暘州通信

日本の山車

◆01389 立花神社祭

2010年03月26日 | 日本の山車
◆01389 立花神社祭
宮崎県児湯郡高鍋町
高鍋町北高鍋(宮越)
立花神社
□祭神
アマニギシクニニギシアマツヒコホノニニギノミコト 天饒石国饒天津彦火瓊々杵命
□祭は七月下旬。
□山車(太鼓臺)
□汎論
 江戸時代は秋月氏の納める高鍋藩の城下町だった。古くは「財部」と言い、「高鍋」と改称されたのは江戸時代である。藩に学問所の明倫堂を設け、子弟の人材育成に力を注いだ教育藩だった。出羽(山形県)の米沢藩の財政危機を救った藩主上杉鷹山(うえすぎようざん)は、名君として知られるが、この日向高鍋藩主秋月種美の次男として生まれた。幼名を松三郎といい、米沢藩主上杉重定の養嗣子となって桜田の米沢藩邸に移り直松に改名、元服後は治憲という。宝暦十三年(一七六三)より尾張出身の折衷学者である細井平洲に学問を学い生涯の師仰いだ。妻に迎えた藩主の娘である幸姫(よしひめ)は脳障害があり、発育不全の面があったが鷹山は妻を愛していたわり、妻と一緒になって、雛遊びや玩具遊びの相手をしたと伝えられる。妻は三〇歳の若さで死去したが、幸姫の父である重定は、娘の死後その遺品を見てはじめて娘が健常者ではなかったことを知り、不憫な娘に示してくれた鷹山の治憲の心遣いに感涙にくれたといわれる。江戸藩邸と米沢に住む父と娘は互いに顔をあわせることもなかったため、娘に障害のあることも知らなかったのである。



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