知床半島の最先端である知床岬へ立つことは、ここ数年間の夢だった。昨年、礼文島から利尻島に寄り、その後に向かおうと思ったが、天候の具合やら、海の肌寒さやらに気後れしてあきらめていた。
それで、今年こそはと思っていたが、どうしても気になることがあって今一つテンションが上がらない。理由は、知床半島は有数のヒグマの生息地であるということです。北海道の山々には、ヒグマが生息していることは当たり前のことで、ヒグマを気にしていたら北海道の山には登れないとよく言われる。頭では分かっていても、何かトラウマの様に心の奥にこびりついていて、何時でも足を引っ張る。それでも北海道の代表的な山々は、すべて登ってはいるのだが・・・。ヒグマのフンをたっぷりと見た大雪山系の縦走。ヒグマに襲われ無残な最後をとげた大学生たちの生々しい記録を持つカムイエクウチカウシ山。他に色々とヒグマの痕跡は見ている。
それで、もう少しヒグマの生態について知ったら気分的に楽になるのではないかと思い県立図書館へ出掛けたのは、出発の1月ほど前のこと。ここで、2冊の本を見つけることが出来た。
◎ 立松和平著 知床を歩く 勉誠出版
◎ 久保俊治著 熊撃ち 小学館
この2冊を読んで、何故かヒグマに対するイメージが変わった。いや、変わったというより、今まで思っていたことに確信が持てたといった方がいい。
そんな心の準備をして、颯爽と松江を後にしたのが、7月の9日(土)。とりあえず小樽行きの船に乗るため舞鶴港まで。出航は真夜中なので舞鶴市内の見学で時間をつぶす。
舞鶴を一望に見下ろす展望台
建物の中にあった引き揚げ風景の写真
岩壁の母ならぬ岩壁の妻 今日もお父さんは帰ってこない
なんともやりきれない写真です。 この子たちは今何歳だろう?
船では退屈な時間を過ごして、夕刻小樽港着。幸いにも、昨年の様に船が揺れることは無かった。海は落ち着いているらしい。
夕刻の下船なので途中道の駅で車中泊をし、翌11日(月)羅臼に着く。
羅臼では、まず立ち寄らなければならない施設が2つあった。どちらも知床の情報を得るのに不可欠だ。一つが、羅臼ビジターセンターで、もう一つがルサフィールドハウス。しかし、羅臼ビジターセンターは、主に羅臼岳周辺の情報を提供するらしく、知床半島先端部についての情報提供はルサフィールドハウスらしい。「知床岬へ行きたいのだが」と言うと、若い職員は怪訝な顔をしていた。
それで、ルサフィールドハウスへ行くことにした。ここで、知床半島先端部の事情について詳しく説明を受ける。注意も色々されたが、何せ世界遺産に登録されている所なので規制も多い。特に、身の安全を確保するための準備として、ザイル(ロープ)とフードコンテナ(食料などの臭いがしないようにする)の持参を進められたことである。他に、ヘルメット、クマ避けスプレー、クライミング手袋などもあったが、これらは指導されることもなく当然な事として持参していた。ザイルも一応20mを用意していたのだが、本当に必要かどうか疑問だった。また、フードコンテナも臭いの出るような食料は持たないのでいらないのではないかと思ったが、素直に従うことにし書類に必要事項を記入した。
私の考えでは、1泊で往復出来るのではないかと思っていたが、どうも無理な様子なので2泊3日の計画としたが、3泊4日を進められた。更に、予備日を入れることも(これで、4泊5日)。そして、それでも帰って来ないときは、遭難したと見なすということでした。何か大げさな気がして笑ってしまったが、職員の方はどうも本気で心配していたらしい。大体、いい年をした男が、一人で危険きわまりない地帯へ入り込むことなどないらしい。ただ、行くのを止められなかっただけでもよかった。最近、あちこちの登山施設で単独行は歓迎しない(季節にもよるが)傾向にあるのを感じる。
ここで、手渡された6枚綴じの注意書「 シレココ 」には、知床に関して次の様な一文がある。
「知床」といえば知床五湖や羅臼岳が有名ですが、その奥には、間単に踏み込むことのできない場所が広がっています。それがあなたのしらない〝知床〟、『知床半島先端部地区』です。そこは、知床の厳しい自然条件に自らの力だけで立ち向かう場所であり、また、原始的な自然を保全するための様々な配慮を必要とする場所です。
手続きを済ませて相泊へ。ここで夜を過ごして明日早朝に出発だ
車はここまで。
相泊港 遙か彼方には国後島が霞んで
知床岬 その1