湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

腹をたてながら、走る。

2008年03月28日 | 自転車生活
 昨日はほとんど腹をたてながら走っていた。もちろん自分にたいしてである。抑え気味に走ったにもかかわらず、早々と疲れを感じてしまった名古木までの往路からすでに自分に腹がたっていたのだけれども、TTの後半と江ノ島までの復路はとくに自分が腹立たしくて仕方なかった。

 それじゃ、具体的にいったい何にそんなに腹をたてたのか。それは間違いなく、自分のなかにあった甘い期待、慢心、過信などにたいしてである。トレーニング的な走りとはすっかりご無沙汰だったにもかかわらず、自分にとって決して簡単ではない40分を切るタイムを期待したことが、とくに菜の花台あたりで足がなくなってからは頭にきて仕方なかった。TTを終えたあとの気安さから、いつもはペースをあげて頑張る復路も、昨日は力尽きてだれだれになってしまい、そういった怒りや苛立ちを心に叩きつけるように走っていた。期待していたタイムで走れなかったのは仕方ない。苦しいのも仕方ない。だけれども、自分の甘さについては仕方ないではすまされない。そんなことをずっと考えながら走っていた。

 それからもうひとつ考えていたのは、速くなるため、強くなるためにはやはりトレーニング的な走りもしないと駄目だということだった。もちろんツーリング的な走り方も足をつくることにまったく役立っていないわけではないと思う。ただそれだけでは足りないのだ。だからこそ僕は年に何度かヤビツに出かけて、普段のツーリングではかからない負荷を心臓と筋肉と心にかけるようにしていたのだけれども、その意味を昨日は少し忘れてしまっていたように思った。それがまた悔しくてたまらなかった。

 なんだか話が少し矛盾するけれども、僕がヤビツでTTをするのは何も良いタイムで走れるようになりたいからだけではない。速く、強く、走れるようになりたいからだけではない。もちろんそれもあるけれども、それだけではない。結局僕が求めているのは、そこで自分を追い込むことである。追い込んでしっかり苦しんで、その苦しみにきちんと向き合うことなのである。そしてその苦しみのなかから、がつんと心に残る何かを得ることなのである。結果もちろん少しずつでも強くなってくれないと困るわけだけれども、僕が望んでいるのはそういうことなのである。だから、そこにあるはずの苦しみを安易に考えていた自分に腹をたて、激しく苛立ったのだと思う。

 昨夜は疲れているにもかかわらず、なかなかうまく寝つけなかった。そしてベッドのなかで村上春樹がマラソン(ランニング)について書いた『走ることについて語るときに僕の語ること』という本を読んでいた。この本には、僕が感じていることがたくさん書かれている。僕が感じているようなことになんとなくでも共感できる人にはぜひとも読んで欲しいなぁと思う本である。まぁなんにせよ、昨日は昨日で結局またしてもたくさんの課題を自分に突きつけることになってしまったわけである。というわけで今年も何度かヤビツに出かけて行って、しっかりそこにある苦しみと対峙しなければならないのだ。で、その結果もう少し良いタイムが出ると嬉しいんだけどな~。もう少し速くなりたいんだよな~。うむむむむ。