湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

自転車乗りの一分

2007年10月19日 | 日常生活
 この日の前夜、つまりブリヂストン号で夕方横須賀まで天丼を食べてきた夜、寝るくらいの時間からまたしても顎の痛み。軽いポタ程度であればまぁ問題ないだろう・・・、というかやはり少しでも自転車に乗りたくて我慢できずに乗ってしまったわけだが、抗生物質をのみはじめてまだ2日目、それもせっかくのお休みだというのにしっかり体を休めなかったのはやはりまずかったと顔を歪めながら後悔。ホントに後悔は先に立たないのである。

 ところでこの日ベッドに入る前に藤沢周平原作、山田洋次監督の映画『武士の一分』をDVDで観た。山田洋次が撮る藤沢周平モノとしては(多分)『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』に次ぐ第3弾。前の2作がどちらも良かったので、この『武士の一分』も楽しみにはしていたのだけれども、主演がキムタクということで結局映画館には足を運ばなかった。えっと別にキムタクが嫌いというわけではないのですが、できたら山田洋次のこういう映画には出て欲しくなかったかなと。もちろんまったくの偏見ですが。

 そんないきさつがありながら、ようやくこの日観た『武士の一分』だけれども、観れば観たでやはり良かった。最初にキムタクが登場したシーンでは、やっぱりこういう映画に出てもキムタクはキムタクだよと意味不明な不満を抱いたりもしたのだが(偏見です)、観ているうちに「悪くない」と思うようになった。最近ますます涙腺が緩くなっている僕はこの映画でも何度か泣かされたのだけれども、一番ぐっときたのは、視力を失ったことをなかなか告げることができなかったキムタク演ずる主人公に、壇れい演ずる妻が「どうして・・・」と詰め寄るシーン。「お前に心配かけたくなくてのう」と言う主人公にたいして、「何をあなた、おっしゃいます。わたしはあなたのことを心配したいのでがんす。いくらでも心配したいのでがんす・・・」と泣きながら訴えるところはかなり胸をうたれた(照)。僕は結婚してないからわからないですけど、こんな夫婦愛ってなかなかないような気がしないでもないので。

 たとえば呑んで帰ってきた翌日、夫がものすごく沈鬱そうにしているとする。そこで「どうしたの」と訊ねる妻。「いや実は財布がないのだよ。すっかり記憶をなくしているようで。お前に心配かけたくなくてのう・・・」

 そんなとき先ほどのような感動的なセリフが出てくるだろうか?・・・って出てくるわけありませんね。現代のみならず江戸時代でも。くだらないこと書いてしまいました。すみません。

 ところで、この映画を観終わってから、武士の一分ではなく、自転車乗りの一分ってあるのかな?とふと考えた。一分=一身の面目。それがないと自転車乗りとしての面目がたたないというようなこと。あれこれない頭でいろいろと考えてみたのだけれども、僕には結局思いつかなかった。自転車は大事な趣味ではあるけれども、それと同時にきっとその程度のものなのだろう。というか、その程度のものだからいいんだと思ったりするわけど。