新幹線開業後の東海道電車急行
昭和35年6月、東京・大阪間に国鉄初の電車急行が登場。準急用として製造の153系を投入した急行"せっつ"である。
36年、早くも東海道線電車急行の黄金期を迎え、増発の列車も"せっつ"に倣い、関西由来の地名、旧国名等が付された。
37年に山陽線広島電化に合わせて東京・広島間で運行された急行″宮島″のみが、関西一色の愛称の例外であった。
同一区間の運行であっても各々の急行列車に愛称が付されて大型ヘッドマークを取り付けていた時代であった。
39年10月の新幹線開業後に元祖の"せっつ"は名を消したが、急行"なにわ"、"いこま"、"よど"、"六甲"が存続した。
定期列車が"なにわ"のみとなる40年10月のダイヤ改正を控えて、ヘッドマークを目当に列車を追いかけた。
153系上り急行"いこま" 東海道線岐阜付近を疾走
1965.9 東海道線 穂積・岐阜
名古屋に到着する下り急行"いこま"とホーム上の光景
1965.6 名古屋駅
下り急行"いこま" 舗装道路がまだ少ない時代
1965.9 東海道線 熱田・名古屋
これらの電車急行は、1等車2両を挟みビュッフェ付き二等車サハシ153を両側に連結する編成であった。
岐阜停車中の急行"なにわ"のビュッフェ合造車サハシ153 その先は1等車サロ152
1965.9 岐阜駅
下り急行"六甲" 岐阜付近の踏切風景
1965.9 東海道線 岐阜・穂積
名古屋停車中の上り急行"六甲"
1965.9 名古屋駅
上り急行"よど" 名鉄電車と並走区間を行く
1965.9 東海道線 名古屋・熱田
40年10月以降、定期運行は"なにわ"の2往復のみになり、43年10月、"なにわ"も廃止された。
東京・大阪間の電車急行が姿を消したのは、"せっつ"が登場してから僅か8年後のことであった。
臨時列車になった下り急行"よど" 秋の臨時列車として10月末まで運行された
1965.10 名古屋駅
定期列車として唯一愛称が残された上り急行第2"なにわ"
1966.1 名古屋駅
名古屋停車中の下り急行第1"なにわ" 高運転台車登場後も低運転台車が併用されていた
1966.10 名古屋駅
ヘッドマークは板をめくって列車名を変更するスタイルであるが、最早1枚しかないように見える
クハ153ー500番台 高運転台の顔
1967.10 名古屋駅
下り急行第1"なにわ"
1968.1 東海道線 熱田・名古屋
不定期列車として運行されていた急行"いこま" 大阪到着 後2か月の運命
1968.8 大阪駅