科すことは、社会観念上著しく妥当を欠き、重きに失するというべきであり、懲戒権の範囲を逸脱し又はこれを濫用するものというのが相当である」として懲戒処分を取り消しています。
 判決は「控訴人等の不起立行為等は、自己の個人的利益や快楽の実現を目的としたものでも、職務怠慢や注意義務違反によるものではなく、破廉恥行為や犯罪行為でもなく、生徒に対し正しい行為を行いたいなどという動機によるものであり、少なくとも控訴人らにとってはやむにやまれぬ行動であったということができる」と述べています。これを「バカ教員の思想信条のの自由」(橋下氏twitterより)の問題に矮小化する知事の姿勢は大きな間違いにつながります。

 子どもたちの最善の利益を追求できる学校を
 「日の丸・君が代」に対してどのような立場をとるかに関わらず、命令による強制によって学校教育の内容が左右されることに対しては圧倒的多数の教職員が不同意です。
 教育の場が「時の権力」におもねって、子どもたちの最善の利益よりも為政者への迎合を優先することがあってはならないという思いは、全ての府民にとって当然のことではないでしょうか。
 
 強権による「君が代」強制の撤回を強く訴えます。

   大阪府立高等学校教職員組合(府高教)
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