この木なんの木 気になる木 の日立コマーシャルソングがあったけど・・
新年になって気になるニュースに徴用工問題がある。少し偏っているのかもしれないが、本屋に行って探すのもチトしんどいのでいつものように に注文して取り寄せたのは、この4冊。
最初の本の著者は、呉善花(オ・ソンファ)さん。彼女の視線が面白いと思ったのが、30年ほど前に出した『スカートの風(チマパラム) 日本永住をめざす韓国の女たち』(1990年)。日本で働いている韓国人ホステスと日本人との感受性の違いを説明するのに面白さがあったことで、以来『続・スカートの風(チマパラム) 恨(ハン)を楽しむ人びと』(1991年)、『新・スカートの風(チマパラム) 日韓合わせ鏡の世界』(1992年)と追い続け、次に『向かい風 日韓=異文化の交差点から』(1994年)、『恋愛交差点 韓国人と日本人=それぞれの愛の風景』(1994年)、『ワサビと唐辛子 恨の国・韓国から見た「受け身文化」の国・日本』(1995年)では、日本人と韓国人の性格の切り取り方を日本人が山葵を韓国人が唐辛子を香辛料として好むことから前者がガマンとか忍耐に対して後者のそれが激情と表現することなど大変面白かった。そして『私はいかにして〈日本信徒〉となったか』(1999年)、「反日韓国」に未来はない』(2001年)など徹底して日本人と韓国人の学術的な対比をしている点にフムフム感があった。
慰安婦銅像や徴用工問題が毎日ニュースに登場する背景を、日本に帰化した韓国人の目線でこの際に追っ駆けようと。。。次の2冊は元韓国大使の武藤正敏さんが、以前韓国を持ち上げるような?発言をされていたので読んでみようと…つまり日本にいて韓国を両者がどのように見ているか・・というようなことにて今年の読み始めの本とした。
1冊を読み終えたので2冊目の武藤さんの本を読んでるところ。でも、自分は武藤さんよりオ・ソンファさんの話を今年は東京まで聞きに行きたいとまで思っておる・・・。
そのような話をコタツに寝そべって奥さんと喋っておったワケ。
ところで、カーさんや今何読んでるのか?と移動図書館バスで借り受けた文庫本の表紙を見れば、「最後の医者は桜を見上げて君を想う」二宮敦人
の医者の話らしい。この本が死生観を考える上で大変面白いとか、医者の考え方、治療方針とすれば患者に対して一日でも長くこの世にいさせる延命治療がいいのか、それとも死を受け入れさせるようにするのがいいのか・・などのことが書かれているらしい。二人でどちらの医師に診てもらいたいか・・などと話しておると、今度は、トーさんは何を読んでるのか?と言うことになって、いわゆる嫌韓本やね・・と応える。徴用工や慰安婦像の文さんが気になってる、と言えばトーさんは韓国とは離れることができないんやね・・などと揶揄してきた。
フト思う。自分は幼少時から仁川から終戦後引き揚げて内地に帰った母親からいつも聞かされてた話のこと。祖父祖母は仁川で酒の総代理店を営んでいたそうな。朝鮮人を雇用して経営をしていたそうな。そこで祖父は教育のことでは、現地で雇用した従業員には熱心に夜間学校に行くようにと仕事が終わると全員会社の費用持ちで勉強させたそうな。で、敗戦後内地に帰る時にはその彼らが祖父に、帰らずにこの地に留まってくれと懇願されたそうな。タイショウタイショウと祖父は呼ばれてたそうな。朝鮮人から親切にされたし祖父も彼らを親切にしたそうな。特に母親は小さい時から身体が弱かったので、今でいうハウスメイドがいて、付きっきりで面倒を見てもらったそうな・・。だから韓国人に対して、それほど悪い印象を持ってなかった。。。そのような自分の刷り込みがあるので、日韓問題に対して気になるのかもしれんナァ・・・と思う。
ところで引き揚げ時には限られた現金以外は持って帰ることが出来なくて、家財道具や資産などすべて従業員に譲渡して帰った。。。とも聞いてた。その店があった場所を母親と妹が訪ねて行ったことがあった。すると母の家族8人と従業員が寮にしていた3階建てのビルは朝鮮日報のビルになっていたとか・・報告してくれた。
双方が対立することなく果たして理解せる日が来るのだろうかとも思うが・・・。
新年になって気になるニュースに徴用工問題がある。少し偏っているのかもしれないが、本屋に行って探すのもチトしんどいのでいつものように に注文して取り寄せたのは、この4冊。
最初の本の著者は、呉善花(オ・ソンファ)さん。彼女の視線が面白いと思ったのが、30年ほど前に出した『スカートの風(チマパラム) 日本永住をめざす韓国の女たち』(1990年)。日本で働いている韓国人ホステスと日本人との感受性の違いを説明するのに面白さがあったことで、以来『続・スカートの風(チマパラム) 恨(ハン)を楽しむ人びと』(1991年)、『新・スカートの風(チマパラム) 日韓合わせ鏡の世界』(1992年)と追い続け、次に『向かい風 日韓=異文化の交差点から』(1994年)、『恋愛交差点 韓国人と日本人=それぞれの愛の風景』(1994年)、『ワサビと唐辛子 恨の国・韓国から見た「受け身文化」の国・日本』(1995年)では、日本人と韓国人の性格の切り取り方を日本人が山葵を韓国人が唐辛子を香辛料として好むことから前者がガマンとか忍耐に対して後者のそれが激情と表現することなど大変面白かった。そして『私はいかにして〈日本信徒〉となったか』(1999年)、「反日韓国」に未来はない』(2001年)など徹底して日本人と韓国人の学術的な対比をしている点にフムフム感があった。
慰安婦銅像や徴用工問題が毎日ニュースに登場する背景を、日本に帰化した韓国人の目線でこの際に追っ駆けようと。。。次の2冊は元韓国大使の武藤正敏さんが、以前韓国を持ち上げるような?発言をされていたので読んでみようと…つまり日本にいて韓国を両者がどのように見ているか・・というようなことにて今年の読み始めの本とした。
1冊を読み終えたので2冊目の武藤さんの本を読んでるところ。でも、自分は武藤さんよりオ・ソンファさんの話を今年は東京まで聞きに行きたいとまで思っておる・・・。
そのような話をコタツに寝そべって奥さんと喋っておったワケ。
ところで、カーさんや今何読んでるのか?と移動図書館バスで借り受けた文庫本の表紙を見れば、「最後の医者は桜を見上げて君を想う」二宮敦人
の医者の話らしい。この本が死生観を考える上で大変面白いとか、医者の考え方、治療方針とすれば患者に対して一日でも長くこの世にいさせる延命治療がいいのか、それとも死を受け入れさせるようにするのがいいのか・・などのことが書かれているらしい。二人でどちらの医師に診てもらいたいか・・などと話しておると、今度は、トーさんは何を読んでるのか?と言うことになって、いわゆる嫌韓本やね・・と応える。徴用工や慰安婦像の文さんが気になってる、と言えばトーさんは韓国とは離れることができないんやね・・などと揶揄してきた。
フト思う。自分は幼少時から仁川から終戦後引き揚げて内地に帰った母親からいつも聞かされてた話のこと。祖父祖母は仁川で酒の総代理店を営んでいたそうな。朝鮮人を雇用して経営をしていたそうな。そこで祖父は教育のことでは、現地で雇用した従業員には熱心に夜間学校に行くようにと仕事が終わると全員会社の費用持ちで勉強させたそうな。で、敗戦後内地に帰る時にはその彼らが祖父に、帰らずにこの地に留まってくれと懇願されたそうな。タイショウタイショウと祖父は呼ばれてたそうな。朝鮮人から親切にされたし祖父も彼らを親切にしたそうな。特に母親は小さい時から身体が弱かったので、今でいうハウスメイドがいて、付きっきりで面倒を見てもらったそうな・・。だから韓国人に対して、それほど悪い印象を持ってなかった。。。そのような自分の刷り込みがあるので、日韓問題に対して気になるのかもしれんナァ・・・と思う。
ところで引き揚げ時には限られた現金以外は持って帰ることが出来なくて、家財道具や資産などすべて従業員に譲渡して帰った。。。とも聞いてた。その店があった場所を母親と妹が訪ねて行ったことがあった。すると母の家族8人と従業員が寮にしていた3階建てのビルは朝鮮日報のビルになっていたとか・・報告してくれた。
双方が対立することなく果たして理解せる日が来るのだろうかとも思うが・・・。