暘州通信

日本の山車

◆01339 楢泉庵 横山家 25

2016年03月10日 | 日本の山車
◆01339 楢泉庵 横山家 25

飛騨東照宮(通称 松泰寺)
高山市西之一色町

 創祀は、高山藩三代藩主、金森 重頼(かなもり しげより)により、高山城中に東照権現社が勧請され、美濃赤坂(現大垣市)より転居した西之一色村の鴻巣氏により、寛永五年(一六二八)に現在の西之一色村尾崎に遷座となったと伝わる。
 元禄五年(一六九二)に東耀山松泰寺寶珠院が開山し、飛騨東照宮の別当寺となったが、奇しくもこの年は金森氏が改易となって、出羽國上ノ山(山形県)へと転封になっている。金森氏はこのわずか三年後にふたたび移封となって、美濃の郡上藩に移されたが、宝暦八年(一七五八)に一揆を咎められ断絶となった。
 今も歌われる、郡上のかわさきの歌詞にある、

  郡上の八幡出てゆくときは
    雨の降らぬに袖絞る

 とは、このときの悲哀をうたったものと言われ、飛騨高山からも多くの縁者が見送りに訪れたと伝わる。
 現在の祭神は、
トクガワイエヤスコウ 源朝臣徳川家康公
オオヤマクイノカミ 大山咋神 山王神
オウジンテンノウ 応神天皇
ハヤタマオノカミ 速玉男神 熊野神
クシミケツノカミ 櫛御気野神(櫛御食野命) 熊野神
キクリヒメノミコト 菊理姫命(白山比命 白山神
イザナギノミコト 、伊邪那岐命 
イザナミノミコト 伊邪那美命
摂社
金龍神社
祭神
カナモリナガチカ 

 江戸時代中期に本殿が改築された。交渉には名工中川吉兵衛がかかわったており、白虎、青龍、玄武、朱雀の四紙彫刻があったが、なぜか現在見当たらない。本殿と唐門および透塀は岐阜県指定文科財に指定されている。

建材、彫刻材の納入したのは楢泉庵主、横山彌右衛門である。
□山車文献資料
・寥郭堂文庫資料


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