山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

森岡孝二さん、安場敏さん  大切な人をなくす

2018年09月01日 21時40分35秒 | Weblog
 2018年8月1日、関西大学名誉教授の森岡孝二さんが74歳で亡くなった。今日の「朝日新聞」夕刊が追悼の記事を掲載した。森岡さんは若くして京都大学大学院から大阪外大の教員として赴任した。外大2部の学生たちが、外大を学問のできる大学に改革しようと学園民主化闘争を闘ったそのシンボル的な存在として、当時アメリカ経済の研究者として外大2部英語科の助手に招かれた。のちに関西大学に転じ、経済理論、企業社会論、そして過労死問題の開拓者として大活躍する。
 わたしが北野定時制の教員の時、関西大学経済学部に何人かの生徒が進学したがそのうちの一人が森岡さんの指導を受け大学院にもすすんだ。森岡先生の指導を受ける生徒が出たことをとてもうれしく思った。
 森岡先生の研究は初期の経済理論、そして過労死問題の書籍、アメリカ消費社会の翻訳などずいぶん勉強させてもらった。もっともっと活躍を期待されていただけに残念だ。
 死因は慢性心不全急性憎悪と聞いて、わたしももう長くないと思ってしまった。ブログにも書いたがうっ血性心不全にこの春になったので、先が心配だ。
 もうひとり大切な人を失った。先輩教員であり同僚でもあった安場敏さんだ。7月11日に亡くなった。76歳だった。民主教育と教職員組合運動のリーダーとして大きな役割を果たした。わたしは新採用の時から10年間いっしょだった。体罰問題で内部から職員会議で問題にし、体罰否定の指導を確立する先頭に立ったのが安場さんだ。80年代初めに体罰を克服したのは最も早いとりくみだったろう。職員の亀裂を生むことにもなる苦しい取り組みだった。しかしそれでも生徒の人権を最優先しなければとの思いに至った結果だった。
 安場さんは、熱心なオペラファンだった。鑑賞者主権を主張して、『この オペラ!』という分厚いオペラ鑑賞の本を出版した。
 森岡さん、安場さんの死に接して、人間の最期は突然訪れるものだとつくづく思った。もしかしたらあと5、6年という気がしてきた。
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1 コメント

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Unknown (ike)
2018-09-03 23:38:57
安場さんに出逢わなければ、全く違う人生をおくったかもしれません。生徒一人一人を大切にする教育は今こそ求められています。早すぎるけれども素晴らしい人生でした。
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