
武田 好 (著)/すばる舎
朝の通勤時間帯の外国語聞き流しタイムはとりあえずまだ続いている。
このたびは、「イタリア語をはじめよう!」という本をとりあえず通読した。
近所の本屋で「〇〇〇〇語をはじめよう!」シリーズを見つけて、イタリア語・フランス語・ドイツ語の3冊を買って来た。表紙のデザインの良さに惹かれたのと、会話と文法がバランスよく載っているように見えたから。
聞き流しだと、会話はすらすら聞き流せるが、基本が身につかない。かといって文法中心になると格変化が難しくて全然進まなくなってしまうのだ。
この「イタリア語をはじめよう!」は、ちょうど半々入っているように見えたので、よいなぁと思ったのだが、実際聞き始めてみると、文法編(第4章)はCDに入っていないのだった。なので第4章に行ってから挫折しないように、第3章をやりながら、毎日少しずつ第4章を読み進むやり方でクリアした。
・・・・とはいえ、あまり頭に入ってないんだよなぁ。なかなか盛り沢山な教本で、重要表現のカバー率はかなり高いと思われるのだが、何せ私の頭が悪いもんで。
こんだけしか書かないと、ただの記録になってしまうので、内容について1つぐらいコメントしておこう。
そうそう、イタリア語のArrivederciといい、ドイツ語のAuf Wiedersehenといい、なんで「さようなら」1つにこんなに口を動かすの?って言いたくなるよね。「さようなら」なんて基本挨拶用語なのに、こんなに難しくっちゃ覚えられないよ、だからくだけてくるとみんなCiaoとかTschüsとかに逃げるのだ・・・などと思っていたのである。
だが、イタリア語の「Arrivederci(アリベデルチ)」を分解すると、<a+revedere+ci>(~に+再び会う+お互いに)となるので、つまりは「またお会いする時まで」という意味になるのだということをこの本で知って、納得した。暗号のような言葉が意味を持った瞬間だ。
ついでに、同じく長たらしく感じたドイツ語のAuf Wiedersehenについてもサイト検索で調べてみたら、Auf(アウフ)は、“将来を期待する”、Wiedersehen(ヴィーダーゼーエン)は、“再会”という意味なので、再会を期してという意味だと認識した。
フランス語のau revoir(オ・ルボアー)なんかも同じ発想なのに随分すっきりしてるな。英語のsee youなんかもっと。イタリア人と、ドイツ人は別れる時に口数が多くなるわけね。
で、こうなると超気になってきたのは、日本語の「さようなら」について。語源由来事典を見てみたら「左様ならば」の「ば」が略された形だとか。「じゃ、そういうことで」・・みたいな感じかな。今も知り合いにメールを打つ時なんか、末尾を「それでは」で閉じるのと同じか。要は、本来は「さようなら(ば)、また会いましょう」とか「それでは、また会う日まで」と言うべきものを、最初のところしか言っていないわけか。私見だが、これには日本人的な「照れ」があると見た。
そっかー、別れ際に言葉を尽くすイタリア人とドイツ人、言葉を全部は言わない日本人・・・よく同盟できたね(冗)。
朝の通勤時間帯の外国語聞き流しタイムはとりあえずまだ続いている。
このたびは、「イタリア語をはじめよう!」という本をとりあえず通読した。
近所の本屋で「〇〇〇〇語をはじめよう!」シリーズを見つけて、イタリア語・フランス語・ドイツ語の3冊を買って来た。表紙のデザインの良さに惹かれたのと、会話と文法がバランスよく載っているように見えたから。
聞き流しだと、会話はすらすら聞き流せるが、基本が身につかない。かといって文法中心になると格変化が難しくて全然進まなくなってしまうのだ。
この「イタリア語をはじめよう!」は、ちょうど半々入っているように見えたので、よいなぁと思ったのだが、実際聞き始めてみると、文法編(第4章)はCDに入っていないのだった。なので第4章に行ってから挫折しないように、第3章をやりながら、毎日少しずつ第4章を読み進むやり方でクリアした。
・・・・とはいえ、あまり頭に入ってないんだよなぁ。なかなか盛り沢山な教本で、重要表現のカバー率はかなり高いと思われるのだが、何せ私の頭が悪いもんで。
こんだけしか書かないと、ただの記録になってしまうので、内容について1つぐらいコメントしておこう。
そうそう、イタリア語のArrivederciといい、ドイツ語のAuf Wiedersehenといい、なんで「さようなら」1つにこんなに口を動かすの?って言いたくなるよね。「さようなら」なんて基本挨拶用語なのに、こんなに難しくっちゃ覚えられないよ、だからくだけてくるとみんなCiaoとかTschüsとかに逃げるのだ・・・などと思っていたのである。
だが、イタリア語の「Arrivederci(アリベデルチ)」を分解すると、<a+revedere+ci>(~に+再び会う+お互いに)となるので、つまりは「またお会いする時まで」という意味になるのだということをこの本で知って、納得した。暗号のような言葉が意味を持った瞬間だ。
ついでに、同じく長たらしく感じたドイツ語のAuf Wiedersehenについてもサイト検索で調べてみたら、Auf(アウフ)は、“将来を期待する”、Wiedersehen(ヴィーダーゼーエン)は、“再会”という意味なので、再会を期してという意味だと認識した。
フランス語のau revoir(オ・ルボアー)なんかも同じ発想なのに随分すっきりしてるな。英語のsee youなんかもっと。イタリア人と、ドイツ人は別れる時に口数が多くなるわけね。
で、こうなると超気になってきたのは、日本語の「さようなら」について。語源由来事典を見てみたら「左様ならば」の「ば」が略された形だとか。「じゃ、そういうことで」・・みたいな感じかな。今も知り合いにメールを打つ時なんか、末尾を「それでは」で閉じるのと同じか。要は、本来は「さようなら(ば)、また会いましょう」とか「それでは、また会う日まで」と言うべきものを、最初のところしか言っていないわけか。私見だが、これには日本人的な「照れ」があると見た。
そっかー、別れ際に言葉を尽くすイタリア人とドイツ人、言葉を全部は言わない日本人・・・よく同盟できたね(冗)。
日本人なら、その後は状況に合わせて解釈してくれるからと。
失礼します
ありがとう
ごめんなさい
いただきます
ごちそうさま
しかも、どーもバカヤローはありませんから安心して使えるとも。
さらに分解すると
Auf+wieder+sehen:(未来の時に)+再び+見る(会う)
Au re+voir:(その時に)+再び+見る(会う)
なんですよね。
英語のSee you は本来はSee you againだったら同じ意味にですよね。
ついでに中国語も「再見」じゃないですか。
ちなみにドイツ語も「Auf」は軽く発音しちゃうので、別に口数が多いとは思わないなあ~ 確かにTschuessの方が楽だけど。
予想通りの語学に堪能なみなさまからコメントをいただいたのに、私自身がバテててコメントを返せずに申し訳ございません。
やはりどこの国の人も、別れるときは、また会うこと前提の挨拶にするのがふつうの会話なわけですね。
再見・・・は短くていいなぁ。