暘州通信

日本の山車

◆01339 楢泉庵 横山家 4

2016年03月04日 | 日本の山車
◆01339 楢泉庵 横山家 4

 横山家の庵名となっている【楢泉庵 (ゆうせんあん)】の由来は、弘化年間に、加賀を経て飛騨入りした豊後(大分県)日田の漢学者である広瀬旭荘(ひろせきょくそう)が、邸宅の東に連なる飛騨山脈の秀麗な連山に驚嘆のまなざしを向けつつ明舞したと伝わる。広瀬旭荘は、豊後日田の遠思楼(えんしろう)、咸宜園(かんぎえん)で多くの塾生を指導した広瀬淡窓(ひろせたんそう)の弟にあたる。後年横山家を訪れた中国の画家で知られる胡鐡梅(こてつばい)の揮毫した【楢泉庵】の偏額が掲げられている。