湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

『走ることについて語るときに僕の語ること』

2007年10月20日 | 日常生活
 なぜ自分は走り続けるのだろうか?ということについて村上春樹が綴った本。村上春樹の“走る”はランニングなのだけれども、走ることが自分にとってどういう意味を持つのかということは僕にとっても関心のあることだし、そんなことを好きな作家である村上春樹が綴った本ということもあって、かなりわくわくしながら購入。



 読み終えた感想は、なかなか難しいなということ。うまく言えないけれども、なかなか難しいなと思った。走ることについての本を村上春樹が書こうと思ったのはかれこれ10年以上前のことらしいけれども、どう書いていいかわからずに時間だけが過ぎっていってしまったらしい。でも僕としては、どう書いていいかわからずに時間だけが過ぎていってしまったその期間に書かれたものをできたら読みたかったなぁという気がした。ここで書かれていることも僕にとってはとても興味深かったし、面白かったし、納得できるところは納得できたのだけれども、できたらもう少しごりごりと何かがつかえていた頃のもののほうがもっと様々な思いが伝わったのではないかという気がした。もちろんだからこそ、そうした頃はなかなかうまく書くことができなかったのだろうけど。ただこの本では、少し尖った部分が抑えられすぎている気がしたので、それが残念といえば残念だった。

 ただそんなことを言ってもやはり好きな作家のこういう本は嬉しいです。学生時代の頃のような熱が冷めたあと、再び自転車に乗るようになってから僕が興味を持ち続けているのってそういう部分だったりもするので。自転車に乗ることは自分にとってどんな意味があるのかとか、自分のなかのどんなものが自転車に乗ろうという気にさせてるのだろうかとか。もちろん楽しいからとか好きだからとか気持ちいいからといった理由が多くの部分を占めるのだろうけど、それだけじゃないんだろうなっていう気持ちもやっぱりあるので。何時間もひとりでサドルにまたがって黙々とペダルをまわしたりするのって、普通はやっぱりしないよなとも思ったりするし。

 大学4年のときに学生時代の自転車の集大成としてチベット高原を走った。そのとき、どんなに遠くまで走っても結局は自分自身のなかを走っているに過ぎないんだよなということをものすごく感た。それまでは自転車で旅をすることはいつもとても興奮することだったし、道と時間さえあれば自分はどこまでも自転車で走っていけるんだなんて思ったりもしていたけど、結局どこまでいこうと自分というものがしっかりとしていなければネズミがネズミ捕りのなかのくるくる回る遊具?で走り続けるのと変わらないんだよなと思ったりした。若かったからだと思うけど、そんなことを感じたりした。

 ランニングにせよ、自転車にせよ、黙々とひとりで走り続けるといろいろなことを考えるのだと思う。もちろん普段はそんなことばかり考えて走っているわけじゃないけど、ときどきふっと周囲の風景が消えて自分のなかに入り込むことがある。そんなときに見える普段は見えない自分についてもっと知りたくて、走り続けている人もいるのかな、なんてことをたまに思ったりする。と、こんなふうに書いていて思うのですが、やっぱり走ることについて語ることって難しいことですね(汗)。なんというか、とっても(大汗)。あと一応言っておきますけど、もちろん自転車って楽しいです。僕だって普通にちゃんと楽しんでますよぉ~。

 信じてくださいね。