暘州通信

日本の山車

00153 掛塚祭

2007年03月11日 | 日本の山車
00153 掛塚祭
静岡県竜洋町
貴船神社
□祭
屋臺六臺を曳く。
貴船神社は、海上海運の安全、漁業、農業の守護神として崇敬され特に廻船業者の厚い
信仰を受けてきた町の産土神である。
神が神社から仮宮に神幸するとき、氏子の若衆らが屋臺を曳いて神輿のお供をする。これが掛塚祭の中心である。初期の屋臺は、荷車から曳舞臺、二層の屋臺へと時代と共に変遷してきた。江戸時代末期から明治時代にかけすべてが唐破風造りの単層になった。江戸時代の掛塚は、廻船業を中心として栄え、町民の財政も豊かだったため、各地のすぐれた技術者が集まり、造られた屋臺も絢爛たるものとなった。

□山車
・蟹町 可組
工匠は坂田歌吉亀寿。大正九年の建造。
破風前鬼板、題は三国誌演義、彫常。
懸魚
破風後鬼、一ノ谷の合戦
懸魚
正面蟇股、千羽雀
正面欄間、親子竜(子持竜)彫松
後面欄間、義経弁慶五条大橋の出逢い
後面蟇股、雲
欄間 松に鳩、竹と雀、梅とうぐいす。
脇障子 須佐之男命、彫松
櫛稲田比売、彫松

・新町 志組
工匠は立川和四郎富重。
慶応二年の建造。
信州諏訪からの出造りで国清寺に滞在し三年掛りで完成したといわれる。
破風前鬼板、石橋山合戦 立川和四郎富重
懸魚、立川和四郎富重
破風後鬼板、唐獅子と毬 立川和四郎富重
懸魚、牡丹 立川和四郎富重
正面蟇股、虎の子渡し(雄)
欄間 虎の子渡し
後部梁上 老松
梁 瀬田の唐橋
欄間 鐘馗の豆まき
欄間 唐子の宝遊び
縁止 前 唐子の曲芸
後 粟にうずら
正面腰板、雲、波。千鳥
木鼻 獏
幕 迦陵頻、飛竜

・横町 よ組
工匠は平野勘蔵
建造は明治四0年
破風前鬼板 黄石公と張良 伊藤松次郎(彫松)
懸魚、大正七年の作
破風後鬼板、加藤清正の虎退治、大村善太郎、大正7年
懸魚
正面蟇股、子持竜、昭和六年
正面欄間、波に日の出 彫松
後面欄間 児島高徳と桜樹
後面蟇股竜 龍 昭和6年
欄間 責砥藤網、大村善太郎、大正七年
欄間 養老の滝、伊藤松次郎(彫清?)
欄間 神功皇后(彫松)大正七年
司馬温公の瓶割(彫松)、野々垣清三郎
脇障子 左甚五郎とのみ、彫松、昭和十九年
京人形と牡丹、昭和十八年
幕、仙人群像(詳細不明)、永井実、大正一五年。
木鼻 狛獅子 川合富士

・大当町 大組
工匠 不詳
破風前鬼板、雌雄竜、彫雲堂吉門
懸魚
破風後鬼板雌雄竜、彫雲堂吉門
懸魚
正面蟇股蟇股、雲
正面欄間 二見ケ浦 後藤岩五郎
後面欄間 霊獣
後面蟇股、雲
欄間 風神、雷神 霊獣 後藤岩五郎
 風神
木鼻、狛獅子 片桐兵助伊寿
脇障子 
表 羅生門、立川和四郎富惇
裏 張呆廊
表 松と虎
裏 鐘馗
持送り 犬に蒲公英(タンポポ) 小池佐太郎
幕、鳳凰
七つの兎、兎のもちつき
支度寺縁起
玉と竜

・田町 田組
工匠 小池佐太郎
昭和二十七年
懸魚
破風前鬼板 大江山鬼退治 浦辺一郎
破風後鬼板 中国の物語、浦部一郎
懸魚、張道陵仙人
正面蟇股、鳳凰、浦部一郎
正面欄間、岩見神楽、浦部一郎
後面欄間、七福人、浦部一郎
欄間 源三位頼政の鵺退治 浦部一郎
欄間 二十四孝より郭巨
左欄間 日本武尊
平家公達、維茂の持つ刀
脇障子、呂洞賓、鐘馗

中町 な組
工匠 坂田歌吉
明治三十九年
破風前鬼板 天岩戸開き 彫松
懸魚
破風後鬼板 鍾馗の鬼退治 彫常
懸魚
正面蟇股、雲
正面欄間唐獅子と牡丹、彫常
後面欄間、熊襲退治
後面蟇股、國造り
欄間 司馬温公甕割り 早瀬利三郎(号秋静)
欄間 二十四孝より舜帝 早瀬利三郎
左欄間 獅子の玉とり
欄間 七福人
脇障子 手長、足長
木鼻狛、獅子 鈴木宣之
持ち送り幕、波に亀
幕、大國天とねずみ、東京越後屋製
後幕、七金織帯

・砂町 す組
工匠 鈴木庄吉作
明治二十九年
破風前鬼板 小栗判官と照手姫 作者不詳
懸魚
破風後鬼板、九尾の狐、大村善太郎 昭和四年
懸魚、川合富士 大正六年
正面蟇股 竜、不易堂三光
正面欄間 玉獅子と牡丹 不易堂三光
後面欄間、鵺退治
後面蟇股、鵺退治 不易堂三光
欄間 藤と猿、菊と親子島
欄間 越後八ツ橋の梅、梅とうぐいす、紅葉
木鼻、狛獅子 正面二、左右四。
脇障子 獅子 千丈谷落し 彫松 大正八年
須佐之男命と櫛稲田姫
持ち送り
幕、波に千鳥 川合富士
幕、虎に竹 作者不明

本町 も組
工匠 鈴木勇次郎
明治三年
破風前鬼板、須佐之男命、立川専四郎富種、作成年は不明
懸魚、櫛稲田比売
破風後鬼板、鞍馬の牛若丸と鳥、後藤岩五郎、作成年不明
懸魚、天狗
正面蟇股、粟穂とうずら、不易堂三光
正面欄間 唐獅子牡丹 竹に虎 不易堂三光、明治二十四年
後面欄間 義経と弁慶五条大橋の出会い 鈴木岩重
後面蟇股、太平鰭
木鼻獅子 正面二 左右四。後藤岩五郎の弟子
右欄間 立川専四郎富種
梅、蘭、菊。
脇障子 石榴と鸚鵡、立川専四郎富種
脇障子 蝦蟇仙人
幕 鶴、鳥籠、千羽鶴の図 作者は不明。嘉永五年
後幕 花と籠

□祭囃子
掛塚祭屋臺囃子は昭和四十五年六月二日、静岡県指定無形民俗文化財に指定された。
〈掛塚掛塚屋台囃子保存会〉



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5 コメント

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こんにちは (雷鳥)
2007-03-18 17:01:34
カテゴリー「高山市の不正」に何度か連載された山本正樹証人尋問を読んでいる者ですが、あまりにも詳しく記されているので、ひょっとするとプロの速記者に依頼されたものでしょうか。
返信する
こんにちは (雷鳥)
2007-03-18 17:01:34
カテゴリー「高山市の不正」に何度か連載された山本正樹証人尋問を読んでいる者ですが、あまりにも詳しく記されているので、ひょっとするとプロの速記者に依頼されたものでしょうか。
返信する
尋問は自分で、記録は書記官です。 (一人閑)
2007-03-31 00:25:25
回答が遅くなってしまってごめんなさい。
ご存知のとおり、最近地方自治体の不正が頻出しており、岐阜県の裏金問題など大きな社会問題になりましたね。
このような経緯から、行政の犠牲を強いられている方たちに奮起していただきたいという素朴な気持ちから、自分が辿った民事事件の推移を公表したものです。
裁判ははじめて。法律とはまったくなんのゆかりもない一市民です。
お尋ねの、プロの速記者に依頼したものではありません。
裁判は、弁護士をお願いしないいわゆる「自分訴訟」として行いました。尋問は法廷で、問題を追及しながら即興? で、書記官が記録した「裁判記録」羅列したものです。
山本正樹証人尋問は、被告の証人として出廷し、被告弁護士が30分。原告(私です)がその半分の15分と限定して尋問が始まりました。
ところが、証人の証言に破綻がではじめ、その後、一回約一時間から二時間。法廷は一年以上にわたって九回の尋問を行いました。
はじめから一〇回程度を前提に尋問が行なわれたのではないため、脈絡が取れていないところが多々あって、汗顔のいたりです。
ご関心をよせていただきありがとうございます。
もしご参考になることがありましたら、ご遠慮なくどうぞ。


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詳しくカキコしてくださり、ありがとうございます (雷鳥)
2007-04-01 18:11:25
管理人さんが備忘録に記されただけでしたら、私にせよ読者の皆さんにせよ、こうした具体的な真実を知ることができませんでした。手帳からこの掲示板に書き写されること、すなわち入力されることは、時間と労力を要します。それを厭わず最後までやり遂げていただいて本当にうれしく思います。

また地方自治に関して疑問に思われることがありましたら、どんどんお書きになってください。私も読みますし、友人にも閲覧するよう呼びかけます。
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高山市長を断罪せよ! (一人閑)
2007-04-12 22:09:16
 雷鳥 様
 こんばんは、コメントありがとうございます。
高山市営事業の一被害者として、事実の一部を公開させていただきました。ここで公開させていただいたのはその一部です。
自分が本人訴訟として裁判所の法廷に立ってはじめて高山市の不法行為に泣かされている被害者はずいぶん多いことを知りました。
このような体験記をお読みくださる方がいるとも思いませんでしたが、その反響は多大でした。
私の提訴は復権にはいたりませんでしたが、土野守山市長、高山市の阪下六代顧問弁護士によせる怒りはそうとうなものがあるようです。
10年後には高山市も相当変わりそうです(笑)。

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