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特別な「沖縄」が許されなくなってきた

安倍総理の「情緒的」だと思われる教育・歴史観・憲法改正ははたして論理的なのか、非常に疑問があります。僕個人は前政権のときから安倍総理に嫌悪感を抱いています、情緒しか感じられない。外交戦略をきちんと討議した上での言動だとはとても思えないのです。

一方で僕は韓国や中国の「靖国問題」「慰安婦問題」は単なる内政のガス抜きとして・中華思想(覇権国家)を推し進める外交カードだと思っているので、安倍総理の言動が直接日韓・日中関係に悪影響を及ぼしているとは思いません。外圧を利用して日本覇権の主張を推し進めたいメディアや、韓国・中国の非道ぶりを煽ることで情緒的な主張でやはり日本覇権を推し進めたいメディアが居て。

目的が同じなのに手法が180度違うって面白いですね。まぁ面白いと笑えないわけで、両メディアとも「論理」の切片すら見えないのは非常に嘆かわしいと思います。

安倍政権は結果的に円安・株高を演出できたわけで、安倍さんという政治家は嫌いだけど結果は評価するというところでしょうか。もっとも円安で打撃を受けるドメスティック企業があって、景気浮揚の高揚感が支出に結びつかなければさらなる貧乏になるわけですが。

 

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この記事を読んで複雑な思いが沸き起こった。

オスプレイ導入で沖縄(敢えてこう表現する)は安全性が不十分だと嘘をでっち挙げて、まぁ何でも反対するという行動に出た。時は北朝鮮はミサイルを撃つ、核開発は継続する、中国は尖閣諸島問題で領海侵犯をネチネチと行う状況である。

それまでは、沖縄の主張や沖縄への政策は「不幸な歴史」を共有した上での話であった。在沖縄米軍駐留を不幸ととるか経済的輸血ととるかで印象はがらりと変わるが。

そもそも「沖縄」は日本だったのだろうか。僕は地方史に詳しくないが、琉球王国が薩摩藩に朝貢していたと学んだ。彼らが日本語を話していたのか分からない。まぁそもそも薩摩藩が日本語を話していたのかも疑問がある上、江戸幕府の公用文書語は漢文なので、琉球もそうであろうし、なんかよく分からん。

そして先の大戦で沖縄は市街戦を経験した、いろいろな不幸もあった、その後サンフランシスコ条約では米軍占領下で、右側通行だった。
1972年に返還されても目立った産業がない沖縄は貧乏県であった、北海道とあわせて開発庁が置かれ、様々な税の優遇が認められてきた。それでも現在でも貧乏県だ。

沖縄はそういう歴史を有しているので、「沖縄の主張」は温く理解されてきたと思う。あの歴史や経済状況では仕方ないよねみたいな。

 

返還後の歴史は省略するが、沖縄は荒唐無稽な要求をして打ちひしがれていて、本土がそれを宥めるという構図だという事だ。沖縄の運動家は多くを要求して小さく利得を重ねるという戦術を取っていて、それを概ね本土は容認していたという事であろう。

 

時が下って現代は北朝鮮と中国というごく具体的な防衛上の問題に接している。本土は沖縄の我侭を許せなくなった訳だ。沖縄の運動家はやり過ぎた、そして本土は論理で切り捨てようとしている。この今現在の歴史が正しいか分からないが、やはり沖縄の運動家はやり過ぎた。

この手のモーションは慣性がつくので最低でも数年間は続くであろう。

もう具体的な敵性国家が存在する以上「特別な沖縄」は許容できなくなってきている。分岐点があるとすれば辺野古を受け入れることだが宇宙人がぶっ壊して、沖縄人もあとに引けなくなったように見える。

沖縄は今後受難の時代を受けるであろう。

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