鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

劣悪環境下での練習

2010年04月17日 | Weblog
鹿島悲惨…雪、強風、雨、寒さの中で練習
 鹿島は17日、茨城県鹿嶋市内のクラブハウスで18日のリーグ広島戦に向けた調整練習を行った。早朝には雪が降り、練習時には強風、雨、厳しい冷え込みと悲惨なコンディションの中、軽い調整のみで練習は終了。リーグ戦では2戦未勝利(1敗1分け)だが、14日の長春亜泰戦をアウェーで制しただけに、DF岩政大樹は「久しぶり(公式戦5試合ぶり)にホームに帰ってきたので、アウェーよりはいい試合ができると期待している」と前向きに話していた。
 [2010年4月17日19時42分]

劣悪な環境下での練習を行い明日に備えた。
久しぶりの聖地での試合で無様な姿は見せられぬ。
気合いを入れ直して迎えたい。
疲労は無視出来ぬが、気持ちで勝利を掴んで欲しい。
静は九郎殿を恋慕う歌を舞った。

集中力で跳ね返せ

2010年04月17日 | Weblog
鹿島MF「相手もそこを突いてくるだろうけど…」
 鹿島は17日、ホーム広島戦(18日)に向けて約1時間の調整を行った。14日のACL長春亜泰(中国)戦から中3日の過密日程。この日午前中は雨が降っていたこともあり主力組はパス回しなど軽めの練習で終了。リーグ戦では2試合連続で試合開始直後に失点して苦戦しているが、MF中田は「相手もそこを突いてくるだろうけど、集中してしっかりやっていけば問題ない」とリーグ3戦ぶりの勝利へ自信を見せていた。
[ 2010年04月17日 14:22 ]

リーグ戦ではここ二試合、試合開始直後の失点が響き勝利に見放されておる。
ユダは集中力でその失点を防ぎたいと語る。
3月27日以来の聖地での試合で無様な姿は晒せぬ。
ここはいつも以上に気持ちを込めて試合に臨みたいところである。
己の的は己と言い聞かせ、自分に勝つ試合をして勝ち点3を積み上げたい。
都一と謳われた白拍子・静は頼朝の居る鎌倉へ呼び寄せられた。

広島戦プレビュー

2010年04月17日 | Weblog
【J1:第7節 鹿島 vs 広島】プレビュー:中国でACLを戦って来たばかりの両チーム。中盤を制するのは鹿島か?広島か?(10.04.16)
 身を刺すような寒さだった長春から桜が散り終えたはずの日本に戻ってきたはずなのに、待っていたのは大陸と大差ない冷たい雨と風だった。長春から木曜日に帰国した鹿島は、ホームに広島を迎える。5連勝を飾ったACLと違いリーグ戦では2試合勝ちがなく、さらに長春戦で存在感を見せつけたマルキーニョスが出場停止と、ここが前半戦の踏ん張りどころなのかもしれない。

 対戦相手の広島もまた多くの怪我人を抱えながら火曜日に中国・山東でACL予選リーグを戦い、ロスタイムの李忠成の劇的なゴールで勝利を挙げている。残念ながら広島はラウンド16に進むことはできないが、グループFを勝ち進んだ鹿島は、ラウンド16で広島がいるグループHのアデレードか浦項とぶつかるため、当然のことながら、広島に勝てなければ両チームに勝つのは難しいと言わざるを得ない。また、広島にとっても敗退の悔しさを晴らすには鹿島に勝つことが一番手っ取り早い方法だ。互いのチームにとって、ただの1試合以上の意味を持つゲームだろう。

 そんな両チームを身近に感じながら戦う一人の選手が鹿島に在籍している。広島からレンタル移籍中の佐藤昭大だ。昨季、序盤までは広島の正GKとして活躍していた佐藤。怪我を機に出場機会を奪われてしまったところ、シーズンオフに第2GKを長年務めてきた小澤英明がパラグアイに渡ったことでGK不足になった鹿島からオファーを受け、移籍を決断した。ここまで出場機会は得られていないがアジアを舞台に奮闘する元同僚たちの姿は大きな励みになっているという。「やっぱり気になりますよね。ユースの頃から一緒にやってきた仲間だし、いまは試合に出られないけれどここで腐っても仕方がない。自分もがんばろう、という気持ちにさせられます」
 青山敏弘などとはいまでも連絡を取り合っているという。そんな佐藤が感じる鹿島のすごさはオンとオフのメリハリだそうだ。「王者ということで、もっと普段から厳しいのかと思っていったら、ぜんぜんそんなことはなくて。例えば怪我をしちゃいけないからサンダルは履くな、とか(笑)。でも、みんなオンとオフの切り替えがすごく上手いですね」。成長した姿をグランドで披露できないことは悔しいだろうが、かつてのチームメイトたちとの再会は、彼にとっても楽しみに違いない。
 
 さて、試合の展開に目を移すと鹿島にとっての懸念点はマルキーニョスの不在だ。前節のF東京戦では、代わりに出場した大迫勇也がほとんど見せ場をつくることができず、試合中、オリヴェイラ監督から名前を呼ばれることが頻発した。興梠慎三が公式戦4戦連発と絶好調なだけに、ここで結果を出さないとさらに差が開いてしまうことになる。怖れを知らない若さで思い切ったプレーを見せて欲しいところだ。

 広島は復帰したばかりの青山敏弘が再び怪我をしてしまい戦列を離れることになった。中盤のキープレイヤーだっただけに非常に痛い。ただ、鹿島も中盤の運動量には不安が残る。ロングボールにも特徴を持つ両チームだが、中盤の選手がすばやくフォローに入れば大きな傷にはならないはずだ。中盤を制したチームが試合も制することになるだろう。


以上
2010.04.17 Reported by 田中滋


新井場の弟こと佐藤昭大がレンタル元の広島との対戦ということでコメントを発しておる。
ここまでのところ、第二GK争いは杉山に軍配が上がっておるが、最終的にどうなるかは分かる由もない。
佐藤昭大はまだ若く、将来のある身である。
ここで耐えることも糧となるのだ。
王者の空気を吸うことで、自分に実が付き成長することを実感することであろう。
明日、佐藤昭大が出場せずに済んで欲しい。
そんな中で、彼は成長していくのだ。
逆に先発が予想されるFWの大迫には厳しい意見が飛んでおる。
若さで思い切ったプレイを期待しておるとは田中氏の弁。
確かに先週の試合は消極的にも思えた。
大迫もこのチャンスを逃すまいと思う気持ちと、重圧に苦しんでおるのやも知れぬ。
彼ほどのスターも苦悩するのである。
それが若さというもの。
ここを切り抜けて、更なる成長を遂げてくれると信じておる。
未来のエースとして明日は思い切ったプレイ以上に得点を期待したい。
後白河皇は義経を解官し、散り散りになった義経・行家を召し取るよう院宣を近国の国司に下した。

興梠慎三 ~FWという生き方~

2010年04月17日 | Weblog
2010年4月 1日 (木)
興梠慎三インタビュー(1)

天国と地獄、それがFW

―FWの喜びは?

興梠 ゴールが結果につながったとき。

―ピッチで嫌なことは

興梠 やってもやっても、結果がついてこないとき。

―逆にうれしいこと

興梠 辛いときに聞こえる、自分の応援歌。

―FWとしての武器

興梠 スピード、それだけ。

―FW興梠慎三は?

興梠 うーん、全然FWっぽくないFW。

―ご自分の性格は?

興梠 基本、大雑把。ケアとか、ケガ防止とか、色んなことに気を配ったりすることができないタイプ。

―げん担ぎはしますか。

興梠 全くしない。一度、スパイクをキレイに磨いたら、そこから点が取れなくなったから、スパイクを磨くのも止めた。

―成長を感じる瞬間。

興梠 モトさん(本山雅志)、拓さん(野沢)が、自分にパスを出してくれる瞬間。

―出ませんでしたか。

興梠 全然。昔は、もう明らかにオレが、どフリィ~!だってパスが出なかった。

―FWとしてのモットーは?

興梠 自分がやっていて楽しいと思えるサッカーをし、その自分のプレーを見たサポーターが楽しいと思って見てくれること。

―もし生まれ変わったら、やってみたいポジション。

興梠 生まれ変わらなくてもセンターバック。ディフェンスの自分は、FWとは違って、絶対にうまくやれるっていう自信しかないんだけど、どうっすかね。

―FWとはどんなポジション?。

興梠 天国と地獄、かな。一本のシュートで新聞の一面にも載る凄く‘おいしい’部分と、凄く苦しい部分が一緒になってる。

―宝物

興梠 高校時代の、水色と濃いブルーの縦縞のユニホーム。あれを見ると、あぁ、自分はこっから始まったんだ、って思える。背番号は13。


2010年4月 1日 (木)
興梠慎三インタビュー(2)

もし、あのとき電話に出ていなかったら・・

 日本代表に選ばれる選手で、高校時代、サッカーを辞めてしまった経験を持つ選手など、そうは見つからないだろうと思う。そもそも、中学時代からサッカーに強い思い入れがあったわけでもなければ、プロになろうと真剣に考えたことさえなかった、とチャンピオンチームのFWは屈託なく笑う。「原風景」は、興梠というFWの根っこをよく現しているようだ。

 中学三年、一般入試に落ち高校進学を悩んでいたとき、県下の名門、宮崎・鵬翔高校の松崎博美監督からの電話を受けた。

 「高校、どうするんだ?」

 「試験落ちちゃって・・・決めてません」

 「サッカーをやるなら、まだ推薦枠が取れるぞ。サッカー部に入らんか」

 浪人は困る。だから、「ハイ、やります」と即答したが、実際に入部した興梠にサッカーの魅力はほとんど分からなかった。厳しい練習、上下関係に耐え切れず、夏には練習に行くのを辞めた。同時に、学校からもエスケープ。しかし、松崎監督は諦めなかった。

 自宅であてもなくブラブラていると、毎日二度は自宅の電話が鳴る。家族が申し訳なさそうに応答しても電話には出ない。しかし、それが1ヶ月も続いたとき、電話の横を通り過ぎる瞬間、持ち前の反射神経が受話器を取り上げてしまった。「ヤッベエ」と、つぶやいたときには、すでに説得が始まっていた。

 説得の内容が、将来のため、とか、才能があるんだから、といった漠然としたものではなく、練習試合があるから来てくれ、とストレートなものだったことを覚えている。分かりました、と受話器を置いて翌日練習に行くと、1ヶ月も休んでいたのに起用され、1ヶ月もボールを蹴っていないのに決勝ゴールを奪って勝ってしまった。試合後、着替えをしながら、ロッカーで仲間に言われた。

「先生があんなに必死になって誰かを引きとめるなんて、今まで見たことないぞ。先生の気持ちに応えろよ」 

何となくサッカーに戻ったこの日、自身も全く気が付かないうちに舵が大きく切られていたのかもしれない。

小学校5年、初めて試合に出場した日、いきなりハットトリックで、今度は、1ヶ月もサボったのに決勝ゴール。だから1点の重みなんて考えたこともなかったが、高校2年の選手権が自分の中に眠っていたゴールへの執着心を揺り動かした。一回戦の相手は石川の星陵。2点奪ったが3点取られて敗れた。1点の重み、点を取っても勝てなかった悔しさを噛み締め、初めて泣きながら、もっと上を目指そうと思った。

放っておくとどこかに行ってしまいそうな危うさや欲の無さと、エリア内での天性のゴール感覚。「努力嫌い」と自己分析しながら、鹿島で30歳でもスタメンでいることが目標、と話す謙虚さ。未完成のアンバランスが、若きゴールゲッターの圧倒的な魅力だろう。自身が選ぶベストゴールは、昨年11月、3連覇を決定付けたG大阪戦での1点目。感性でもテクニックでもなくて、強い気持ちで奪ったゴールだったから、と。

選手権で敗れた星陵には本田圭佑がいた。

「おっかしいなあ、あん時はオレのほうがずっと上手かったのに、いつの間にか抜かれちゃって、今はこーんなに開いちゃった」

そう言いながら、また屈託なく笑う。インタビュー中、ほとんど笑顔で。

2010年4月 1日 (木)
興梠慎三インタビュー(3)

W杯代表に選ばれなくてもがっかりはしない、むしろ、燃えると思う


―ご自分を全くFWらしくないFWと分析していますけれど、本当に?

興梠 例えばゴール前で、もしマルキ(マルキーニョス)が空いていればパスを選ぶ。もし自分が本当にFWらしいFWなら、ミドルも打つだろうし、パスは選択しないと思うんですよ。自分が一番気にしているのは、自分のゴール数よりもマルキとの連携。マルキとギスギスするようなことをしてまで、自分を主張しゴールを取りたいとは思わない。ゴールはいつでもどこでも狙っているけれど、得点王がどうしても欲しいとは思ってはいないし、それよりも、4連覇を狙う強い鹿島の、あのFWのコンビはすごい、コンビネーションも完璧だな、と思われるほうが大きなやりがいになる。

―ゴールはみなエリア内ですね。

興梠 一瞬のチャンスは、どんな体勢でも絶対にものにしてやろう、と思っている。イメージが沸くのはゴール前になった瞬間。でも、ミドルやロングシュートを打てない。マルキのような選手が、本当にFWらしいFWなら、自分は全くFWっぽくないFW。



―DFがやりたいんですか?現役中に?

興梠 基本、1対1が強いんですよ。パッと見た目では分からないけれど、サッカーの玄人が見たら実はすごいプレー、というのをディフェンスでやってみたい。こっちは、FWと違って絶対にうまく行くイメージや自信しか沸かないんだけどなぁ。

―生まれながらのFWというより、なっている途中でしょうか。

興梠 だと思う。第一、ゴール以前に、FWの自分にボールが来なかったんですから。

―本山も野沢もプロとして試していた。

興梠 同じ中盤でも小笠原さん(満男)は、行けよ!って感じのパスを出してくれたんですけど、とにかくあの2人は、オレがフリーでも明らかにボールを出しませんでしたからね。信頼されていなかった。

―それが最近ではパスが来るように。

興梠 試合中、オッ、パスが出るんだ、少しは信頼してもらえるようになったんだ、って受けながらうれしくなる。鹿島の中盤からはホント、もの凄いパスが出てくるんで気を抜けない、緊張感がある。

―サッカー初試合がハットトリックですか。サッカーをどう思いましたか?

興梠 ああ、簡単なスポーツだなって。

―みんながっくり来ますね。運動神経抜群なんですね。

興梠 多分、サッカーをやっていなかったらかなり有名な選手になれていたんじゃないかって!基本、挫折知らずなんです。努力を見せないんじゃなくて、努力もしてない。スパイクだって、磨かないで去年一足だけ履き潰すなんて大雑把な人間だし、ああ、そんなの面倒だって思うと、諦めも異常に早い。高校の時も、もし先生があんなに誘ってくれなかったら辞めていたし、去年ももしあれが外国選手だったり、先輩ならば・・・。

―昨年、12試合連続無得点、先発を代わられた時期ですね。大迫勇也選手は年下。

興梠 点は取れないし、スタメンは奪われる。ミスを連発して自信も失くす。何してんだよ、オレは、って、あの頃は正直、練習に出かけるのも、ピッチに立つのも本当に嫌だった。唯一、挫折っていえる経験かな。もしあの相手が外国選手や先輩選手だったら、間違いなくもういいや、サッカー辞めても、って終ってた。相手が年下だったから燃えた。年下だけには絶対に負けられない、って。

―オリヴェイラ監督は、分かっていたんでしょうね。あそこを抜け出せた理由は?

興梠 監督に、色々悩んでいるかもしれない、苦しい時期だとも思う。でもオレはお前を信用しているから絶対に使い続けるからな、と言われたら、本当にぜーんぶ完全に吹っ切れた。それと、あんなにひどい時、普通ならブーイングされておかしくないのに、サポーターがオレの応援テーマをずっと歌ってくれたこと。

―3連覇を引き寄せたガンバ戦の1点は?

興梠 鹿島のFWとしてスタメンを張り続けるには、こういう試合でゴールを取らなくちゃいけないって試合前から強く思っていて、あのゴールは技術とかタイミングじゃなくて気持ちで奪えたゴール、チームに貢献すると心から思って奪ったゴールとしてベストだった。



―日本代表についてはどう思いますか?岡田監督は、興梠は国際試合のメンタルが弱い、と評しましたね。

興梠 鹿島でもみんなに「オマエ、メンタルが弱いらしいじゃん」ってからかわれて、最初は何のことなのか分からなかった。自分、ワールドユースも五輪も最後に落とされていて、それが実力、と言われればそうだと思うし、岡田さんがそう言ったからといって監督に悪い感情を持つとかそういうことはない。合宿では監督と1対1で話すこともあったしね。ワールドカップに行きたいとは思うけれど、選ばれなかったとしても、それはその時の力だし、そんなにがっかりはしないんじゃないかと思う。北京五輪のときも選ばれなかった後、鹿島でスタメンに入ってアントラーズの選手としての自分が始まった。だからむしろ落ちて、自分がどうなるか、それはそれで楽しみなとこもある。

―最後に、もし願いが叶うとしたら?

興梠 先ずはアントラーズで30歳まで先発で出続けること。

―御願いする望みですか?

興梠 うん、難しいと思う。競争の激しいクラブだから。

―もうひとつ、サッカーとは関係ないものがあるとすれば?

興梠 去年始めたゴルフで70を切る。満男さん、拓さんはうまいですよ。サッカーと同じでMFはめちゃくちゃ器用でね。オレはまだまだ言えないようなスコア。ゴルフやって改めて分かったのは自分の性格。やっぱり、どこまで行ってもチャレンジャーで、何か狙ってるんですよね、少ないチャンスのほうを。


興梠慎三(こうろき しんぞう)
1986年7月31日生まれ 宮崎県宮崎市出身
鵬翔高校(宮崎県)卒業後、2005年に鹿島アントラーズに入団。現在に至る。ポジションはFW。Jリーグ通算26得点。国際Aマッチ通算0得点。175センチ、67キロ。


増嶋みどり女史による興梠インタビューである。
興梠はDFとして世界を狙える選手になれる自信がある模様。
実際にこれだけの身体能力を持つ日本人は中々おらぬであろう。
我等としては見てみたかった気もするが、今はFWとして天下に名を知らしめて欲しい。
興梠慎三ここにあるのだ。
義経は頼朝の軍に追われるように都落ちして行った。

篤人、バッグを忘れる

2010年04月17日 | Weblog
ACL秘話(その3)
長春に遠征していた鹿島。あまり便数も少ないため、帰りはチームと同じ便でした。
 
移動中も和気あいあいと非常に仲の良い鹿島イレブン。マルキーニョス選手やフェリペガブリエル選手が後ろをふり返り、興梠慎三選手や中田浩二選手となにやら楽しげに話している様子が見られました。
 
トランジットのため韓国・仁川で飛行機を降りると、なぜか通路を戻っていく内田篤人選手。おや?と思っていると、確か乗るときは手に持っていた大きなバッグが見あたりません。どうやら飛行機に置き忘れて降りてしまった模様。
 
「疲れてるな~」と岩政大樹選手につっこまれていました。幸い、あとから来た新井場轍選手や野沢拓也選手が持ってきてくれたようでした。

(鹿島担当 田中滋)2010年4月17日 08:28

バッグを機内に忘れた篤人である。
新井場と野沢の活躍により事なきを得、問題にはならずに済んだ。
これぞチームワークである。
ファミリーの結束力で篤人の危機は去ったのである。
これが鹿島の強みであろう。
我等は常に勝者でありたいのである。
土佐坊は鞍馬山に隠れていたところを捉えられ、六条河原で処刑され梟首された。

篤人、やる気十分

2010年04月17日 | Weblog
鬼門突破へ!内田が完全復活を宣言
 腰痛と右内転筋痛を抱えていた鹿島の日本代表DF内田が、完全復活を宣言した。

 代表では7日のセルビア戦を欠場し、チームでも試合直前まで治療に専念して試合をこなす満身創痍(そうい)の状態だったが、14日の長春亜泰戦から中3日で臨む18日の広島戦に向けて「全然大丈夫だよ」と明るい表情で話した。今季は敵地でACLの試合を戦った後は3月14日の京都戦(△1―1)、今月4日の仙台戦(●1―2)と白星はなし。それでも「あまり気にしないでやる」と自然体で鬼門突破に挑むつもりだ。

[ 2010年04月17日 ]

篤人が広島戦へ向け気持ちを語る篤人である。
ACLのアウェイ戦後は勝利無しというジンクスをここで破り調子を上げていきたい。
右の矢を放ち、聖地に攻撃の火の手を上げるのだ。
頼朝追討の院宣を得た九郎義経は兵を集めた。
対して頼朝は土佐坊昌俊を京へ向かわせるのであった。