山上俊夫・日本と世界あちこち

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安倍・橋下の「慰安婦の強制連行を示す記述はない」は崩れた

2013年05月15日 08時41分06秒 | Weblog
 安倍首相、橋下維新共同代表らは従軍慰安婦制度について、問題があるとすれば強制連行があるかどうかであって、強制連行の証拠がないのだから、あとは売春という商行為が行われていただけで、何ら問題はなかったといい続けてきた。ただ人でなしだと思われないように、日本が責任を問われることはないが、悲惨なことで同情すべきことだという付け足しをいってきた。だが戦争当時の慰安婦制度をつくったのが人でなしの行いであっただけでなく、21世紀においても商行為だから問題ない、責任はないといい続けるのは、十分人でなしの行いだ。
 だが、国際的には強制連行がなければ商行為としての売春であって問題はないという議論は通用せず、慰安婦制度そのものが戦時性奴隷として問題にされているのだ。そもそも第2次大戦で軍が組織的に慰安所をつくっていたのは日本とドイツだけだった。
 ところがここにきて、安倍首相が歴史をくつがえす発言をくりかえしたもとで、日本共産党の紙智子参院議員が出した質問主意書(2013・4・23)が、彼らの妄言を崩す足がかりをつくった。
 質問主意書の主要な点は以下のとおり。

 2007年3月8日の辻元清美衆院議員の質問主意書に対し、安倍内閣は「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」との答弁書を閣議決定している。
 本年2月の衆院予算委員会でも、首相は「強制連行を示す証拠はなかったということです。つまり、人さらいのように、人の家にはいっていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまってということは、それを示すものはなかったということを明らかにしたわけであります」と答弁している。
 1999年に法務省から国立公文書館に移管された東京裁判関係文書の綴りに、軍や官憲が慰安婦被害女性を強制的に連行した証拠書類が残されている。書証番号353の「桂林市民控訴その1」、書証番号1725の「尋問調書」、書証番号1794の「日本陸軍注意の陳述書」である。
 353の桂林の事案では「工場の設立を宣伝し四方より徐行を招致し、麗澤門外に連れ行き脅迫して妓女として獣の如き軍隊の淫楽に供した」との記述がある。
 1725の文書には、被害女性の証言として「私を他の6人の婦女や少女等と一緒に連れて収容所の外側にあった警察署へ連れていった。(中略)私等を日本軍俘虜収容所事務所へ連れて行きました。此処で私等は3人の日本人に引き渡されて3台の私有自動車で「マゲラン」へ輸送され、(中略)私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此回は少女等も含んでいました。其処で私達は日本人向き娼楼に向けられるものであると聞かされました。(中略)私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。何故かと云えば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました」と記録されている。
 1794は日本陸軍の宣誓陳述書である。
 問「或る証人は貴方が婦女達を強姦しその婦女達は兵営へ連れて行かれ日本人達の用に供されたと言ひましたがそれは本当ですか」
 答「私は兵隊達の為に娼家を一軒設け私自身も之を利用しました」
 問「婦女達はその娼家に行くことを快諾しましたか」
 答「或者は快諾し或る者は快諾しませんでした」
 問「幾人女がそこに居りましたか」
 答「6人です」
 問「その女達の中幾人が娼家に入る様に強ひられましたか」
 答「5人です」
 問「どうしてそれ等の婦女たちは娼家に入る様に強ひられたのですか」
 答「彼等は憲兵隊を攻撃した者の娘達でありました」
 問「ではその婦女達は父親達のした事の罰として娼家に入るように強ひられたのですね」
 答「左様です」
 問「如何程の期間その女達は娼家に入れられていましたか」
 答「8ヶ月です」
 問「何人位この娼家を利用しましたか」
 答「25人です」
1 政府は、これらの文書の存在を河野官房長官談話発表までに承知していたか。
2 河野官房長官談話発表後も、政府は「慰安婦」問題の調査を継続しているが、今日まで政府はこれらの文書を内閣官房に保管しているか。
3 これらの文書は、安倍首相の答弁内容である「軍や官憲の強制連行」「人さらいのように、人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまったということ」を示す文書とみなせるのではないか。

これに対し、5月7日の閣議決定による答弁書は、「御指摘の各文書については、内閣官房において保管はしていない。」「事柄の性質上、その後も新しい資料が発見される可能性はあることから、そのような場合には、関係省庁等に対して内閣官房に報告をするようもとめているところである。」といっている。3に対しては、河野官房長官談話の「発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったものである。」とした。
 この答弁書をどう見るかだが、保管はしていないというが、存在を否定していないし、さらに新しい資料が発見される可能性はあると述べている点が重要だ。また、これら文書は強制連行を示す文書とみなせるではないかとの質問に対して、強制性を示すものではないともいえず、1993年発表段階では見当たらなかったと逃げの答弁しかできていない。
 紙議員もいっているが、強制連行をしめす証拠はないといいつづけてきた彼らの牙城を崩す足がかりができた。紙議員の記事は2013・5・11『赤旗』所収。なお、紙議員の指摘した資料は、林博史関東学院大学教授が発見し、2007年4月17日に発表したものである。林氏の資料については、『赤旗』2007・4・19がくわしい。今度のは既に発表された資料ではあるが、今の政治情勢の下で、突きつけた意味はおおきい。

 安倍首相や橋下維新代表は、強制連行を直接示す証拠がないというのを唯一の拠り所にして、慰安婦制度は同情すべきことだが商売だったと、日本軍を免罪してきた。しかし慰安婦制度全体が本人の意思をふみにじってレイプをくりかえした人権蹂躙だった。安倍・橋下氏ら右翼の論法は、問題を勝手に狭く設定して、そこをクリアできれば全体が問題なしだとするやり方だ。だがこんな手前勝手は国連をはじめとする外部世界では通用しない。彼らの議論は全くの内弁慶の議論だ。
 強制連行についても被害女性の証言は山とある。弁護士の橋下氏は、刑事事件で被害者の証言を証拠として扱わないのだろうか。まったくばかげている。公文書がないから強制連行はないというが、今度の紙議員の指摘は、東京裁判でのオランダ、中国の政府がつくり、裁判の証拠として採用された公文書だ。安倍・橋下氏らは追い詰められた。
 彼らは日本政府・日本軍の正式の通達・通知がないかぎり認められないというだろう。8月15日を期して、政府・軍は、文書償却を命じ、引き出しの奥、机の足を下の詰め物などもしっかり調べよと念を押した。だから現時点では発見されていない。しかし中国の各地の公文書館には日本軍から没収した資料で未発見のものがあるはずだ。だから出てくる可能性はある。しかし、出ないとしても、慰安婦制度の強制性はなんら変わらない。
 橋下氏はアメリカなども慰安婦を利用した、日本だけが悪いのではないといいつのるが、計画立案、建物・資材提供、女性あつめ・輸送、軍医による定期的診断、慰安所の管理など全面的に軍が管理運営してきた。事実上軍の組織の一部となっているのは、他国には見られない。よそもやっているという子供じみた議論はなさけない。





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