新大阪始発のこだま形電車特急
昭和40年12月、新大阪駅で撮影したこだま形電車特急の写真。
39年の新幹線の開業後、こだま形電車特急151系は新大阪発着の山陽特急として運行されることになった。
これにより、名門列車であった"つばめ"、"はと"も新大阪・博多間の運行に変わった。
従前の大阪・宇野間の"うずしお"に加えて新大阪・宇野間に"ゆうなぎ"、新大阪・下関間の"しおじ"が新設された。
電車特急が名古屋を往来した黄金期はカメラを手にする前でも、この頃は新大阪まで行けば151系が撮影できた。
41年10月のダイヤ改正までに151系は出力増強対応の181系に改造され、純正の系統が余命僅かの頃である。
新大阪出発を待つ下り特急第1"しおじ" 赤色フィルターを付けた最後尾のクハ151ー1
先頭車はパーラーカーと呼ばれた1等展望車 クロ151ー1
新幹線開業1年後の40年、"つばめ"、"はと"が481系交直両用電車に置換えられることになった。
これに伴い、151系を転用して新大阪・広島間の特急"しおかぜ"が登場した。
43年10月のダイヤ改正で従前の"しおじ"に統合されたが、"しおじ"は47年岡山新幹線開業後も存続した。
新大阪到着の上り特急第1"しおかぜ"
1965.12 新大阪駅
その後43年8月、大阪駅で撮影した181系に改造後のこだま形電車特急の写真。
大阪に入線する下り特急"うずしお" 先頭はクロハに改造されずに残されたクロ181(推定)
乗車風景 最後尾のクハ181
1968.8 大阪駅
歴史を紐解けば、昭和33年11月、ビジネス特急と謳われた"こだま"がデビューして、誰もが知る存在になった。
8両編成で、東京・大阪、神戸間各一往復、途中停車駅は横浜、名古屋、京都で東京・大阪間を6時間50分で結んだ。
35年、列車特急の"つばめ"、"はと"が電車化され、第1、第2"つばめ"となった。所要時間は6時間30分に短縮。
パーラーカーのクロ151が製造されて下り先頭車となり、全室食堂車サシ151を組込んだ豪華12両編成になる。
翌36年10月のダイヤ改正の特急大増発で、東海道線の電車特急も最盛期を迎えた。
東京・大阪間で第1、2"こだま"、第1、2"つばめ"に加え"はと"が復活、東京・宇野、神戸間で第1、第2"富士"を運行。
さらに東京・名古屋間の"おおとり"、大阪・宇野間の"うずしお"が新設され、当時は11両編成で運行された。
他にも157系による不定期特急第1、2"ひびき"が運行されていた。
38年、再び12両編成にして輸送力増強が図られたが、翌年の新幹線開業とともに電車特急は東海道から姿を消した。
花形電車の華やかなりし時代は、たった数年間のことである。
30年代後半の名古屋停車中の特急"富士"の写真が手元に残っていた。当時は小学生なので自分で撮ったものではない。
誰が撮ったのか分らないが、チャンピオンマーク(狭軌最高速度記録)のプレートを付けたクハ151である。
30年代後半の名古屋駅