仮称Q地
「仮称Q地」とは、長尾畑総事業地外にある花里神社境内地のなかに計画された、計画された高山市道用地のことです。
花里神社は、既述のとおり、もともと地内の旧高山市南西地域の鎮守でしたが、三木氏のとき、祭神と、花里八幡宮と社号が変わり、金森氏の飛騨攻めで炎上しました
、のちに、金森氏により、現在地に新しく「花里八幡宮」が祀られましたから、ほとんど忘れ去られたような存在になっています。
それでも、戦後しばらくは、神官と、関係者ら数名が榊、神饌、御神酒などを携えてきて、祝詞の奏上がありました。
三木氏は、大八賀にも築城していましたから、そこにも鍋山城の鎮守として花里八幡宮を分祀し、50-60町歩の社叢があります。
花里八幡宮は、三木氏滅亡後は顧みるひともなくなり、飛騨高山における金森氏全盛期には、住民らはその遠慮から、花里八幡宮は距離を置く存在で、地域に居住する人も稀でした。
「仮称Q地」とは、長尾畑総事業地外にある花里神社境内地のなかに計画された、計画された高山市道用地のことです。
花里神社は、既述のとおり、もともと地内の旧高山市南西地域の鎮守でしたが、三木氏のとき、祭神と、花里八幡宮と社号が変わり、金森氏の飛騨攻めで炎上しました
、のちに、金森氏により、現在地に新しく「花里八幡宮」が祀られましたから、ほとんど忘れ去られたような存在になっています。
それでも、戦後しばらくは、神官と、関係者ら数名が榊、神饌、御神酒などを携えてきて、祝詞の奏上がありました。
三木氏は、大八賀にも築城していましたから、そこにも鍋山城の鎮守として花里八幡宮を分祀し、50-60町歩の社叢があります。
花里八幡宮は、三木氏滅亡後は顧みるひともなくなり、飛騨高山における金森氏全盛期には、住民らはその遠慮から、花里八幡宮は距離を置く存在で、地域に居住する人も稀でした。
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