無知の知

ほたるぶくろの日記

iMuSCs論文

2016-01-12 17:05:54 | 生命科学

昨年11月末にNature誌の姉妹誌で、online版のScientific Reportsという「やや弱い査読」付き雑誌に下記の論文が掲載され、話題になっていたようです。あるブログでSTAPが再現されたと書いた方がいたそうです。私も小耳に挟み気にはなっていましたが、その後その分野の方から、何のレスポンスもないことでやはり異なった現象の報告だったのかと思ってはいました。今回、原著にあたる時間がやっとできましたので、読んでみました。論文は下記。オープンなので、どなたでもネット上で観ることができます。

『Characterization of an Injury Induced Population of Muscle-Derived Stem Cell-Like Cells』

  Kinga Vojnits, HaiYing Pan, Xiaodong Mu & Yong Li

  Scientific Reports 5, Article number: 17355 

誠実な実験結果だと思います。ごく簡単にこの論文の主旨をまとめますと、

1)足に傷をつけた C57BL/6Jマウス(黒毛)から採取した筋肉から injury induced muscle-derived stem cell-like cells (iMuSCs)傷害誘導性筋肉由来幹細胞様細胞(仮訳)なる細胞を分離することができた。

2)これらの細胞は全てではないが種々の幹細胞マーカーを発現していた。また、細胞の形態も幹細胞様であった。

3)これらを試験管内で分化させると様々な細胞形態を示し、かつ分化マーカー遺伝子も発現していた。

4)さらにこれら細胞の塊をマウスへ移植すると、テラトーマが形成され、その中には外胚葉、内胚葉、中胚葉の三胚葉全ての胚葉由来の分化細胞が確認できた。

4)iMuSCs(黒毛)をBALB/cマウス(白毛)ブラストシストに注入し、キメラマウスを作製した。胎児の段階で観察すると、ほぼ全身にiMuSCs由来の細胞が認められた。しかし、産まれて来たマウスの毛には寄与が観られず、全て白いマウスであった(白いコートカラー(毛の色)はブラストシスト由来)。しかし、臓器を病理学的に解析すると皮膚にもiMuSCsの寄与が認められた。

5)キメラマウスからの子供にiMuSCs由来の子どもは観察できず、germline transmissionは観察されなかった。つまり、iMuSCsは生殖系列の細胞には分化せず、したがって次世代のマウスにはならなかった。 

(以上)

今のところiMuSCsはpluripotent stem cells(多能性幹細胞)であって、totipotent stem cells(全能性幹細胞)ではない、という結論となっています。1)~5)の事実を示すデータもほぼ揃っています。

これがSTAPの証明として騒がれていたようですが、これは間違いです。STAP現象のもっとも重要な点は、1)の出発点がリンパ球であったこと、かつ、5)の実験においてgermline transmissionした、という点でした。

これまで細胞の幼若化現象は様々に観察されています。がん化もその一種と捉える考え方もありますが、著者らは周到にkaryotypeも観ており、短期培養では変化がないが、長期培養では5番染色体がトリソミーとなった、と書いています。それより小さなゲノム変化は調べていないので、がん化ではないことを証明はしていませんが、通常のがん細胞のようなKaryotypeの変化とは異なることを示しています。

この論文の価値は『傷害という刺激が、筋肉においてpluripotent stem cells(多能性幹細胞)を誘導した』ことを証明したことでしょう。ここで強調しておきたいのは「傷害を受けた筋肉から」であって、「傷害された筋肉細胞から」ではないことです。

傷害という刺激が具体的には機械的=物理的刺激なのか、その刺激によって局所的に起こる化学的刺激なのかは解析されていません。しかしいわゆるSTAPでいうところのストレスではあります。この実験が厳密に傷害を受けた筋肉細胞のみを精製した中からiMuSCsを分離した、というものであったら、もう少し価値が上がったことでしょう。

例えば皮膚や筋肉への傷害が、未分化細胞=幹細胞の増殖を活発化させる、ということは分っていますが、一度分化した細胞から多能性幹細胞になった、という証明は難しいものです。

STAPでもそこをうまく示すために、分化細胞としてリンパ球を使ったのでした。始めにまずリンパ球を精製し、リンパ球だけの細胞集団にストレスを与え、全能性幹細胞を作製した、というのがSTAPの趣旨でした。

今回の論文では材料として筋肉を培養した、としか書いてありません。したがって、iMuSCsの由来が筋肉細胞が幼若化現象をおこしたのか、もともとあった幹細胞が分裂を活性化させたのかは明らかではありません。また、多分化能は示しましたが、全能性細胞ではありませんでした。

このようにみてきますと、この現象自体はこれまでも観察されてきた現象であり、知見が一つ増えた、ということになります。今後の課題はこのiMuSCsの由来を明らかにすることでしょう。

ともあれ、臨床的には価値のある現象だと思います。傷の治癒にとって何が大事であるのか、大きな損傷があった場合に、どのような治療が有効であるのかを考える糸口ではあると思います。