暘州通信

日本の山車

◇01810 益子神社祭

2009年05月07日 | 日本の山車
◇01810 益子神社祭

福島県桑折町北半田熊野
祭は四月中旬。
屋臺四臺を曳く
□山車(屋臺)
・御免町
・赤瀬、関ノ内
・銀栗
・関ノ内東

□汎論
益子神社の創祀、名称の由来は不明である。
赤瀬明神(あかせみょうじん)と呼ばれた時期がある。赤瀬はこの地方の地名で、赤瀬街道がある。延暦年間に坂上田村麿が陸奥の国に出進行したさい、この地の竹丸の弟である赤頭太郎(あかずたろう)を討ち、社を建てたという伝承がある。
 この地方は伊達郡であるが、奈良時代に条里制が敷かれたさいに、播州、飾磨から多くの人たちが入植したといわれる。当地の色麻は飾磨のこととされる。
これらのひとたちは射立兵主神(いだてひょうずしん)を和歌山県に本社のある伊太祁曾神を祖神として祀ったという。したがって、伊達郡、伊達政宗など「伊達」のよみは「だて」ではなく、正しくは「いだて」だという。
 射立兵主神社の祭神はイタテオオカミ(射楯大神、五十猛命)、オオナムチノミコト(大己貴命)ほかであり、 伊太祁曾神社の祭神はイタケルノミコト(五十猛神)、オオヤツヒメノミコト(大屋都比売命)、ツマツヒメノミコト(都麻都比売)である。共通する祭神はイタケルノミコトである。
 桑折町はかつて産銀の鉱山があり、鉱石を搬送した軌道跡があって、女郎橋橋堡が現存する。両翼を大きくひらいた稚児柱をもつ六脚の立派な権現鳥居がたつが射立兵主神社を連想する。
 金山彦、とともに鉱山に祀られたかもしれない。
 一方、地名は熊野、祭神に、イザナギノミコト、イザナミノイコトが祀られていて、地元の研究家の間ではもと熊野神社だったのではないかとの指摘がある。

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