暘州通信

日本の山車

●159 飛騨足利時代? の宝筺印塔

2006年01月05日 | Weblog
「闘鶏楽」を作曲し、鎌倉で演奏したと伝えられる多好方の墓は国府町荒城にあり文化財に指定されている。
しかし、残念ながらこれは誤りである。指定の際のいきさつを飛騨郷土史研究で著名なS氏に直接聞いたことがある。
たまたま史跡調査をしたさい荒城に無縁塔となっていた宝篋印塔があったことから、これを国府町ゆかりの史跡にしたらという提案があって指定された。
宝篋印塔の形式としては、おそらく江戸時代のものであって、多好方の活躍した時代と異なる。
ちなみに、国府町で一番古い宝篋印塔は、安國寺の参道石段の傍らにあるものであろう。
足利時代までさかのぼり、安國寺が建立されるまで、寺域を標榜する塔として浄域の象徴として建てられていたのではなかろうか?


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