◆35224 日氏の系譜 二八
これは仮説である。
◇白山神を祀る氏族により祀られたと推定される神(但し、一部について記述する)。
・シラヤマヒメノミコト 白山比命、菊理比賣命
・セオリツヒメノミコト 瀬織津媛命(*注)
全国に展開する白山神社は加賀國(石川県)、日本車がありその創祀の歴史は古く謎につつまれている。加賀國の加賀番場(石川県)、越前國(福井県平泉寺)の越前番場、美濃番場(岐阜県郡上市長滝)と、白山山麓三方に里宮があり、美濃番場は長柄だわ下流域に【洲原神社】があり、尾張國(愛知県)からの参詣人は、経路が長く険阻なため、陸路を、あるいは水路を現美濃市上有知湊(こうづちみなと)まで舟できて洲原神社に参詣する人が多かった。
越前番場は平泉寺にあるが、長く広い参道が続き重厚な社殿が建てられている。その名称から連想されるように、藤原氏一門が栄えた奥州平泉寺には断片的な記録や伝承が伝わる。それらをつなぎあわせると、藤原氏一門と白山信仰の関係はかなり深いものがあったと推定される。白山ゆかりの【延年】は正月明けに美濃番場でも行われ、岩手県の【毛越寺】でおこなわれる【延年】とは近縁関係にあるとの報告がある。
東北地方各地にはいまなお【セオリツヒメノミコト・瀬織津媛命】が祀られているところが多いが、シラヤマヒメノミコトとセオリツヒメノミコトは奥州の藤原氏が北陸からひろめたものかもしれない。
京都府宇治市の宇治橋の近くに【興聖寺】があり開山は越前の永平寺にわずかに先立つ。榮へ字の開基も白山信仰と結びつくかもしれない。
吉野山をくだり、奥州に落ち延びた源義経、弁慶ひおかの主従は北陸(ほくろくどう)を経由して落ち延びたのであるが、安宅の関でもきわどいところで富樫に見逃してもらう。有名な【勧進帳】であるが、北陸道は奥州藤原氏とのかかわりの深さを知っておくべきであろう。
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◇宇奈己呂和気神社の意志
2010/4/26(月) 午前 9:52
... 宇奈己呂和気神社創草は第四九代光仁天皇代、陸奥国の蝦夷はびこり騒がしきために朝廷は天応元年(七八一)一月、陸奥出羽按察使として藤原小黒麿を任命し下向させるが実効なく ... 山頂に瀬織津比売命(セオリツヒメノミコト)の垂跡があって祭祀され ...
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