藤森照信/ちくまプリマー新書
この本も面白かった。欲を言えばもう少し図や写真があれば・・と思うところもあったが、建築にそこまで知識のない私でも、通読できる読みやすい本だった。
目からウロコなことも色々あった。
例えば私が以前トルコのペルガモンに行った時、下のようなトラヤヌス神殿の絵を描いているが、描きながら気づくのは、柱に比較的等間隔に継ぎ目があること。柱はブロック状になっていて間をダボといわれる木の棒でつないでいることは別の本を読んで知っていた。だがなぜあえてそのような作りにしてあるのか・・。
まぁ、こうした建築物のおおもとはパルテノン神殿だが、パルテノン神殿はもともと木造だったというのである。木造の柱は土に埋まっているところから腐りやすい。木が豊富な土地なら新たな木に取り替えれば良いが、木を切り尽くしてしまった彼らは、腐った部分から少しずつ石に取り替えていった・・というのである。ずいぶん根気のいる話だと思うが、なぜ継ぎ目が入っているか、なぜ木の幹のような縦線の模様が入っているかについては説明のつく話だと思った。
また、古代日本はなぜ前方後円墳のような、巨大ながらも平べったい墳丘しか作れなかったのかというと、当時良い石材に乏しく、石工の技術も未熟で、日干し煉瓦もできないから、巨大な墳丘を作ろうとすると、平べったく作るしかなかったのだと。。。なるほど。
西洋建築の方は、ギリシャ・ローマに始まり、プレロマネスク→ロマネスク→ゴシック→晩期ゴシックの流れが一旦終わり、またギリシャ・ローマに回帰してルネッサンス→マニエリズム→バロック→ロココの流れが埋まれる。そこで一旦止まって、また古代回帰的な新古典主義が生まれたりしている。要するに何回か断絶しているように見えるのだ。
対する日本建築の方は、竪穴式→高床式→寝殿造→書院造→茶室→数寄屋造と連綿と続き、前の時代のものと共存しながら進展してきた。江戸時代の初めに書院造、数寄屋造、茶室の三スタイルが出揃うと、この三スタイルで日本家屋は作られ続け、現在も日本の伝統的な住宅といえばこの三つのどれかに当てはまるとか。
私の大好きな竪穴式住居についてもページが割かれていた。日本最古の竪穴式住居は鹿児島の上野原遺跡にあるそうだが、そこにある竪穴式住居は教科書などによく描かれているものと異なり、ずいぶん丸っこくて球状に見える。同じ竪穴式住居でも南のものと北のものは異なるし、土葺であまり柱の高くないものもある。竪穴式住居の中で一家団欒というよりは、通常は外で活動し、夜や悪天候の時だけ籠るような使い方がなされていたようだ。円形が四角になり、壁が徐々にせり上がってきて日本家屋につながっていると考えられているが、壁の高さが低い・・つまり後代の日本家屋と竪穴式住居の中間のようなものも現存しているようだ。とても興味深い。