無知の知

ほたるぶくろの日記

何かを終わらせる論理

2018-01-07 12:00:30 | 組織

新年早々、考えているのは

「終わらせる論理」

何かを終わらせなくてはならない、ということがあらゆる局面であります。ところが「終わらせる」「やめる」というネガティブな結論は大概人々から忌避されます。もちろんそれは単なる「逃げ」であったり「責任放棄」であったりするために指弾されるわけですが、そういうことではない、どこからどう見ても終わらせなくてはならないコトというのが、世の中にはあります。

それも個人レベルから国家プロジェクトのレベルまで様々。最近は「終活」と称して個人レベルの終わり方、終わりへの準備がかなり積極的な方向性で行われるようになってきました。

機運としては、そろそろもう少し別のレベルでも「終活」の議論が行われても良い時期に来ていると思います。

積極的に「たたむ」論理が必要なのです。それは何かを始めるためにも必要。今まであった物を片付けなくては始まらないです。

最近植物をよく触るようになって、枯れかけた葉や花がらなどどんどん除いてやることが植物の活力を維持するために重要であることを実感しています。

それなのに、終わらせることに関して私たちはこんなにも不器用です。これではいけません。スマートに、きれいに、次へつながるよう、きっぱりとした終わらせ方を構築しなくてはいけません。なし崩し的な崩壊を待つ、とは愚かなことです。

今年のテーマとして取り組んで行きます。