10月9日(金)
大山二の沢の登攀の記録は、山と渓谷社の日本登山史年表によれば1930年(昭和5年)10月17日にノドの沢が、そして翌1931年1月の積雪期に同じノドの沢がそれぞれ初登されている。しかし、これらの記録は、すべて複数(パーティ)での登攀である。
単独での登攀の記録はどうかわからないが、多分今までにはなかったのではないだろうか?
その二の沢へ単独で出掛けた。環状道路の2の沢入り口に車を置き12時30分にスタート。テント泊の予定なので余裕がある。天気も、明日までは良さそうだ。
右俣と左俣との分かれで休憩。左俣最奥の砂防ダムに水の流れのような跡が見えるので暇つぶしがてらに行ってみる。
冷たくてきれいな水がチョロチョロ流れていた。
この時期、ここでは水が手に入ることを確かめてから右又俣に向かう。やぶ道となるが、誰がつけたものか赤テープが要所要所につけてあるので気分的には楽だ。
1時間30分ほどで到着
右俣に入り、荷物を置いて様子見にノドの奥まで行く。奥の「ノドマメ」にあたる箇所に大きな石が引っかかって行く手をふさいでいる。昨年見たときは、ハーケンでも打たなければ越せそうもなかったが、今回は横手に砂が堆積していて難なく越せる。しばらく行くと水の流れが現れ、見上げると泥によごれた残雪がポカリと口を開けている。これが崩れてきたら大変なことになりそうだが、慎重に右手から越す。更に登ると涸れ滝のような地形となり今日はここから引き返すことにした。
テント場を探して整地し、イタドリを集めて下に敷く。少し傾斜はあるが我慢するしかない。することもなくなったので、枯れ木を集めて焚き火をしながら暇をつぶす。焚き火の側で夕食を済ませるテントに入る。長い退屈な夜は、ラジオを聞きながら寝たり覚めたりで過ごす。夜、星は出ていたが月は見えなかった。
10日(土)
気持ちの良い朝を迎える。雲海がきれいだった。振り返ると稜線に朝日が当たっていた。簡単な朝食を済ませて、いよいよ登攀開始。
久しぶりにヘルメット、カラビナ、ハーケンなどを身につける。
ノドの入り口に立つたのは、7時30分。
ノドの奥から外を見る
「ノドマメ」を乗り越して 水が流れている
上部の様子
しばらくは歩きやすかった。この調子で抜けられれば良いが・・・。
黒く汚れた雪が出て来る。右手から乗り越し、雪の向こう側に出る。
いよいよ核心部へ近づく
大変にもろい斜面を乗り越す
この辺りからイヤな予感がしてきた
ルートの取り方がわからない。上の写真右手上まで草付きを登り、裏側に回り込もうかとも思ったがその後の様子がよくわからないので右手下を行く。これが正解でした。
遙か下にテントが見える。あそこまで無事に帰れるだろうか。少し不安。
正解といっても悪いことには変わりない。イヤなトラバースが現れた。写真中央の突起状あたりからはじまったトラバース。最初踏み込むのをためらった。足の置き場が2m程離れているのでジャンプする必要がある。着地の失敗は許されないので緊張する。なかなか思い切れないが、此処を抜けられなければ引き返すより他はない。
清水の舞台から飛び降りるつもりでエイヤーで飛ぶ。無事着地。一安心だが、もう引き返すことは出来ない様な状況になった。
南壁のど真ん中。ルートファインデングに苦しむ
岩と泥の混じった柔らかい地質だから、雨や雪で削られて、ヒダというべきかシワというべきか細い尾根状の地形が続く。それらが間単には乗り越せなくて、下ったり登ったりして登路をさがす。足下が不安定なので落ち着かない。カメラの出し入れにさえ気をつかう。縦走者が見えたので稜線が近いのはわかるが思うように進めない。稜線に続く草付きまでのルートをさがす。
もろい泥の斜面にステップを切って一歩一歩の前進。このハンマーがなかったら登るのは絶対不可能だっただろう。
何とか良さそうに思えるルンゼを詰めて、草付きに近づく。登るというよりは、ステップを切ることの繰り返しだ。この時、確実にステップをきれば登れるという確信が涌いてきていた。アイゼンが無い時代では、氷壁や雪の壁を登るのにピッケルが唯一の道具だが、やはりこんな風にして登ったのだろう?
ついに草付きまで登る。後は草や木をたよりに稜線に飛び出す。11時15分だった。
写真中央の鞍部に抜けた 剣ヶ峰までは近い
槍尾根から3の沢に下り、堰堤あたりから尾根を2つ越したら、テントの近くに出られた。13時15分でした。
食べ物はすべて無くなり、空腹を抱えながらテントをたたむ。この記録は、単独では初登ではなかろうか ?
感想
この沢(ルンゼ)は、やはり積雪期か残雪期の条件の良いときに登ればいいと思った。今回は、落石が無かったから良いようなものの、逃げ場がないから危険がいっぱい。複数でザイルなどを組めば、トップやザイルが落石を誘発したりするからこれも危険そうだ。その点、単独はいいけど何かあったら誰も助けてはくれない。途中、どうなることかと心細くなったものだ。
それでも無事抜けられたのは、一つには天気。もう一つは、何度か下見をしていたからだろう。ザイルとハーケンを使うところは全くなかった。使う場所がないと言った方が良いだろう。なにせ、硬い岩はないし、たよりになる木や根もないのだから。次回此処を訪れるのは、残雪期にしたい。