
また、先日の中国旅行の続き、11月17日の話を書こうと思う。
周荘の次に蘇州に行って、北塔報恩寺、虎丘と行って、閉館間際の寒山寺に滑り込んだ。
寒山寺は唐代の詩人・張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩「楓橋夜泊」(ふうきょう やはく)で名高いらしいのだが、私は中国古典好きだったにも関わらずその漢詩を知らない。
むしろ、私の脳裏に浮かんだのは「寒山拾得(かんざん じっとく)」の四文字。
日本にいれば、すぐにでもサイト検索で調べるんだが、上海では、ホテルでWiFiは使えても、サイト検索になると猛烈に時間がかかって止まっちゃう。・・つまりGoogleとか使えないんだな。なので、ほとんど事前学習なしに現地に突入してしまったが、今調べると、寒山拾得はこの寺と関係のある話だ。唐代の寒山と拾得という2人の風狂な僧の話なんだな。森鴎外とかが「寒山拾得」という小説を書いてるから、題名だけ私の頭に残ってたんだろう。
あと、蘇州夜曲にも「鐘が鳴ります 寒山寺」という風に、寒山寺の名が出て来るらしい。う~ん、蘇州夜曲は二胡で練習したけど、歌わなかったから歌詞は知らなかったぞ。
で、その寒山寺の鐘とは、現在は重さ108トンにおよぶ大鐘で、世界最大の仏鐘としてギネスブック入りしているらしい。

さて、前置きが長くなったが、こちらがお寺の入口。電光掲示があるところが、日本のお寺にはないところだな。

向かい側のお土産物屋っぽい風景。味のあるたたずまい。

境内にトレーニングウェア集団が・・・。ちょっと体操部時代を思い出す。

これが例の大鐘を収めたお堂。

で・・・でかい! でもそれ以上に驚いたのは、そこに浮き出た文字の数。なんと7万字。法華経が書かれているのだ。
方広寺の鐘も法華経にしとけば、家康にイチャモンつけられないで済んだのにね・・と余計なことを考える。

お経に下に、素敵な天女が彫られていたりする。

そんな大鐘を撞く槌も立派なもの。

実際、撞いてみたいもんだが、今日の受付は終了とか。

厚さも超分厚い。

手の大きさと比べてみる・・手の平よりも分厚い。

寒山寺の鐘は昔からこんなにデカかったわけではない。この鐘は2005年出来上がったものだが、それ以前の鐘は代々こんな形だという。

で、冒頭に書いた、唐代の張継の七言絶句「楓橋夜泊」も石碑になってて、これも世界一の石碑なんだと。
月落烏啼霜満天、 月(つき)落(お)ち烏(からす)啼(な)きて霜(しも)天(てん)に満(み)つ
江楓漁火対愁眠。 江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対(たい)す
姑蘇城外寒山寺、 姑蘇(こそ)城外(じょうがい)の寒山寺(かんざんじ)
夜半鐘聲到客船。 夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る
月は西に落ちて闇のなかにカラスの鳴く声が聞こえ、厳しい霜の気配は天いっぱいに満ちている。
運河沿いに繁る楓と点々と灯る川のいさり火の光が、旅の愁いの浅い眠りにチラチラかすめる。
そのとき姑蘇の町はずれの寒山寺から、夜半を知らせる鐘の音が、私の乗る船にまで聞こえてきた。
・・・・という、しみじみとした情景を表した詩なのだが、こんなデカい石碑になっていると、あまり「しみじみ」感が伝わってこないのだが、・・まぁいいか。

お、あちらには、なんか日本の五重塔とシルエットの似た塔があるぞ・・と思って近づいてみると・・

やっぱり、日本の五重の塔とは何となく雰囲気が違うのであった。
この日11月17日は、塔を4つ見たのであるが、全部形が違うので面白いと思った。