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ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(35・北陸線交直セクションの繋ぎ役)

2015-02-19 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線交直セクションの繋ぎ役  ED30の時代

北陸線の交流、直流の接続区間で昭和41年から43年に活躍した機関車を交直セクションの繋ぎ役と題して記録した。

昭和32年、北陸線の田村・敦賀間が交流電化されたが、米原・田村間4.7キロはしばらく非電化のまま残された。
直流の東海道線と交流の北陸線の接続がネックとなり電化完成は37年。北陸トンネル開通、福井電化開業の年である。
田村駅南方に交直セクションを設置して交直両用電車が投入されたが、電化後もこの区間は蒸気機関車が活躍していた。
米原と田村それぞれで電気機関車の付替えが不可避であり、この区間の列車を牽引する機関車を要したためである。

こうした時代背景にあって、37年に交直両用電気機関車の試作機ED30が製造され、米原機関区に配属された。
ED30は1形式1両である。当時はD50と共にこの区間の営業運転の任に就いていた。

41年1月23日、まだ中学生であったが、初めて湖東のこの区間を訪れてED30を撮影した。
名古屋から普通電車で米原に行き、雪の田村間を列車で往復した。復路はED30の牽引であった。

ED30-1   いかにも試作車両を思わせる運転室屋根上の機器




ED30への付替え作業 米原に向かう 上り532レ客車先頭部より   


田村で待機するED30-1




田村以北は交流電気機関車が担当 下り新津行523レのED70―12付替え作業


田村で待機する交流電気機関車をまとめて数両見た。初めて見るローズピンクの車体が雪のなか鮮やかであった。

ED70-7


EF70-6 白熱1灯の1次形(1~21)




EF70ー66 シールドビーム2灯の2次形(22~81)

1966.1 田村駅

写真を撮り始めた当初は蒸気機関車は当たり前の存在で、あまり写真を撮る気にならなかった。

長野工場式デフのD50ー131


ラッセル車DD15と米原駅構内除雪作業



1966.1 米原駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(34)

2015-02-16 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線3形式の交流電気機関車

昭和42年3月、家族旅行で北陸の温泉に出かけた。その道中で撮影した交流電気機関車の写真。
当時の北陸線の旅客列車は、ED70、EF70、ED74の3形式の交流電気機関車が牽引していた。

ED70は、32年の北陸線田村・敦賀間の電化開業に合わせて製造された国鉄初の量産形交流電気機関車である。
19両が製造されて敦賀第二機関区に配属され、撮影当時も主軸機関車であった。大聖寺駅で1番機に遭遇した。

ED70ー1牽引の下り普通列車

1967.3 大聖寺駅 

ED70-16牽引の下り普通列車

1967.3 動橋駅

37年の敦賀・福井間の電化開業並びに北陸トンネルの開通に合わせて、EF70の1次型(1~21)が製造された。
北陸トンネル内の勾配対応等のためF機を投入したとされる。39年から増備の2次型(22~81)が製造された。
1次型は敦賀第二機関区、2次型は敦賀第二及び富山第二機関区に配属されていた。

EF70-17牽引の上り普通列車

1967.3 動橋駅

38年の金沢電化開業に伴い、ED70の増備機として平坦区間用としてED74形が製造された。
しかし、EF70を主力機として増備するとの方針変更により、6両のみの製造に止まった。
全機が敦賀第二機関区配属されていた。その後、43年に大分運転所に転属している。

ED74ー4牽引の北陸線下り普通列車

1967.3 福井駅

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昭和40年代前半の鉄道写真(13)

2014-12-21 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

北陸線の交直両用急行電車

昭和38年、北陸線の金沢電化開業に合わせて大阪・金沢間で電車急行"加賀"、"ゆのくに"の運行を開始した。
投入された471系は国鉄初の急行形交直両用電車で60Hz対応車両。特急形の481系に先行して製造された。
電動車以外は、同時期に製造された50Hz用の451系を共用した。

撮影当時は、"ゆのくに"が"加賀"に名称統合された後であり、他に大阪・富山間に急行"立山"が運行されていた。
39年の富山電化時から"越山"、"越前"が1年間定期運行される等、北陸線の急行は目まぐるしい名称変更があった。
"加賀"は、その後再び"ゆのくに"に変更されている。

451系と共用のクハ451を先頭にした上り急行"加賀"

1965.12  新大阪駅

米原停車中の上り急行"加賀"最後尾 60Hz対応の電動車クモハ471

1966.1  米原駅

40年電車化の471系下り急行"立山" 先頭クモハ471 当初は60Hz用電動車のみ側面下部に細帯が塗装された


最後尾のクハ451

1966.3  米原駅

米原付近  新幹線と交差する地点を行く上り急行第1"立山"       

1968.5 北陸線 米原・坂田

名古屋・金沢間の電車急行は、特急"しらさぎ"から遅れること約2年後の41年に"兼六"が定期運行を開始した。

名古屋に到着した上り臨時急行時代の"兼六" 先頭車クモハ471

1965.10  名古屋駅

41年には米原始発の"くずりゅう"も運行を開始。新幹線連絡列車であり、湖西線開業後も運行された。

米原到着の上り急行"くずりゅう" 手前"兼六"との併結切り離し作業 この頃は付随車も細帯塗装されていた(手前はクハ)

1967.12  米原駅

雪の湖東を行く下り急行第1"くずりゅう"

1967.12 北陸線 米原・坂田

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昭和40年代前半の鉄道写真(12)

2014-12-19 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

交直両用特急電車 "雷鳥"と"しらさぎ"

昭和39年、北陸線電化の富山伸延に伴って大阪・富山間の特急"雷鳥"、名古屋・富山間の特急"しらさぎ"が登場した。

投入された481系は国鉄初の交直両用特急電車で、北陸線の交流60Hz対応用として製造された。
10月の新幹線開業に合わせて運行開始が予定されていたが、車両の落成が遅れ実際のデビューは12月であった。

初期型の先頭車クハ481-1~8は、スカートが赤色に塗装されたが、「ひげ」の塗装は施されていなかった。
前灯両側のウインカーランプも外され、こだま型と印象が変わったが、幸い名古屋で引続きボンネット型特急が見られた。

「ひげ」が付く直前、旧塗装の特急"しらさぎ" クハ481ー4   



1965.7 名古屋駅

交直両用を示す車体前面の「ひげ」が塗装されたのは、翌40年製造の増備車クハ481-9~18からである。
同時に50Hz用との区分のため赤色スカートにクリーム色の帯が入れられ、第1次型も8月から順次新塗装に変更された。

名古屋出発を待つ新塗装の481系下り特急"しらさぎ"


食堂車  サシ481-3

1965.9 名古屋駅

下り特急"しらさぎ"   最後尾は151系同様赤色フィルターを装備

1966.3 名古屋駅

雪の湖東を行く481系下り特急"しらさぎ"

1967.12 北陸線米原駅付近

雪の米原に停車する481系下り特急"雷鳥" 後尾から




先頭車 奥は新幹線ホーム

1966.1 米原駅

米原停車中の下り"雷鳥" クハ481ー2


米原を発車して北陸線に向かう  左は東海道線80系普通電車

1966.3 米原駅

北陸線交直セクション付近を通過する下り特急第1"雷鳥"

1966.12 北陸線 坂田・田村

田村を通過する下り特急第1"雷鳥"

1968.5 北陸線 田村駅付近  

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昭和40年代前半の鉄道写真(5) 

2014-11-29 | 昭和40年代の鉄道(北陸線他)

白鳥形気動車特急

キハ82系気動車は、昭和36年10月の白紙ダイヤ改正の特急大増発時に登場した。その目玉が"白鳥"であった。
81系のはつかり形に対して、改良型である82系は白鳥形と呼ばれていた。

昼間に千キロ以上走行する花形列車で、米原に行くと必ず撮っていた。名古屋を朝に出ると丁度よい時間に入線した。

北陸線に向け雪の米原を出発する下り特急"白鳥"

1965.12   米原駅

当初の"白鳥"は大阪から青森発着と上野発着の各6両で、大阪・直江津間は併結して運行。食堂車2両を連結していた。
撮影当時は、上野発着列車が"はくたか"に分離された後であるが、最長時は14両の長大編成で壮観であった。

米原停車中の下り特急"白鳥"


米原到着

1968.5   米原駅

大阪の出発を待つ

1968.8 大阪駅

雪の湖東を行く

1967.12   北陸線 米原・坂田


昭和40年10月、"白鳥"の上野発着列車が分離され上野・金沢間(信越線経由)を"はくたか"として運行開始した。

金沢始発上野行 気動車時代の上り特急"はくたか"





1967.3   金沢駅

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