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さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

御嶽山清水寺(西国第25番札所)

2016-12-07 15:18:08 | ただの日記
書写山で足を酷使したことで、昨夜は眠れないほど足が痛くて、朝起きてもやっぱり痛くて、今日は絶対無理しないぞと決め込む。

福知山線相野駅前に停まっていたタクシーに相談したら、清水寺、花山院と回って、新三田まで出てもらえるというので、それに乗ることにした。交通の便の悪いところに札所があるので、こんな風にタクシー代がかかるのは札所巡りの常だが、それももうすぐ終わりだ。


タクシーの車窓からは、素晴らしい田園風景が広がる。

ここら辺ではお米や丹波黒豆を作ってるんですよ・・と運転手さん。お米はコシヒカリと山田錦(酒造好適米)の二種類だとか。え、混じってしまわないんでしょうか?と聞くと、収穫時期が1ヵ月ズレているから大丈夫なんだとか。また、山田錦はコシヒカリよりずっと背丈高いので、植える時に混じってたりすると、背丈が違うから分かるんだそうだ。(あとで調べたら、山田錦の全国の生産量8割を兵庫県産が占めるんだとか。)

この清水寺(きよみずでら)は京都の清水寺、坂東三十二番札所の清水寺は「日本三清水寺」と呼ばれるそうで、私はこれで3カ所回ったことになるのだが、それぞれ寺の起こりは違っている。この清水寺は、京都清水寺と区別するために、播州清水寺と呼ばれることもあるが、昨日行った一乗寺と同様、インド僧の法道仙人が開山したと伝えられる。

ただ、その法道仙人がここに来られたのがいつかというと・・・私が持っている3冊の本のうち1冊には「播磨清水寺文書」を引用して、12代景行天皇の御代と書かれている。

景行天皇は、記紀神話で、ヤマトタケル命が出て来る頃の天皇だが、実在性が疑われるが、もし実在を仮定すればその年代は4世紀前半かと考えられている方である。しかし、昨日行った一乗寺は同じ法道仙人が開いたお寺で、大化五年(649年)に孝徳天皇の勅願によって開かれたわけで、300年以上開きがあるわけである。インドから空を飛んできて・・鉢を操って、米俵を飛ばすことが出来ただけでなく、300年も生きておられたとすると・・・・。で、その法道仙人が水を引くことができない山上にあって水神に祈願するとたちまち冷水が湧き出た。この故事を持って清水寺と呼ばれるのである。

ちなみに清水寺の伽藍が開かれたのは627年推古天皇の頃とされる。これなら一乗寺と22年しか離れていないので、まだ現実味がある。


清水寺のある御嶽山は標高552メートル。苦労して登った書写山よりも200メートル近く高い。ただありがたいことに、ほとんど車で登っていける。

歩こうと思えば2kmの旧登山道を40分かけて歩くこともできるそうだが、満身創痍の私はとりあえず車で。

このお寺は年末年始は大変人気のあるお寺のようで、山に登る車道が車で渋滞して動けなくなるほどだという。そういう場合に敢えて歩くのを選ぶ方もおられるようだ。


朱色できらびやかな山門を過ぎて、境内に入る。


こちらが札所となっている大講堂だ。拝観料を納めるとさらに中に入ることができて、色々ある中で、坂上田村麻呂がこのお寺に収めた「騒速(そはや)」という名の大刀の写真を見ることができる。本物は上野の博物館にあるそうだ。古代日本では直刀だった日本刀にいつ反りが入ったのか・・という話の中でよく引き合いに出されるのは坂上田村麻呂と藤原秀郷の刀である。田村麻呂の刀は直刀だが、秀郷の刀には反りが入っている。だから平安時代初期から中頃までの間に反りが入ったんだろうと。しかし直刀だと聞かされてきた坂上田村麻呂の刀も、定規で引いたような直刀ではなく、気づくか気づかないくらいの反りが微妙に入っているような気がした。その反りに気付いたのが私の中では大発見であるのだが・・・。


こちらが根本中堂と言われる最初に開かれたお堂である。


で、これが清水寺の名のもとになった、法道仙人により水が出るようになった「おかげの井戸」。


井戸の水面に顔が映ると寿命が三年延びるとかいう言い伝えがある。薄暗くて分かりづらいが、確かに映っているのが確認できた。

薄暗くて、かつ水が澄んでいるので、そもそも水面がどこにあるのかわからないんだよね。意外にも近くに水面があるので、そこを見つけられるかどうか・・ということか。
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