さぶりんブログ

音楽が大好きなさぶりんが、自作イラストや怪しい楽器、本や映画の感想、花と電車の追っかけ記録などをランダムに載せています。

シェーンブルン宮殿

2010-06-07 23:03:07 | ただの日記
ウィーンといえばシェーンブルン宮殿・・・ここにはやはりもう一度行っておきたい・・という願いがかない、5月25日の午前中は、バスの全体行動でシェーンブルン宮殿下車観光!

冒頭の写真は、前日ウィーンに着いた時に、バスの窓から撮ったものであるが、シェーンブルン宮殿は一度敷地に入ってしまうと、全体をカメラに収めるのは大変なので、ガラス越しではあるが、敢えて冒頭に掲げておこう。


・・・というのも、楽しみにしてたシェーンブルン宮殿前でバスを降りたら、折悪しく大粒の雨が降ってきて、最初の写真は傘を持った人だらけだったのよ。



でも、ここ数日、南ドイツ~オーストリアを旅行していて如実に感じるのは、天気が非常に変わりやすいこと。ドイツ語のテキストに、ベートーベンの「田園」のように、いきなり激しい嵐がきたかと思うと、うそのように晴れ上がり・・・というのがドイツの気候だなんて書いてあったけども、まさにその通りだなあと思う。

先ほどの雨も、宮殿の入口にたどり着くまで(5~10分程度か)の間にはほぼ上がっており、傘を開けた人達は、そのまま傘を日傘代わりにつかって、傘を乾かすという作戦に出ているほどだった。



宮殿の中に入ったら撮影禁止だが、入口を入って少し立ったところで、現地ガイドさんがいきなり「みなさん、ラッキーです」と言うではないか。何かと思ったら、庭園を見学できる時間は限られており、今がその時間だが5分で帰ってこなければならない。ちょうど晴れてるし、いいチャンスだ、と言うのである。

ということで慌てて庭園に出たら、うそのような晴れっぷり。こういうのノー天気っていうのかなあ(冗)。


庭園の一番向こうにそびえているのは「グロリエッテ」というもので、1757年にマリアテレジアがプロイセン戦勝利を祝い、戦没者慰霊の意を込めて建設したものだという。また手前の白い彫刻群は「ネプチューンの噴水」と呼ばれるものだが、みんなで記念撮影をした上で、5分で戻れなどと言われれば、ゆっくり観察している余裕もない。



庭園側から見た宮殿の建物も、入口から見た光景と似たようなものではあるが、若干庭園側の方が彫刻群が豊かに配置されているような気がするなあ。

シェーンブルン宮殿は、1693年にレオポルト1世が、オスマントルコによる破壊の跡地に、狩猟用の館を建てたことからはじまっている。このことを聞くと、ヴェルサイユ宮殿が、1623年に同じく狩猟用の館としてルイ13世によって建てられたという話を思い出さざるを得ないが。窓枠・壁・屋根・あらゆるところに見ごたえのある彫刻があふれていたヴェルサイユ宮殿を見た目でシェーンブルン宮殿を見ると、どうしても小じんまりと、質素なものに見えてしまう。「ヴェルサイユ宮殿をしのぐ宮殿」を目指していたにしてはちょっと悲しいが、為政者たるもの宮殿ばかり立派にしても仕方が無い。


でもこのマリアテレジア・イエローと称される黄色い色は絶妙な色使いだ。当初金を塗ろうという話があったところを、マリア・テレジアが財政の状況を考慮して黄金に近い黄色にしたと言われるが、それは大英断だ。遠くから見れば金色に見えるし、本当の金色よりも目に優しいので、上品で癒される景観になっている。ヴェルサイユ宮殿とはまた違った魅力を発揮していると思う。

宮殿の中は1441室あり、ロココ調の内装が施されている(残念ながら撮影禁止)。有名な大ギャラリーと呼ばれる「ウィーン会議」にも使われた大広間は半分修復中。だが本来の天井画デザインを実物大に印刷したもので修復部分を覆っており、作業スペース分だけ下がってはいるものの、規模感やイメージをなるべく損なわないように、見学者に配慮した工夫がなされていた。

マリアテレジアは当時としては珍しく恋愛結婚で、夫君のフランツ・シュテファンは財布の紐が固く、締まり屋であったことから、夫婦仲が良かっただけでなくバランス的に見てもよい夫婦であったと言われる。しかし夫フランツの方が早く亡くなってしまったので、マリアテレジアはその後15年間も喪服で過ごしたという。夫フランツを偲ぶ部屋は「漆の間」と呼ばれ、濃茶と金を基調とした非常なシックな部屋で、きらびやかな宮殿の中において、見る者に異色な印象を与える部屋であった。

なお厳粛な雰囲気の宮殿の中で、一箇所「目と足で遊べる部屋」とガイドさんが呼んでいる部屋があった。それは最後の神聖ローマ皇帝フランツ2世の肖像画。この人の肖像画の目を見つめながら右へ動いていくと、途中でフランツ2世の瞳もぎょろっと右へ動いてまるで自分を見ているかのように錯覚するのだ。こんどはフランツ2世の左足のつま先を見ながら左に動くと、横を向いてたはずのつま先が正面を向いているように見えるという不思議な現象が起こる。たぶん騙し絵なのだと思うが、どうやって描いたのかと興味津々。

この神聖ローマ帝国フランツ2世は、ナポレオンがライン同盟(フランスの属国)を組成し、神聖ローマ帝国が解体に追い込まれる直前の1804年にオーストリア皇帝フランツ1世を名乗ることで、1806年に神聖ローマ皇帝位を放棄しても、その後オーストリア皇帝として生き延びることが出来た人だ。質素な人で国民からも親しまれた人だというが、このような騙し絵が残っているところを見ると、さぞかしそうであったろうと推測されるのである。



さて名残惜しいがあとの予定が控えているので、シェーンブルン宮殿を後にする。ここで絶対トイレに行っておくようにと言われ、長蛇の列に並んだこともあり、お土産等を物色する時間はなかった。帰り際に撮った写真を並べてみよう。この彫像も見ごたえがある。



入口にそびえる二本の柱の上も撮ってみた。



宮殿の前の、道路を挟んだ向こう側に、スフィンクスのようなものが並んでいる。うらやましいほどの色っぽさである。
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