山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

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三陸海岸を南下 被災地を見ながら

2014年01月12日 | Weblog

                                            被災地の道の駅に啄木の歌碑が・・・。

             

 被災地の復興はすこしずつではあるが進んでいる。漁業関係は特に早いような気がした。三陸海岸特有の地形を活かしたカキやイタヤガイの養殖はだいぶ回復しているようだ。しかし、海岸部に住んでいた人たちのほとんどは、今も仮設住宅暮らし。場所も様々で、「何でこんな所に」と思われるような場所にある。土地の確保がままならないのだろうか?

 陸前高田市の海岸線を見て回ってから南下。途中、碁石海岸というおもしろい名前の海岸があるので寄ってみた。名前の通り、海岸には碁石のような角の取れた小石が敷き詰められた海岸だった。

 その後、北上川を渡り上品(じょうぼん)の里PAで泊まる。翌5日(日)、牡鹿半島を巡ってから瑞巌寺を見学して、また蔵王スキー場に帰る。

   牡鹿半島には、支倉常長が船出をした港がある。月浦港という名前だが、ここも津波の襲われたらしく仮設住宅が建っていた。              

               支倉常長像                              この港から出港

                  

                                   壮大な航路

         

                牡鹿半島の突端より金華山をみる。左手の岬の奥に女川原発がある。

              

                瑞巌寺参道                           展示館です。

               

               瑞巌寺の梵鐘                               前が松島

               

  瑞巌寺には、伊達政宗の位牌が納めてある。彼の墓は、仙台市にあると聞いた。寺は修理中で本堂は見られなかった。

  ここから、蔵王スキー場に行く。夕刻到着。駐車場はがら空き。風呂に入ってビールを飲んで寝る。平日はガラガラですよと風呂屋の管理人が言っていた。平日は、駐車場も無料でした。ただ、この日も天気はパッとせず視界は悪い。それでもほとんどのコースを滑った。天気さえ良ければすてきなスキー場だろう。島根からは遠すぎるが・・・。

                 

 翌7日(火)、最後の目的地浪江町・双葉町をめざす。暗くなっ浪江町近くまで来たが道の駅南相馬が見つからずウロウロする。地図にはあるのだが・・・。仕方なく、原町で運良く無料駐車場を見つけここで泊まる。

  12月8日(水)

   浪江町に向かうと、検問があり手形がなければこれ以上は進めないとうのでユーターン。放射能のためです。                                           

       国道45号線はここで検問。一般車は入れない。                   浪江町・双葉町あたりです。

              

       横道にも車は入れません                                人の姿も見ない

               

                       置き去りにされた街。荒れが目立つ。いわゆるゴーストタウン化?

          

  津波被害もひどいが、原発の被害はもっとひどいと思った。明日が見えてこないのだから・・・。東北自動車道に出ようとしたら八方ふさがりのような状態でした。ウロウロしながら結局相馬市まで後戻りです。山を越えて福島市まで出てから高速に乗る。東京を抜けるときラッシュにぶつかったが一気に松江まで帰る。運転、運転の長旅でした。

 

 


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