MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

旧東海道・神奈川宿歴史散歩~その2

2020年03月21日 | まち歩き

神奈川宿歴史の道の後半は。滝の橋の本陣跡から京見附側の台場付近を進み横浜駅へとブラ散歩しました。

滝の橋から滝の川沿いにある「浄瀧寺」では、開港当時はイギリス領事館であった寺院で広い墓園には神奈川宿の関係者のお墓があるそうです。

浄瀧寺の近くの住宅街の一角には、「神奈川の大井戸」と呼ばれる井戸があります。本陣に徳川将軍や明治天皇が訪れた時にこの井戸水が使われたようです。

大井戸のある住宅街の先に「宗興寺」があり、横浜開港時にアメリカ宣教師で医者のヘボン博士が診療を行った寺院で「ヘボンの記念碑」が、建てられています。境内にある桜の木は満開となっていました。

宗興寺から急坂を上り権現山へと向かいますが、現在は削られて小高い丘となって幸ヶ谷公園となって桜の名所となっています。公園から坂道を下り「洲崎大神」の裏門に着きました。

州崎神社は、源頼朝が創建した社で安房の国の安房神社の神を勧請した神社で、鬱蒼とした森林に囲まれ境内には獅子が居る岩山が見られます。

神社前の宮前商店街も旧街道の風情が感じられます。その先の「普門寺」は、洲崎神社の別当寺だったお寺で洲崎大神の本地仏の観世音菩薩を安置したそうで、開港当時はイギリス士官の宿舎に充てられていました。

普門寺の横にある「甚行寺」は、フランス公使館として使われたお寺で関東大震災と横浜大空襲で当時の面影は消失しています。

甚行寺からJR東海道線の上に架かる青木橋を経て本覚寺へ向かいますが、以前には本覚寺のある丘と幸ヶ谷公園は、ひと続きの丘でしたが、新橋~横浜間の鉄道開通時に山を切り開かれ旧東海道の交通の要所でした。

青木橋の先の「本覚寺」への急坂を上ります。

急坂を上ると山門に着くと、開港時はアメリカ領事館に充てられた石碑が立ち、当時山門が白ペンキで塗られて星条旗が掲げられていたようです。

山門の獅子頭には、その痕跡が残されているようです。

本堂には、立派な木彫りの彫刻や五三の桐御紋が飾れています。

本堂横には、巨大な涅槃仏像も 迫力あるお姿でお休みでした(笑)

本覚寺から丘続きの上にある「三宝寺」へ向かうと、コンクリート製の高架柱上に本堂が立つ異様な光景の先に「三宝寺」がありますが、神奈川宿としての名残は見られませんでした。

三宝寺からさらに急坂を上り高島山公園へ向かいます。

公園内には、鉄道用地の埋め立てに力を尽くした高島嘉右衛門の功績を顕彰する「望欣台の碑」と三宝寺の住職だった歌人の僧侶「弁玉」の顕彰碑「弁玉歌碑」が立てられています。

高島山から急坂をくだり路に迷いながら環状1号線に戻り、115段の急階段を上り旧東海道の台町へ向かいます。

上り切った先の旧東海道台町の坂道分岐点に神奈川大の関門跡の石碑があり、開港後の外国人警備のための関門や番所が設けたところでしょう。

関門跡から帷子川沿いを経て横浜駅に着きました。

開港以来、横浜の街は近代都市に生まれ変わっており、神奈川宿当時のものは殆ど無くなっていますが、歴史の道の一部にその面影も見られ、宿場巡りから現在の神奈川県の名前の由来を感じた歴史散歩でした。


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