暘州通信

日本の山車

隠岐西郷町の武良祭風流

2007年01月24日 | 日本の山車
隠岐西郷町の武良祭風流
島根県隠岐郡西郷町
□祭は10月上旬-中旬(隔年)。
日神と月神の御神体を1丈4尺4寸(約4メートル)の竿上に奉祀し、御神幸が行われる。

□汎論
 隠岐郡西郷町で行われる武良祭風流は、五箇村、水若酢神祉の祭礼風流、西郷町、玉若酢神社の御霊会風流とともに隠岐の三大祭のひとつに数えられる。

武良祭は、建久4(1204)年に、佐々木定綱は幕府より隠岐地頭を命じられたことにはじまるといい。西郷町大字西村、湊、中村、元屋、布施村大字飯美、布施の各地区が参加する。
 隠岐地頭職を拝命した定綱が着任したときの隠岐は天候不順、悪疫の流行と重なる天災で凶荒状態であった。
 定綱は、日・月そのほかの神々を近江の国よ勧請し、日神を元屋の八王子神社に、月神を中村の常楽寺(現在は、中村の一之森神社)に迎え、日月陰陽和合祭祀をおこなったところ、村人たちを苦しめた災厄は去った。祭はその後七百年にわたってたえることなく続けられている。祭は頭人によっておこなう頭屋制度で、一〇月七日に頭宿始めを行い。役が決定するとともに、陰陽胴、楽人、行事役神相撲、占手、巫女舞の練習が始まる。
 一六日には村総出で準備を行う「らちん」、役付は「輿飾」をし、流摘馬を受け持つ人々は八幡社へ参籠して練習する。
 一八日は夜宮。
 一九日は本祭。
小社一〇社、二二神があつまる。
 祭には、主斎神である日神・月神の御神体を一丈四尺四寸(約四メートル)の竿上に奉祀して御幸する。御尊像と呼ぶ。御尊像は、仏教天部の日天・月天が捧げる宝珠を形どり、直径二尺余(約六〇センチメートル)の円盤に日神は三本足の烏、月神は白兎を浮き彫りにしている。
□参考
三本足の烏は、熊野神宮の標として有名であるが、その起源は朝鮮・高句麗時代の古墳壁画に描かれ、中国では、前漢の書である淮南子(えなんじ)別名、淮南鴻烈(わいなんこうれつ)に記載があり、ギリシャではアポロン神話におよぶ。三本足の烏は太陽神の使い、あるいは象徴とされている。
戻って我が国。山形県羽黒山の開基とされる峰子皇子は三本足の烏に導かれたという。
 親鸞が配流となった、上越市には越後一ノ宮居多神社があるが、ここには親鸞の書と伝える日輪に南牟阿弥陀仏と書いた六字名号がある。
 法隆寺の玉虫の厨子の背面にも三本足の烏が描かれ、近年キトラ古墳にもこの三本足の烏が描かれていると伝えられている。
 滋賀県米原町にもやはり三本足の烏の伝承がある。隠岐西郷町との関連性が連想される。
 

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