鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

良い試合をしたい小笠原満男

2010年04月22日 | Weblog
鹿島小笠原、俊輔との直接対決に燃える
 鹿島MF小笠原満男(30)が横浜MF中村俊輔との「直接対決」へ期待感をふくらませた。鹿島は22日、茨城県鹿嶋市内のクラブハウスで24日のアウェー横浜戦に向けた調整練習を実施。豪雨の中で戦術練習など約1時間半のメニューを消化した。現在リーグ戦3試合勝ちなしの状況で、国内復帰した中村擁する横浜と初対戦となるが、小笠原は「(中村は)前から一緒に代表でやっている選手ですし、いい試合ができればいいですね」と話していた。
 [2010年4月22日19時24分]

豪雨の中、11対11の戦術練習をこなした小笠原満男である。
次節の対戦相手であるFマリノスの中村俊輔との対決を煽ろうとコメントを求めておるが、軽くいなしておる。
我等としては、負傷しながらも無理して出てくるような選手など眼中にないのである。
とはいえ、手負いの獣は恐ろしい。
心して掛かろうと思う。
邪悪なるアウェイの地での勝ち点3を得るため、我等も精一杯声を出さねばならぬのだ。
新横浜へ集え。
そして、勝利の瞬間を共有しようではないか。
今から、我等も気合いが入る。
頼朝の次男・千幡の乳母は政子の妹・保子つまり阿波局に決まった。

岳くん、孤軍奮闘

2010年04月22日 | Weblog
青森山田・柴崎、キラーパス連発…U―19日本代表合宿

U―19日本代表の一員として中盤でボールをさばく柴崎
 ◆練習試合 清水2―0U―19日本代表=30分×3本=(21日、静岡・三保グラウンド) U―19日本代表の合宿(静岡市)に参加中の青森山田高MF柴崎岳(3年)が21日、J1清水との練習試合に出場した。

 右のボランチとして30分×3本の3本目に登場。0―2で敗れたが、持ち味である中盤の底から前線へのパスを何度も供給し、J1鹿島内定を決めた実力を披露した。だが「30分という限られた時間で頑張ったが、アピールになっていたかどうかは分からない」と不完全燃焼の表情。開始早々から右サイドで決定機を作り、CKも蹴ったが得点には絡めなかった。

 東日本の同代表候補を集めた18日からの静岡合宿はこの日が最終日。18日にプリンスリーグが行われたため、1日遅れで合流した柴崎は25日から3日間大阪で行われる、西日本の同候補を招集した合宿にも参加する。

(2010年4月22日09時43分 スポーツ報知)

U-19日本代表の合宿で活躍する岳くんである。
しかしながら、本人は不満の様子。
やはり、好パスを連発しようとも、決めるべき人が決めぬことには得点には結びつかぬ。
サッカーという競技は得点を競うものであって、プレイの美しさを披露するものではないことをよくわかっておるのであろう。
来年からは、岳くんのパスに飛び出す興梠や、反応する大迫、そしてヤスらMF陣も得点を狙うであろう。
攻撃陣を操る岳くんが楽しみでならない。
鬼が笑うようではあるが、我等の明るい未来を想像したい。
政子は千幡と名付けられた男児を生んだ、後の実朝である。

野沢とマルキーニョス

2010年04月22日 | Weblog
2010年 4月22日(木)

土曜日のアウェイ横浜FM戦に向けて、11vs11など実戦形式のトレーニングを行いました。

野沢とマルキーニョスである。
明後日のキーマンとなるのはこの二人であろうか。
特にマルキーニョスは古巣相手に相性が良い。
この試合でも祝砲を挙げてくれるであろう。
そのマルキーニョスにパスを出すのが野沢となろう。
野沢の繊細で正確無比なパスが通ればビッグチャンスである。
邪悪なるアウェイの地で勝ち点3を得られれば、雨の寒空で練習した甲斐があるというもの。
我等も新横浜へ集うではないか。
声を出そうではないか。
そして夜はジンギスカンを食すのである。

本山、練習再開

2010年04月22日 | Weblog
本山「やっとサッカーができる体になった」
 2月に腰椎(つい)椎間板ヘルニアの手術を受けて離脱していた鹿島・MF本山に、個人練習再開のゴーサインが出た。

 20日にMRI検査を受けて異常なしと診断され、「やっとサッカーができる体になった」と喜んだ。全体練習への合流については「チームの方針に従う」とトレーナーとともに慎重に時期を決めていく考えで、当面はフィジカル中心のメニューで筋力アップを図っていく。

[ 2010年04月22日 ]

本山来月中にも復帰へ…鹿島
 2月に腰椎椎間板(ようついついかんばん)ヘルニアの手術を受け、リハビリ中だった鹿島のMF本山が21日、フィジカルトレーニングを開始した。20日に医師の診察を受け、術後経過が良好であることが確認された。「体は問題なかった。フィジカルコーチとチームの方針に合わせて、体を作っていきたい」。早ければ5月中に復帰する可能性も出てきた。
(2010年4月22日06時01分 スポーツ報知)

J1鹿島・本山 リハビリで順調回復
2010/04/22(木) 本紙朝刊 スポーツ A版 6頁
合流へ本格トレ開始
腰椎椎間板(ようついついかんばん)ヘルニアのため、戦列を離れているJ1鹿島・MF本山雅志が、復帰に向けて順調に歩みを進めている。20日に腰のMRI(磁気共鳴画像診断装置)検査を行い、良好な回復具合を確認。約2カ月半におよぶリハビリを終え、全体練習に合流するため本格的なフィジカルトレーニングを始めた。
 昨季から持病のヘルニアによる坐(ざ)骨(こつ)神経痛に悩まされ、2月4日に手術した。復帰まで約3カ月と診断され、シーズン前の宮崎合宿にも帯同せず治療を優先してきた。


【写真説明】
リハビリを終え本格復帰へ向けてフィジカルトレーニングをこなす本山=クラブハウスグラウンド


本山の練習にGOサインが出たとのこと。
4月16日に順調に回復しておるとの報が出、我等も期待しておったが、改めて嬉しく思う。
やはり、鹿島の中盤には本山がおってこそと心から思う。
また、光り輝くプレイで我等を魅了して欲しい。
勝利へ繋がるパスを、ドリブルを、シュートを放って欲しいのだ。
とはいえ、まだフィジカルトレーニングを開始するに至っただけである。
完全復帰まではしばしの時間が必要であろう。
ACLラウンド16を目標として身体を作って欲しいところ。
本山と共にアジアを制圧するのだ。
心が躍ってくる。
頼朝を征夷大将軍に叙するとの叙書を持参した勅旨が鎌倉へ到着した。

篤人インタビュー

2010年04月22日 | Weblog
【サッカー日本代表】初のW杯へ「最後だと思ってやる」 内田篤人インタビュー
2010.4.21 00:14

サッカー日本代表DF・内田篤人(22=鹿島)
 6月11日開幕のサッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会に挑む岡田ジャパンの不動の右サイドバック・内田篤人(22)=鹿島。岡田武史監督の就任と同時に19歳でフル代表に抜擢(ばってき)されると、ここまで31試合出場と確固たる地位を築いてきた。だが昨年は嘔吐感や負傷などもあって不調にあえぎ、一時は「心が折れた」と振り返る。苦しい時期を乗り越えて迎えるW杯へ向けて、「最後だと思ってやりたい」と意気込んでいる。(森本利優)
 --去年は体調不良など苦しい1年だった
 「体調も悪かったけど、サッカー自体がうまくいかなかった。結果は出たけど。あまり楽しくないというか、納得できなかった。90分走りきれないのが嫌だった。どこか抑えてやらなきゃというのもあったし、この体で最後までできるのかなって。(監督には)『使わなくていいよ』と思っていた」
 --そんなに追いつめられていた
 「表に出さないタイプだから。そんな勇気もないし、鹿島では言えなかった。でも代表では(中村)憲剛さんとかに『オレいいや、サッカーやめます』とよく言っていた。あの人は笑って流してくれるから」
 --それを乗り越えられたのは
 「何でだろう…。試合に勝たなきゃとか、試合に出たいという根本的な部分が変わっていなかったからかな。『もういいや』と思っても、根本にはやっぱり出たい、勝ちたいというのがあった」
 --代表でのプレーに満足しているか
 「もうちょっとできてもというのはある。でも右サイドは(中村)俊さんとハセさん(長谷部)がいるので、崩せる場面も結構ある。まあ僕がミスんなければ、ね。あの人たちの足を引っぱらないようにと思っている。この年であの2人とやれるのはうれしい。特に俊さんの背中を一番近くで見られるのは」
 --去年は徳永らライバルも出てきた
 「あまり気にしない。ポジション奪われてもたぶんそのまま。そのままではないか、さすがに(笑)」
 --でも、代表メンバーから外れたら
 「やだやだ。へこみますよ。普段は『いやあ、まだメンバー決まっていないんで』とかきれいごとしか言わないけど、本音では違う」
 --ひょうひょうとしているイメージがある
 「顔も幼いし、体も細いし。そう思われているけど、違う。高校から入って5年目になるけど、鹿島では(ポジションを)譲っていないし。絶対に他の人にはできない、オレしかできないと思っている。ひそかに」
 --プロ入り当時、W杯に出たいと思っていたか
 「全然。(小笠原)満男さんとか、ヤナギさん(柳沢)とかチームの軸の人が出るって感じで。自分がどうこうというのは考えていなかった」
 --W杯は最高の舞台
 「みんなが思っているほどそういう感じじゃないかも。W杯をゴールとも、ステップにして次に行こうとも考えていない。年齢的に最後じゃないという余裕もあるかもしれないけど。でも最後だと思って一生懸命やりたい」
 --W杯でやりたいことは

 「チームが勝てればいいかな。まあ起点にはなりたいと思う。鹿島でやっていることを出すしかない…って考えたら、気負うことなくない? いつも通り一生懸命やればいい。で、オレのプレーが(日本が目標とする)ベスト4に値しなかったり、代表のピッチに立つプレーじゃなかったら、外してくれていい。でも絶対に出てえ、何が何でも出てえって思っているんだけどね」

W杯は南アフリカが最後だと思って挑む篤人である。
それほどの意気込みがなければ。この世界最高の舞台に立つ資格は無かろう。
それほど大きなイベントなのである。
篤人の覚悟は昨季の体調不良を乗り越えた自負からもあると考えられる。
しかしながら、篤人に換えは効かぬ。
思い起こせば4年前、2006年ナビスコ杯決勝に於いて、U-19日本代表の試合で篤人が不在となり我等は辛酸を舐めさせられたことが昨日のことのようである。
新人時からポジションを守り続けている篤人に、今後も鹿島の右サイドで躍動して欲しい。