暘州通信

日本の山車

◆左甚五郎 脊振の太鼓

2011年04月20日 | 日本の山車 左甚五郎
◆左甚五郎 脊振の太鼓
 孟暑の昼下がり、筑前から肥前にいたる脊振の峠道を下っていた左甚五郎は、あまりの暑さに、傍らにあった傾いたお堂の縁に腰を下ろして休んでいたが、そのとき目の前を通りかかった奇妙な小僧に眼を留めた。その小僧は眼を真っ赤にして、眼のふちをほこりと涙で黒くしてめそめそ泣きじゃくっている。これを見て甚五郎は小僧に声をかけた。
 「見かけない小僧だな、虎の皮のパンツなどはいて」……といったかどうかわかりませんが、子供をあやしていると、ようやく泣きやみ手にした太鼓を甚五郎に見せた。
 「ふーん、どうやら壊れてしまったな?」
 というと小僧は「お父うと、おっ母あに叱られる……」
 「よしよし、わかった。おじさんが何とかしてあげよう」 
 甚五郎は、お堂の片隅から破れ太鼓の埃を払い、欅を刳り貫いて、壊れた太鼓と同じようなものを作ってやった。子供の喜びようはひととおりではない。
 そのとき、どこでみていたのか小僧の親らしき人影が目の前に現れた。虎の皮のブラジャーをしているほうは、どうやら母親らしい。
 小僧の父親は甚五郎の作った太鼓を打つとにっこり笑って礼を述べた。
 「……実は私らは、雷神の夫婦でございます。私らが眼を離した隙に倅が大切な太鼓を持ち出して遊んでいるうちに、うっかり雲の上から落としてしまいこのように壊れてしまいほとほと困っておりました。おかげさまで前よりいい音がします」
「ふーん、そうだったのか……」
「ところで、あつかましいがお願いがございます」
「なんじゃな?」
「そこのあまった皮で同じような太鼓をもうひとつ作っていただけませんか」
「造作も無いことじゃ」
 できた太鼓を父親に見せると、指でトントンとはじいていたが、
「まことに結構でございます。これを貴方さまにさしあげます」
「……これは、いまわしが作ったものじゃ」
「……、それもそうで……、ところで、もし雨がいるときはこの太鼓をたたいて私めを呼んでください」
 雷神の夫婦は丁重にお礼を述べると、こどもをつれていずこへともなく立ち去った。 
 甚五郎も山をくだり、鍋島の御城下までくると一軒の旅籠を眼にして暖簾をくぐった。
「ごめんよ」
「へい、いらっしゃいま……」
「番頭さんかな? ひとつ頼みがあるのじゃが……」
「へい、なんでございましょう?」
甚五郎は首からぶら下げたきたない太鼓を指差し、
「実は路銀がないのじゃが、この太鼓で、今夜一晩泊めてもらえんじゃろうか? いや、酒と飯があればそれで十分……」
番頭はそれを聞くと、みなまで言わせず激しい剣幕で怒鳴りつけた。
「ば、ば、馬鹿にするな……とっとと、失せてしまいやがれ!」
 その大声が奥にまで届き、何事かと宿の主人が出てきた。番頭から話を聞くと、
「番頭の失礼をお許しください。結構でございます。手前どもは御客人をお泊めするのが稼業でございます。どうぞお泊まりください。だがひとつお詫びがあります」
「なんじゃな?」
「じつは、先月梅雨明け以後、この一ヶ月あまり雨が一滴も降らず、井戸が干上がってしまって、飲み水にも事欠く始末……、お風呂を差し上げられません」
「何じゃ、そんなことか、わしは酒があればそれで結構……あ、それからな、明日夜が明けたら、その太鼓を二つ三つ叩いてみてくれ」
宿の主人は、奇妙なことを言う客だと思いながらも翌朝目覚めると、表に出て、
どん、どん、どーん、と太鼓を打ってみた。
 すると、雲ひとつ無かった空に黒雲が湧き上がり、
ごろ、ゴロ、ゴロ、じんんごろう……と雷が鳴り響き、みるまにザーッと雨がふりだしたのだった。
 それ以後は、日照りが続くと、
「及慈雨の甚五郎さま、どうかひと雨お願いします」と祈り、太鼓をどん、どん、どーん と打つと、必ず雨が降るのだった。
 「肥前雨乞い太鼓浮流】のはじまりだそうである。

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