山の記憶 (百名山・二百名山・三百名山)

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夏の大山 ユートピア小屋周辺と元谷

2021年08月01日 | 最近の大山

7月30日(金)

 夏の大山は花盛りだろうと思って下宝珠から大山ユートピアに登る。6時15分、豪円山登山口近くの道路わきに車を置いて元谷へ通じる林道を進む。

 下宝珠越えまでで約1時間を要した。さらに中宝珠から上宝珠へといいペースだった。8時30分、上宝珠着。ここまでくればもうユートピアは近い。

ユートピアには9時05分に着いた。

 昨年来たときは、やはり7月の末だったが、今回よりもう少し早かった。そのせいかどうかわからないが、今年の花はもう盛りを過ぎていた。時期的な影響もあると思うが、どうも年々お花畑が荒れていくような気がしてならない。

 昨年度、花は確かに満開だった。クガイソウ、シモツケソウ、フウロ等々咲き誇っていて、皆さん歓声をあげて感動しておられた。しかし、もっと以前を知る者にとってはさみしいばかりの光景だ。ここユートピアのお花畑に限らず、全国的にそんな方向に向かっているのだろう。

 ユートピアから大山主峰剣ケ峰縦走路のほうにしばらく歩き、花の写真を撮った。ブログに載せるつもりだが、今日は、元谷に残るケルンに関して少しばかり記してみます。

 

                                                               大山大滑り(砂滑り)                     

                                                                  

 ユートピアへは、宝珠尾根伝いに行くが、元谷から大滑り(砂滑り)を伝って上宝珠に出るルートもある。したがって、下山もこの2つのルートがあるわけだが大滑りルートは下降禁止となっている。しかし、時折このルートに入る人もある。

 元谷へ降り、落石や土砂の堆積のなか道なき道を元谷大堰堤に向かう。途中、ちょっとした藪を横切ろうとしてハッとした。もう洪水でえぐられなくなってしまっているとばかり思っていたケルンが突然に現れたから。氏

 碑には、昭和38年9月1日とある。山下 皇 氏、畑窪隆至 氏(共に21歳)の遭難碑は、今も大山北壁屏風岩に向いて聳え立っていた。

 遭難は、昭和38年9月1日。

                        山下ケルン遭難碑(岡山山岳会の銘がある)

              

 

                     

                             大山屏風岩

               

 自分がこの岩場に通いだしたのは、昭和40年代に入ってから。だから、そのころすでにこのケルンはあった。当時、あまり気にせずこのケルンの前を通り過ぎていたものだ。

 この時代、岩登りはブームだった。大山屏風岩は、北アルプスなどの困難な岩場を攀じる男たちの鍛錬の場であったが、この岩場自体の登攀を目的としてやってくる若者も多かった。主に、秋から冬にかけてがシーズンだが、それは岩がもろいからだ。秋には落石も落ち着くし、冬は凍結して落石の心配がない。

 ザイルを担いで通ったことが思い出された。自分は、この岩を数十年前の大山夏山開きの折に単独で登っているが、単独登攀の記録は多分これが最初で最後ではなかろうか。島根県の岩登り人口は、今も当時も多くないから情報は入りづらい。岡山、広島さらには関西方面のクライマーで単独登攀をされた人はおられるだろうかどうだろう?
                                                        (づづく)

 

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