横浜の早春のスポーツイベントとして定着していた『横浜国際女子駅伝』がFINAL大会となり、27回の歴史の幕を下ろした。
管理者は、地元のランナーの一員として、走友会の仲間とともに、毎回走路整理員として、大会を見てきたので、本当に淋しい。
今回も、走路整理員は集合場所から、いつもの担当区分へ移動して朝10時過ぎから、配置に就いて走路の確認や役割の確認を行いスタートを待っていた。
我が日本のナショナルチームは、エース小林祐梨子や渋井陽子、加納由理などの選手編成で優勝を望めるメンバーだった。
担当コースの1区では、予想通り小林選手が既に2位を約50M離して独走態勢を築いて通り過ぎていた。
北京オリンピックでは、予選落ちの涙を呑んだので、同じ区間を競うメダリストのデイタとのバトルを期待していたが、独走とは・・・・
小林選手の飛ぶような走りは、相変わらずであったが、ダイナミックで管理者は一番期待しているアスリートである。
復路の6区の選手が来るまでは、一旦配置が解除されるので、近くの山下公園に移動して、春のスケッチを楽しんだ。
その間は、ワンセグ・TVでレースの成り行きを見ながらで、日本ナショナルチームの活躍を応援していた。
6区では、エース渋井選手が余裕の走りで、沿道のファンへ手を振りながらの快走で走りを楽しんでいた。
後続チームも、ラストのフィンランドまで約20分のタイム差が出来ていた。
日本ナショナルチームは、独走で優秀の美を飾り、10回目の優勝を勝ち取った。
最終走者を見送ってから、EKIDEN FINALの雰囲気を確かめようと、ゴール地点の赤レンガ倉庫へ向った。
ゴール地点では、既に表彰式が始まっていたが、27回の歴史を振り返りながら、その感触を味わった。
この横浜国際女子駅伝『EKIDEN』は、「世界と日本の女子長距離・マラソンの育成と国際交流」を目的にスタートしたが、その目的が果たせたと言うことか?
EKIDEN廃止の理由では、 「東京国際女子マラソン」を横浜に移すために、その場を譲った形となるが、
この数年の大会の参加チームを見ていると、外国チームは5-6ヵ国と減少しており、また、そのチーム構成もベストにはほど遠いと感じていた。
駅伝も、各地で競うように開催されており、淘汰されていく流れを感じている。
また、道路事情やスポンサーなどの協力体制にも、様々な事情があるようだ。
かっての東日本縦断駅伝(青東駅伝)や中国駅伝などの名物駅伝が懐かしい。
また、市民マラソンと異なり、国際クラスの駅伝・マラソン大会は、スポンサーや放送メデイアの争いも見え隠れしている。
新しい「横浜国際女子マラソン」も、テレビ放送は、朝日TV系と日本TV系が交互に放送するそうだ。
景気不況が続く経済環境の中で、企業スポーツの継続が難しくなっているが、新しいマラソンイベントが、横浜に定着する事を、期待しており、地元としても支援していきたい。