鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

仙台・平瀬、途中出場へ

2010年04月16日 | Weblog
仙台・平瀬、J1で1106日ぶり大暴れだ!
2010.4.16 12:01

腰痛も回復し、17日の神戸戦で1106日ぶりのJ1出場を目指す仙台・平瀬(右)=撮影・土屋創造
 J1ベガルタ仙台が17日、ホームで神戸と対戦する(14時、ユアスタ)。14日のナビスコ杯京都戦で今季公式戦初出場を果たしたFW平瀬智行(32)は、古巣との一戦でリーグ戦今季2度目のベンチ入り濃厚。じつに1106日ぶりのJ1リーグ戦出場に照準を定め、ベテラン健在をアピールする。チームは15日、仙台市泉区の泉サッカー場で約1時間半の練習を行った。

 遠ざかっていたJ1リーグ戦のピッチは、移籍3年目の“J1ベガルタ平瀬”を強く印象づける絶好の舞台だ。
 「(神戸は)知り合いがいっぱいいる。楽しみにしています。腰の調子がよくなってきて、力も入るようになった」
 プロ15年目の背番号14は、2007(平成19)年4月7日のアウェー甲府戦以来1106日ぶりのJ1リーグ戦出場を、今や遅しと待ちわびた。17日のホーム神戸戦はベンチ入り濃厚。途中出場となりそうだ。
 昨年12月17日に左手首を手術。2月のキャンプ中に患部をかばって走っていたところ、腰痛を起こして回復に時間を要した。だが、4月4日のホーム鹿島戦で今季初めてベンチ入り。出場機会には恵まれなかったが、前日(14日)のナビスコ杯京都戦で後半23分から途中出場した。次はリーグ戦の登場を目指す。
 鹿島に続き、神戸もかつて在籍していた古巣。04(同16)年の8月から07(同19)年までプレーしたが、「3年半はあまりよくなかった」というように最後は戦力外通告を受けている。それでも、当時から神戸のスタッフだった和田昌裕ヘッドコーチ(45)とは、家族ぐるみのつきあいを続けている。
 J1通算169戦出場32得点の実績を持つ。J1で最後にゴールを決めたのは、05(同17)年8月24日アウェー浦和戦。約5年前だが「(三浦)淳宏さんの打ったシュートのこぼれ球が、目の前にきて点を取りました」と得点した場面を詳細に覚えている。
 前節アウェー清水戦は1-5の大敗。遠征に帯同せず、仙台でテレビ観戦した平瀬は「ウチもいい形で攻めていた。点差ほど内容は悪くなかった」とみている。6位ベガルタ対17位神戸。ベテランの円熟プレーが発揮されるときだ。(山口泰弘)

平瀬智行(ひらせ・ともゆき)
1977(昭和52)年5月23日、鹿児島県出身(4歳までは東京都板橋区に居住)。32歳。96年に鹿児島実業から鹿島に入団。横浜M、神戸などを経て、2008年に仙台へ移籍した。リーグ戦初出場は鹿島時代の97年9月3日のG大阪戦で、同初ゴールは鹿島時代の99年4月10日の京都戦。代表歴は00年シドニー五輪出場。国際Aマッチに2試合出場0得点。1メートル84、78キロ。背番号14。



腰痛も回復し、17日の神戸戦で1106日ぶりのJ1出場を目指す仙台・平瀬(中央)=撮影・土屋創造


腰痛も回復し、17日の神戸戦で1106日ぶりのJ1出場を目指す仙台・平瀬(左)=撮影・土屋創造


仙台の平瀬が神戸戦でベンチ入りとのこと。
流石はスター選手である、ベンチ入りでニュースとなる。
思い起こせば2004年の夏、平瀬は神戸に買い取られて行きおった。
我等は寂しい思いをしたものである。
平瀬の移籍で深井の時代が来ると豪語しておった者もおった。
時代とは面白きものであろう。
2004年それは暗黒の時代である。

本山、回復順調

2010年04月16日 | Weblog
本山 今月末にも全体練習合流へ…鹿島
 2月に腰の手術を受け、リハビリ中の鹿島MF本山が今月末に全体練習に合流する可能性が出てきた。20日に医師の診察を受け、問題なければ全体練習に復帰する見通し。すでにフィジカルトレーニングに取り組み、本人も「ここまでは順調」と笑み。早期合流はチームにとっても追い風となる。
(2010年4月16日06時01分 スポーツ報知)

驚異的な回復力を見せる本山である。
ガブさんの復帰、本山の回復とチームの戦力が上がってきた。
ここまでの選手層を誇れば、リーグのみならずアジア制圧も現実のものとなろう。
チーム一丸となって、一つ一つ勝利を積み重ねたい。
九郎義経は叔父の源行家と共に後白河法皇を訪ね、「頼朝追討の院宣」を懇願した。

山形・田代、四戦連続弾を狙う

2010年04月16日 | Weblog
山形田代J1通算100戦目で4戦連発狙う

カメラに視線を向けながら、給水する田代
 17日の横浜戦が、J1リーグ通算100試合目の山形FW田代有三(27)は、メモリアル弾で勝利に導く。自身初めての4戦連発がかかる一戦で「壁を乗り越えたい」(田代)と意気込んだ。

 ストライカーにとってゴールは、これ以上ない精神安定剤。リーグ戦で3試合連発中の田代が「みんな、自分を見てくれている。積極的に打っていきたい」と、穏やかな口調で語るのもうなずける。だが、過去に2度乗り越えられなかった「4戦連発」に話題が及ぶと、語気が変わった。

 田代 4戦連発は壁になっている。そこを乗り越えたい。

 田代のプロ生活は、苦難の道だった。福岡大に在籍していた03年、特別指定選手として大分に加わりJ1デビュー。鳴り物入りで05年に鹿島に入団したが、左ひざ前十字靱帯(じんたい)を断裂。その後も故障が続いたが「無理な体勢で打たないとか、プレースタイルを変えて」(田代)出場機会をものにしてきた。

 「時間がかかりすぎ」。田代はそういうが、自らの100試合目に祝砲を狙わないFWはいない。J1リーグ戦のクラブ記録となる3連勝へ導くためにも「まずは勝利。自分のゴールで勝てれば最高ですけど」と語った。ホームに迎える横浜は、05年に味わった“悲劇”の相手だ。「サポーターの力も借りて頑張ります」という田代が、自らの殻を破り、悪夢をぬぐい去る記念弾を、ゴールネットに突き刺す。
【山崎安昭】
 [2010年4月16日11時31分 紙面から]


田代、チーム日本人初のリーグ4戦連続弾狙う…山形

山形・田代(左)は練習中に仲間と談笑
 モンテディオ山形のFW田代有三(27)が17日の横浜M戦(NDスタ)で、山形の日本人選手としては初のリーグ戦4戦連続ゴールを狙う。15日の練習後、クラブ記録がかかっていると聞かされると、「取れれば最高。(前節・神戸戦でも3戦連発は)意識しなかったので次も同じ気持ちでやれる。その上で結果がついてくればいい」と無心で臨むことを強調した。

 山形がJリーグ参戦後、4戦連続ゴールを挙げたのは、06年の31節・神戸戦から34節・横浜C戦で4戦5発をマークしたブラジル人FWレアンドロ(現カタール・アル・サッド)だけ。田代も、「プロになって(4試合連続は)ない。そこは一つの壁」と05年のプロ入り後、過去2度、3戦連続(06年に2度)で途切れた記録に三度目の正直を果たす。

 「ゴールへの意識がすごく強い。ボールを受けたらシュートを打っている」と小林監督は好調FWのメンタルを絶賛した。試合で対面する横浜DFは中沢、栗原の日本代表コンビ。「強くて経験がある。難しいけど一瞬のスキを狙いたい」。日の丸の壁も、記録の壁も田代が力強く乗り越える。

(2010年4月16日10時02分 スポーツ報知)

山形にレンタルしておる田代が4試合連続ゴールを狙うとのこと。
確かにそれだけのポテンシャル持っておるFWであろう。
田代の4試合連続ゴールを狙う機会と言えば、2006年シーズンの終盤が思い起こされる。
30節ガンバ戦31節大宮戦32節新潟戦と得点を重ね、そして迎えた33節の川崎戦である。
DFを抜き去り、ペナルティエリアを飛び出したGKを交わすところまで攻め込んだ田代のゴールは確実かと思われた。
しかしながら、川崎のGKが田代の足を掴み得点ならず。
GKが退場になるかと思いきや、何故か田代のファール。
岡田主審のジャッジに手袋を投げた田代は二枚目のイエローカードで退場となった。
この事件がなければ、田代は4連続ゴールを達成しておったであろう。
我等としてはこの忌まわしい過去を語らずにはおられぬ。
胸が締め付けられる過去である。
岡田主審に悩まされずに済む日々が来ることを祈るのみである。