鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

極寒の試合

2010年04月01日 | Weblog
ACLこぼれ話
 暑いインドネシアで試合をした鹿島。この日は30度近い気温のなかでの試合でしたが、その前のACLはいずれも雪が降る凍える気温のなかでの試合でした。
あまり攻められるシーンもなく、しかし、いつか来るかもしれないシュートに備えていたGKの曽ヶ端準選手は、体を冷やさないようにいろいろと工夫していたそうです。
 試合が切れたとき、顔や頭が雨に濡れてしまったのを拭こうとゴール裏にあるタオルに手を伸ばし拭いたところ、なんとタオルがはんぶん凍り付くような状態に
「シャリシャリしてたので、『エェェッ!』と驚きましたよ」
幸い思い切り拭いたわけではないので顔中が傷だらけになることはなかったそうです(笑)

(鹿島担当 田中滋)2010年4月1日 19:45

確かに、ホームのペルシプラ・ジャヤプラ戦は3月末とは思えぬ寒さであった。
まさか、曽ケ端のタオルまで凍っておったとは。
まさに、選手生命に関わる。
改めて、秋-春制に反対である。

春のハプニング

2010年04月01日 | Weblog
2010年 4月 1日(木)

ペルシプラ戦で先発だった選手たちはフットバレーなどの軽めのメニューを行い、その他の選手たちは紅白戦やシュート練習などを行いました。写真は、岩政選手が触ったボールがバーに直撃し、そのバーがなんと小笠原選手の頭に直撃するというハプニング時のもの。この瞬間を目撃した選手たちは大笑いしつつも、審判を務める石井コーチに「レッドカード! レッドカード!!(笑)」と厳しいジャッジを求めていました。

練習中のハプニングである。
岩政の行動が連鎖的に小笠原主将の頭にバーが当たるという偶然が起こったとのこと。
まさにピタゴラスイッチ。
春の珍事でチームに笑顔が広がった。
梶原景時は義経について「九郎御曹司はあまりに独断の振る舞いが多すぎます」と讒言した。

山形の抱える雪問題

2010年04月01日 | Weblog
山形を悩ませる「雪のリスク」
2010年4月1日(木)
■全国にオンエアされた「雪の日の開幕戦」


昨年の雪の開幕戦で運営を取り仕切ったスポーツ山形21の佐々木さん。「あらゆる状況を予想して、すべてに対応できたと思います」【宇都宮徹壱】
 トップリーグ2年目を迎えたモンテディオ山形のホーム開幕戦は第3節、3月21日にNDソフトスタジアム山形で開催された。どこよりもホームゲームが遅れたのは、言うまでもなく降雪のリスクをできるだけ回避するためである。グアム、長崎、そして宮崎で春季キャンプを張ったチームは、そのままアウエー(湘南ベルマーレ)での開幕戦に臨み、小雪がちらつく本拠地で練習をして、再びアウエーで清水エスパルスとの第2節を戦っている。2試合を終えて1分け1敗の最下位。雪国クラブゆえのハンディをもろにかぶった格好だ。

 この日、山形がホームに迎えるのは、あの浦和レッズ。スタジアム周辺は「歓迎! 浦和レッドダイヤモンズ」のサインをいたるところで目にしたが、その一方で関係者が気にしていたのが当日の天候である。山形のホームページには、雪が降ることを想定して「路面凍結の恐れがあるため、車で参戦の方はタイヤチェーンの準備をお忘れなく」とのアウエーサポーター向けの告知を出していた。この日、大阪では気温が20度を超えて桜が開花したそうだが、山形の平均気温は3.7度。さすがに雪にこそならなかったが、試合前から冷たい小雨が降り続いていた。

 思えば昨年、山形のホーム開幕が行なわれた3月14日(第2節、対名古屋グランパス戦)は、現地は雪であった。オレンジ色のボールを必死で選手が追いかける雪中戦の光景は、NHK総合で全国にオンエアされ、多くのサッカーファンに少なからぬ衝撃を与えた。
 おりしもサッカー界では、シーズン秋春制移行の是非についての議論が再び沸騰していた時期である。Jリーグ将来構想委員会の「時期尚早」という結論に対して、JFA(日本サッカー協会)の犬飼基昭会長は「議論が不十分」として、専門のワーキングチームで検討を続ける考えを表明。ところがその4日後のJリーグで、雪の試合の過酷さが全国的に知れ渡ることとなったのだから、この議論に影響を与えないわけがなかった。この山形での開幕戦は間違いなく、シーズン移行問題のターニングポイントとも言える“事件”であったと見てよいだろう。

 というわけで、シリーズ「Jリーグ秋春制移行問題を考える」第2回は、昨年の山形での雪の開幕戦にスポットを当てるべく、クラブがある山形県天童市を訪れることとなった。今回の取材で私が特に重視したのは「ピッチの外側」についてである。雪が激しさを増したとき、運営サイドはどのような動きを見せていたのか。そしてゴール裏のサポーターは、どんな思いでゲームを見つめていたのか。そんなわけで、これまであまり語られることのなかった、ピッチ外での人々の証言を拾い集めてみることにしたい。

■試合続行を後押ししたもの

 まずは運営側の言葉に耳を傾けてみよう。取材に応じてくれたのは、スポーツ山形21の運営グループマネージャー、佐々木賢二さん、そして運営グループ、舟山留美子さん。舟山さんは地元山形の出身だが、佐々木さんは宮城の出身。「こっちは除雪機のテレビCMがあるのを見てびっくりしましたね。あと、誰もが長靴を持っているのも新鮮な驚きでした」と、地元と山形との雪に対する認識の違いに驚いたという。さっそく、昨年の開幕戦の思い出について語ってもらった。

「雪の可能性は、前日の天気予報である程度は認識していたので、オレンジ色の試合球を7個、それから雪かき道具を準備しておきました。キックオフの時(16時)は、あまり大したことはない感じだったんですが、前半が終わるくらいになるころには『ちょっとまずいかな』と思うようになって。とりあえず、ハーフタイムでラインが見えるように雪かきができるよう準備を始めていました」(佐々木さん)

「ホームのサポーターのみなさんは、あの程度の雪は慣れていると思うんです。むしろアウエーのみなさんの方が、雪に慣れていないだけに心配でしたね。実際、寒さが原因で医務室に運ばれた方もいらっしゃいましたから」(舟山さん)

 ここで留意すべきことは、このホーム開幕戦が山形にとって、J1クラブとしての初めてのホームゲームであったことである。当然、観客数も倍増するし、メディアの注目度も違ってくる。それだけにクラブ関係者の間には、これまでにない緊張感がみなぎっていた。そこに、いきなりの雪である。雪の試合はJ2時代にも経験済みだったが、さすがにこの日ばかりは、運営サイドに課せられたプレッシャーは尋常ではなかったはずだ。ハーフタイム中のピッチ外の動きについて、佐々木さんはこう振り返る。

「まず、この雪がいつまで続くのか、それからプレーの続行は可能か、ラインは見えるようにできるか。それらについて、マッチコミッショナーと両チームの実行委員が話し合った結果、『試合続行で問題なし』という結論になりました。また、後半からはオレンジの試合球を使用することも確認しました。ただこういう場合、マッチコミッショナーの方の『雪のリスク』に対する認識というものが、少なからず影響するとは思いましたね」

 その後も雪は激しさを増し、視界はどんどん悪くなっていく。主審の判定も困難になるし、選手が負傷するリスクも増えるし、試合後の観客のアクセスにも不安が募る。それでも「最後まで試合をやらせたい」というのは現場サイドの総意であったようだ。そんな彼らの背中を押したのは、やはりJ1としての最初のホームゲームであったこと、そして試合が全国中継されていたこと。この2点が大きかったのは間違いないだろう。

 結局、試合は0-0の引き分け。幸い、試合終了後も大きな混乱はなく、記念すべきホームでの開幕戦は、当事者にとって生涯忘れえぬものとなった。「あらゆる状況を予想して、すべてに対応できたと思います」(佐々木さん)という言葉からも、この経験で得た自信が、試合結果以上に大きなものとなったことがうかがえる。

■「シーズン移行なんて絶対無理だと思っていた」


今年も吹雪? いえいえ、山形での開幕を祝う紙吹雪です。強豪浦和とのホーム開幕戦を1-1の引き分けて、山形は15位に浮上した(第3節終了時)【宇都宮徹壱】
 続いてお話をうかがったのは山形のサポーターである。突然の取材依頼に応じてくれたのは、山形のサポータークラブ「クラージュ」会長の藤倉晶さん、コールリーダーの山科智紀さん、太鼓担当の青柳裕大さん、そして大学生の古頭佑弐さんの4名。全員が去年の雪の開幕戦をゴール裏で観戦している。いろいろと興味深い話を聞くことができたのだが、ここではポイントを絞って、彼らの証言を紹介することにしたい。

 まず山形在住者にとって、雪の試合は決して珍しいものではなく、雪そのものに対するとらえ方も独特であるということ。
「雪がなければ、1万5000人は超えていたはず。それでもあの天気で1万2000入ったんだから、まあまあいい数字だったと思います」「気温は2度くらいあったから、暖かい雪だよね」「そうそう、こっちでは氷点下になってからが、本当の雪だから」「とにかく、雪が降った方が(試合的には)好都合かもね(笑)」

 それでも、冬に地元で試合を開催することに関しては、やはり「論外」というのが彼らの共通した考えであった。ただしその理由は「スタジアムの雪かきが大変」とか「練習場が使えない」といった以前に、どうにもならない深刻な問題が横たわっているからだ。
「モンテの試合があるときは、県内各地からサポーターが来るんですが、山を越えなければならない人は大変ですよ。事故や渋滞が頻繁にありますから。あの時期の山道は走りたくないね」「道路の除雪作業は追いつかないし、地吹雪にでもなったら前の車のランプが見えなくなる。本当に危険なんです」「飛行機が欠航になったり、新幹線が止まったりすることもあるから、アウエーチームの移動もかなり大変だと思いますよ」

 要するに冬の山形は、スタジアムまでの移動そのものが極めて困難、ということである。そうして考えると、Jクラブの中でも最も「雪のリスク」を肌で感じているのは、やはり山形なのかもしれない。ここで新たな疑問が生じる。というのも、積極的に署名活動などを行っていた「冬開催に反対するJリーグサポーター有志の会」が、実のところアルビレックス新潟のサポーターを中心に行われていたからである。より積雪が多い山形でも署名活動は行われたようだが、新潟ほどの盛り上がりは見られなかった。その理由はなぜか。

「確かに温度差はあったよね」「はっきりいって(シーズン移行は)冗談だろうと。反対も何も、やれるわけがないと思っていたから(笑)」「それにあのころ(シーズン移行が話題になった08年)は、こっちもJ2で昇格争いしていたから『それどころじゃない』という感じだったし」「とはいえ、本当にそっちの方向に向かっていくとなれば、もちろん大反対。僕らも動きますよ」「でもその前に、犬飼会長にはぜひ豪雪地帯の状況はきちんと見てもらいたいですね」「庄内空港までのチケットとレンタカーはこっちで用意します。だから、自力で山を越えてスタジアムまで来てください(笑)」

 要するに、あくまでも秋春制へのシーズン移行を主張する犬飼会長には、一度は冬の山形にお越しください、ということである。もし訪問が実現したら、きっと山形のサポーターは心から歓迎してくれるだろう。レンタカーうんぬんは冗談としても、ぜひとも前向きにご検討いただきたいと思う。

■「雪のリスク」と「もてなしの心」

 1万9021人の観客を集めて行われた山形対浦和の試合は、次第に強くなる雨をものともせず、白熱した試合が展開された。先制したのは、戦力面で勝る浦和。30分、細貝萌の左からのクロスをエジミウソンが頭でとらえてネットを揺らす。しかしホームの山形も負けてはいない。後半13分、古橋達弥のFKに密集の中から宮沢克行が左足を伸ばして見事にミートさせ、これが待望の同点弾となる。開幕戦でのゴールに大いに沸き立つスタンド。何とか勝ち点3を持ち帰りたい浦和は、3トップにシフトチェンジして猛攻をかけるが、山形は守勢に回りながらも常にカウンターを狙い、たびたびチャンスを演出する。シュートミスの多さはいただけないが、それでも相手との戦力差を感じさせない敢闘ぶりを見せて、試合はそのまま1-1で終了した。ホーム開幕戦で、昨シーズン2敗している浦和から勝ち点1。地元サポーターにしてみれば、十分に納得できる結果と言えよう。この結果、第3節を終えた山形は15位に浮上した。

 それにしても寒かった。幸い雪にはならなかったものの、冷たい雨を受けて体の芯まで冷えてしまった。どこかで暖を取りたいと思っていたら、うれしいことにスタジアム周辺の出店がまだ営業していたので、山形名物の芋煮(500円)をいただくことにする。味もさることながら、腹の底から温まる感覚に、何とも救われる気分になった。ふと見ると周囲では、赤い合羽の浦和サポーターと青い合羽の山形サポーターが、出店の前で行列を作り、芋煮やそばで冷え切った体を温めている。よくよく考えると、試合後も温かい食事を提供する会場というのは、それほど多くはないはずだ。何というホスピタリティーだろう。そういえばスポーツ山形21の佐々木さんが「山形のもてなしの心をぜひ楽しんでください」と語っていた。そうか、こういうことだったのかと、ひとり納得する。

 山形の人々にとって「雪のリスク」とは、絶対に避けられない宿命そのものである。そして、根雪や地吹雪が常態化しているこの地においては、たとえドーム型のスタジアムや室内練習場を完備したところで、12月以降にゲームを行うのはどう考えても不可能であることが、今回の取材でよく理解できた。
 しかし、だからといって、シーズン移行の代償として山形のようなクラブ切り捨てることなど、絶対にあってはならないとも思った。なぜなら、これまでプロスポーツがなかった地にサッカー文化が定着し、試合で訪れた他県の客人に対して精いっぱいの「もてなしの心」を発揮している山形の存在は、間違いなくJの理念が生んだひとつの「宝」であると強く感じたからだ。シーズン移行を推進しようとする人は、山形の半端でない「雪のリスク」だけでなく、当地に着実に根を下ろしつつあるサッカー文化と、それを支えてきた人々の「もてなしの心」にも触れるべきであろう。今後の議論の前提は、まずそこから始まるのではないか。


<了>
宇都宮徹壱


犬飼氏にはもっと知って体験すべきことが有る。
改めて秋-春制への移行を反対する。

鹿島愛・マルキーニョス

2010年04月01日 | Weblog
父死去のマルキ、帰国せず調整へ…鹿島
 3月28日に父を亡くした鹿島FWマルキーニョスがブラジルに帰国せず、リーグ仙台戦(4日)に向けて日本で調整を続けることになった。当初は葬儀に出席するため帰国する予定だったが、リーグ4連覇を目指すチームを優先させた。現在、リーグ通算99得点と史上5人目の100得点に王手をかけており、同戦での記録達成を目指す。
(2010年4月1日06時02分 スポーツ報知)

父の不幸でブラジルへ帰国のする予定であったマルキーニョスであるが、チームのために日本に留まったとのこと。
なんというチーム愛。
感動に胸を震わせずにいられぬ。
この愛に我等も応えねばならぬ。
激しい声援でマルキーニョスを鼓舞し続けようではないか。
天高く、舞上げようではないか。
愛する鹿島と、鹿島を愛するマルキーニョスと、リーグを四連覇するのだ。

ペルシプラ・ジャヤプラ戦レビュー

2010年04月01日 | Weblog
【AFCチャンピオンズリーグ2010 ペルシプラ vs 鹿島】レポート:厳しいアウェイでも鹿島が無傷の4連勝!予選リーグ突破を決める(10.03.31)
3月30日(火) AFCチャンピオンズリーグ2010
ペルシプラ 1 - 3 鹿島 (18:00/ゲロラ/732人)
得点者:1' 遠藤 康(鹿島)、19' ユスティヌス・パエウ(ペルシプラ)、26' 興梠 慎三(鹿島)、34' 内田 篤人(鹿島)

これまでAFCチャンピオンズリーグでの3試合、鹿島はいずれも雨や雪に見舞われてきた。そして、この日も昼前から雨が降り出す。4連続で雨中の試合になるかと思われたが、開始1時間前にピタリと止んでしまう。このことが試合に大きな影響を与えた。

前日の公式会見で「できれば勝点を取りたい」と話していたペルシプラ・ジャヤプラの監督や選手たち。言葉通り、5-4-1という守備的な布陣だったカシマスタジアムでの試合とは違い、3-4-3の3トップを採用。ホイッスルと同時に前がかりに攻めてきた。しかし、前に出てくる相手は鹿島にとっても好都合。ボールを奪うと右サイドからスペースが大きく空いた左サイドに展開するとジウトンがフリーでボールを受けた。この日が移籍後初先発だったジウトンだが、慌ててマークにつこうとする相手DFを難なくかわしてゴール前にクロス。そこに飛び込んだ遠藤康が右足で合わせ、開始58秒であっという間の先制点を奪った。
しかし、早すぎる得点が選手たちの心理に微妙に影響する。得点をさらに積み重ねて試合を終わらせたい気持ちが、鹿島らしいゲームコントロールの巧みさを失わせてしまった。サイドバックの内田篤人は前半の試合展開を悔やむ。
「相手にカウンターをされるのではなく、俺らがカウンターに行く展開にするべきだった。受けて立つべきだったよね。相手が焦る内容にしないといけなかった」
カシマでやったときと同じ運動量を発揮できれば問題はなかっただろう。だが、雨が止んだグランドからは水分が蒸発し始め、ピッチ上は異常に高い湿度に包まれていた。試合後、内田は「モアっとした感じ」と表現していたが、どの選手も「暑かった」と口々に話した。すぐに水が蒸発してしまうスタンドとは違う環境がピッチの上にはあった。
そのため、サイドバックが上がったスペースを相手に使われたとき、センターバックがカバーに入るタイミングがワンテンポ遅れてしまう。これまで出場してきた試合では広い守備範囲で相手の攻撃を摘み取ってきたイ・ジョンスでさえ、相手に前を向かれてしまう状況だった。特に右サイドの21番ユスティヌス・パエウが再三ドリブルで仕掛けてきた。シュートミスなどに助けられ、詰めかけたインドネシアの人々が頭を抱える場面が続くなか、ついにゴールが生まれる。19分、左サイドを崩されボアス・サロッサのシュートがポストに当たると、その跳ね返りをパエウが蹴り込みペルシプラ・ジャヤプラが同点に追いついた。

鹿島にとって非常に嫌な展開の中での失点だったが、ここからチームは落ち着きを取り戻す。さらに攻勢を強めてくる相手に対し、26分に興梠慎三がペナルティエリアで胸トラップ、そのまま右足を振り切り浦和戦以来のゴールを叩き込む。さらに34分、自陣でボールを奪ったイ・ジョンスが目の前の左サイドにフリーで走り込んだ遠藤にロングパスを出すと、これを合図に鹿島のカウンターが発動。内田が中央に走り込みワンタッチで右サイドに流すと野沢拓也が狙いすましたシュートを放つ。一度は防がれたものの、こぼれ球に内田がそのまま走り込み勝負を決定づける3点目を奪い取った。

後半から、鹿島は試合をコントロールする本来の戦い方を取り戻す。3トップ気味の相手の動きにも上手く対応できるようになり、前半のようなカウンターのチャンスを相手に与える場面は少なくなった。試合中、岩政大樹はイ・ジョンスと何度も何度もコミュニケーションを取りながらラインの安定に努めていた。
「監督は、9番(アルベルト・ゴンサウベス)が下がったときにマークについて行くように指示を出していたんだけれど、僕としてはそれよりも2列目から入ってくる選手の方が嫌だった。だから、イ・ジョンスが付いていってスペースをつくるのではなく、ボランチに頑張ってもらって守備をした方が良いと話していました。うまく修正できたと思います」
守備が安定したことで失点の危険性は激減する。おかげで先発した主力選手たちを早めに下げることにも成功した。60分には興梠を下げ佐々木竜太を投入、64分には遠藤に代えて青木剛、80分には小笠原を伊野波雅彦と交代。中田が中央、左右に青木と伊野波を配したダイヤモンド型の中盤で守りを固め、危なげなく試合を終えた。

これで鹿島は無傷の4連勝。同組のもう1つの対戦で長春亜泰が全北現代に敗れたため鹿島の予選リーグ突破が決定。最終戦で全北現代と予選リーグ1位を争うことになる。イ・ジョンスによると前回の対戦で不発に終わった全北のエース李東國は、鹿島へのリベンジに燃えているという。
「自分たちは11月の決勝に行くことが目的です。それまで一つ一つ勝っていくことを目指します」オズワルド・オリヴェイラ監督は試合後の記者会見でそう述べた。次の長春亜泰とのアウェイ戦も全北現代との最終戦も厳しい戦いになるだろう。ラウンド16を勝利すればワールドカップ中の中断期間に入る。それまで休息の時間はない。


以上
2010.03.31 Reported by 田中滋


灼熱のピッチ上で選手たちは考え、プレイし、勝利を掴んだ。
それが全てであろう。
その結果、決勝トーナメントに進出することが決まり、我等のアジアの戦いが本戦へ移行することとなった。
とはいえ、より優位に進めるため、グループステージを1位で抜けねばならぬ。
当面のライバルとなった全北を聖地にて成敗し、首位通過しようではないか。
論功行賞の場に於いて頼朝は「おことたちは勝手に朝廷から恩賞をもらってはならぬ。朝廷から授けると言ってきても辞退せよ。その儀はわしがすべて取り仕切る」」と言い放ったのであった。