Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

デビッド・アーノルド/007 慰めの報酬

2009年10月09日 10時17分22秒 | サウンドトラック
 映画の方はしばらく前に観たが、今回はそのサントラの方を聴いてみた。担当は相変わらずデビッド・アーノルド、彼は007シリーズも「トゥモロー・ネバー・ダイ」から早くも5本目、もう実質的にジョン・バリーの後継者、007シリーズにおける音楽の顔になったといってもいいと思う。ブロスナンの頃の作品は、ジョン・バリーへのオマージュみたいなところが散見したものだけれど、「カジノロワイヤル」以降は映画の設定上、「007が未だ出来上がっていない」こともあり、例のテーマがそれほど派手に使わないコンセプトなのか、アーノルドの持っている「素の音楽」がよく出ている音楽になっていて、期せずしてバリーとは違ったセンスが明らかになってきている点は見過ごせない。

 さて、今回の作品だが、映画そのものが前作の続編なので、音楽の方も暗くて重厚、そしてかなりギラギラとしたアシッドなムードが全編をおおっていて、ほぼ前作の雰囲気を引き継いでいるといってもいい。ダンサンブルなアシッド・テクノ的な曲としては1曲目「タイム・トゥ・ゲット・アウト」や17曲目「ターゲット・ターミネイテッド 」あたりが、いつもの彼らしい仕上がり。一方、静かなバラード系作品というと、アーノルドはこれまでいくつかそうしたテーマを作っているのだけれど、12曲目「ワッツ・キーピング・ユー・アウェイク」、あとアンビエントみたいな18曲目「カミールズ・ストーリー 」がしっとりしてて楽しめる。全体としてはこれらの曲を両極として、シンフォニックなオーケストラとテクノ、アンビエント風なシンセとエスニックなリズムとか、アーノルドらしい音楽、音響が満載である。これで1つ2つくらい「これだっ!」って曲があると、更にいうことなしなのだが....。

 ちなみに今回の主題歌はアリシア・キーズ、アメリカのR&B系の女性シンガーでこういうところに引っ張り出されるくらいだから、かなりの売れっ子なのだろう。この人にジャック・ホワイトというガレージ系のギタリストがプロデュースやギターでコラボしているという形で、ガレージ系ロックに黒っぽい女性ボーカルがのるという音楽、アーノルド自身はこの曲の製作には関わっていなようだけど、出来上がった音楽のゴツゴツとして、ギラっとした手触りはいかにもアーノルド好みだ。でも、そろそろ「ノーバディ・ダス・イット・ベター」や「オールタイム・ハイ」みたいなバラードを復活してもいい頃ではないか?。
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台風の後

2009年10月08日 23時23分25秒 | others
 大型の台風18号が日本各地に様々な影響をもたらしているようだけれど、私の住んでいる関東にもっとも接近したのが本日の昼前くらいだった。こういう日であれば、下手に外にでるより、コンクリートの要塞に守られてオフィス内で事務作業でもしているのが一番なのだが、私といえば船橋市内の飯山満というところに赴く予定が入っていた。仕事とはいえ、なんとも不運である。11時くらいに職場を出たのだが、まさに台風まっただ中だったのだろう。雨は大したことなかったが、なにしろ風がすさまじい(当たり前か-笑)、体重過多な私でさえ飛ばされそうである。

 おまけにこの風のせいで軒並みJRは運休。私が乗る予定になっていた京成はなんとか運転を続けていたせいで、その乗客が大挙してそちらに押しかけたのと、いつもの昼間なら割と閑散としている京成のホームも人が今日ばかりは人がびっしり、電車内はすし詰め状態という有様であった。間引き運転をしているせいもあって、電車は不断に止まり、いつもなら15分くらい付いてしまう津田沼駅まで1時間はかかるという、ほとんど最悪なパターンにはまってしまった。目的地まで実に2時間くらいかかったのではないだろうか、結局昼飯は食べれずじまいで、そのまま仕事に突入し、帰途についたのは3時半くらいだったように思う。外に出てみると、風はあいかわらず凄い勢いだったが、空はすっかり晴れ上がっていた。

 ちなみに、写真は帰り道、東葉高速の飯山満駅から空をとったものである。飯山満駅は数年前から何度か訪れているが、いろいろな理由で駅前の開発が止まっていたらしく、飯山満駅前といえば一面沼沢地みたいなイメージしかなかったが、最近、ようやく開発も再開されたようで、多少駅前も整備されてきたようだ。とはいっても、相変わらず駅前に何もないというロケーションは同じなので、この通り駅前にいながら、まるごと空の写真がとれたりする(笑)。ちなみにこの駅、みーすけという野良猫がたまに駅の付近に顔をだすのが名物になっているらしいが、私はまだ一度も遭遇したことがない。
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FINAL FANTASY XIII on PS3

2009年10月07日 23時44分24秒 | GAME
 PS3のゲームソフトといえば、やはり真打ちとなるのがこの「FINAL FANTASY 13」だろうか。FFならオンゲーの「FINAL FANTASY 11」は今でも毎日のように遊んでいるのだけれど、その次の「FINAL FANTASY 12」は、購入して始めてみたはいいが、ストーリー的にあまり盛り上がりそうもないし、登場人物もヤンキーの兄ちゃん、姉ちゃんみたいなキャラばっかなのが災いして(笑)、結局、前半くらいで頓挫したままになってしまった。そもそも自宅ではPS2本体を部屋から撤去してしまい、押し入れに放り込んでしまったので、おそらく、今後「12」の方はやることもないんじゃないだろうか。まぁ、酷な言い方だけど、FFシリーズにしては、この「12」は思いの外惹きつけられるところが無かったというか、所詮その程度のゲームだったんだと思う(まぁ、「10-2」のような嫌悪感を感じることもなかったけれど-笑)。

 さて、この「13」だが、先日PS3から公式サイトに行ってトレイラーを観てきたところだが、さすがに画面は美麗そのものである。精緻なディテールに支えられたパースペクティブ、なめめらかなアクション、髪の毛のゆらぎなどど、さすがにゲーム機としてはもはやオーバースペックといわれたキカイだけのことはあるという感じだ。おそらく、現行最新スペックのPCでやるゲームに匹敵するパフォーマンス、クウォリティなんだろうと思う(そういうゲームはショップのデモ画面しかみたことないから、よく分からないけれど-笑)。もっとも、観ることの出来たシーンの大半はムービーだから、プレイ画面になると大分割り引く必要があるかもしれないけれと、それにしたってこれはPS2のクウォリティとは別次元であることは間違いない。

 そうなると、やはり問題はゲームとしてのおもしろさ、そしてFFなら映画的なストーリーがどう盛り上がるかみたいな点になるのだろう。トレイラーを観ると、今度は「10」的なドラマチックな悲愴感がありそうだし、「10-2」や「12」の能天気なところはあんまりなさそうなので、今度は期待できるかな....という気もしている。12月中旬発売のようだが、その頃には前項の「スターオーシャン4」も出ているだろうし、PS3も発売して数年にして、ようやっとゲーム機として盛り上がって来るか....といったところだろうか。
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STAR OCEAN on PS3

2009年10月06日 23時51分03秒 | GAME
 「スターオーシャン」といえば忘れられないゲームのひとつだ。確か2003年の暮れだったか、ひょんなことから久しぶりにゲームでやってみようと思い、当時既に十分に成熟商品となっていたPS2を購入して、一緒に購入してきたのが、当時発売されていた「スターオーシャン3」だったのである。以前にも書いたことがあるけれど、当時の私はもう何年もゲームとは縁が切れていたので、「スターオーシャン3」の美麗なムービーを随所に取り入れたストーリーを重視のゲーム展開、いたれりつくせりのインターフェイスといった部分で、ゲームというメディアの様変わりぶりにずいぶんと驚いたものだった。

 ゲーム自体もSF的な舞台設定をしながらも、前半~中盤はスタンダードな中世風王道RPG、後半未来が舞台になったSF仕立てという、普通のRPGでいったら2本分はあろうかという盛りだくさんな内容だったし、個性豊かで魅力的な女性陣のキャラに比べ(釈由美子が演じたら似合いそうなネルとか良かったな)、主人公の男はなんだかひたすら右往左往しつつ、やがて「マトリックス」風に自らの創造主と対決するという展開になだれ込んでいく筋書きも新鮮で、今から思えば「久々に今時なゲームを体感する」にはいいゲームだったように思う。
 そんな訳で、私は「スターオーシャン」というゲームにけっこう良い印象を持っているので、確か去年の夏くらいに「スターオーシャン」の一番最初のものがPSP用にリメイクされた時もすぐに購入したりもしているのだが(自宅でPSPの小さな画面と対峙する気になれなくて、現在放置中)、肝心の「スターオーシャン3」に続く「4」の後続はずっと出ず仕舞い、「スタオーは3で打ち止めなのかいな?」と思っていたところで、今年の前半だったか、ようやっと「スターオーシャン4」が発売された。

 もっとも今年の前半くらいに出たヴァージョンはXbox用で、そのゲーム機自体を持っていない私としては、まさかこのゲームのためにXboxを買う気にもなれず、涙をのんでいた訳だけれど、どうやらインターナショナル版という形でPS3用にも移植されるらしい。当初は噂レベルの話だったけれど、公式ページにもばっちり出ていることから、近日中に発売されるのだろう。相変わらず優柔不断そう主人公はいかにも「スターオーシャン」という感じだが(笑)、ともあれ、これのおかげでよーやくPS3をゲーム機としてつかえそうだ。PS3のゲームといえば。「Oblivion」というのを購入してみたけれど、キャラ・メイクの段階でそのバタ臭さに辟易してしまい、これまた放置状態にあるから、実質ブルーレイプレイヤーに成り下がっているからなぁ。
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BlogOut in 佐原

2009年10月05日 23時50分02秒 | others
 本日、仕事で佐原というところに行ってきた。千葉から成田線で1時間ちょいくらいのところである。私は生まれも育ちも千葉県なので、佐原という場所は昔からそこそこ馴染みがある。まずは自分が小学生だった頃(まさに「20世紀少年」のあの時代である)、高学年になると行われる校外学習というと、私が住んでいるエリアでは佐原というのが定番の場所であった。国中を踏破して発の日本地図を完成させた伊能忠敬にまつわる記念館だのなんだのを観て、午後からは香取神社というようなルートだったと思うが、とにかくそういうイベントがあった訳だし、20代になってからはひょんなことから、ご当地の花火大会の一端に関わることになったりして、かの地へは何度も赴くことになったのである。

 そういう佐原ではあるが、現在の駅前は光景は寂しい限りである。昔の記憶ではもう少し古き良き小さな観光地らしい多少華やいだムードもあったような気がするのだが、ご多分にもれず、ここでも駅前はシャッターストリート化してしまっていて、早めについたのでコーヒーでも飲もうと駅前をぶらついても、めぼしい店などほとんど絶滅してしまっている風情なのが寂しい。仕事でご一緒した人に聞くと、夏の名物だった花火大会も今では隣接する小見川という町の花火大会に吸収合併されてしまったようで、まさに昔日の面影はいずこ....という感じである。もっとも、大正三年に建てられた煉瓦造の旧三菱銀行のあたりは昔と変わらない感じもしたけれど....。まぁ、本日は雨が降ったりやんだりの曇天で、なんとなく寂しげな風情に拍車をかけていたのかな?。
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20世紀少年 第1章「終わりの始まり」

2009年10月04日 23時39分51秒 | MOVIE
 「20世紀少年」といえば、この夏、三作目にして完結編である「最終章 ぼくらの旗」が公開されたけれど、私の方は本日ようやくにして、第一作の「終わりの始まり」の方を本日観ることができた。私はコミック文化とは小学生の頃に縁が切れている人なので、原作の方は全く読んでいないが、この映画化は大変話題になったこともあり、さすがに情報に疎い私の耳にも届いて興味を持った訳である。
 自分が子供の頃に作った「よげんの書」と通りに世界で事件が起こっていることに気がついた主人公が、それらの事件の首謀者が子供の頃に仲間であったことを突き止め、その首謀者をとりまくカルト教団の陰謀に巻き込まれていく....というストーリーはおもしろそうだし、発端となる少年時代が大阪万博のまっただ中の1970年というのが大いにそそられた。

 さて、本作そのものは三部作の第一部ということもあり、いよいよ謎の男「ともだち」との全面対決が始まったところで、更に「おともだちとは誰なのか」という謎も解明されないまま終わるので、ストーリー的には導入部もいいところなのだが、この作品の場合、前述の通り滑り出しの設定があまりに魅力的なことに加え、やはり1970年当時を子供達の遊びや風俗を再現した回想シーンが実に楽しい。
 なにしろ、私自身が主人公の世代のとぴったりダブるので、子供達の行動、例えば草むらに作った基地、駄菓子屋、ウルトラ警備隊のバッチ、変速機付きの自転車、おかっぱ頭の女のコ、据え置き型の小型ラジオ、平凡パンチ、チープな服装などなど、「あっ、そうそう、こうだったんだよね」みたいな感じで、とても楽しく観ることができたのだ(実際は映画よりもっと小汚くて、貧乏臭かったんだけど-笑)。

 監督は堤幸彦という人、日本映画にうといので全く知らない人だが、全編、テレビ的というか、CM的なテンポの早いカットバックでズンズン進んでいく。自分は大昔の映画ばかり観ているせいもあるだろうが、このテンポの早さ、ワンカットの短さにはちと異様なものすら感じた。出演者では唐沢寿明、豊川悦司、常盤貴子どれも存在感があって好演(そういえば、なんか久しぶりに常盤貴子みたけど、全く老け込んでおらずキレイなのに驚いた。この人時間止まってるね、)。
 あとこの映画、主人公がロック・ミュージシャンくずれという設定なので、ウッドストックだのなんだ話が出てくるし、ニュー・ロック的な音楽が随所に出てくるのだけれど、大阪万博の1970年といったら、日本の風俗的としてはやはり歌謡曲、ロックを世相に取り入れるのは、少し早すぎるたかな....という感はある。なにしろ「20th Century Boy」が日本ではやったの1972,3年頃だろうし。

 ともあれ、この作品、いかにも連続物っぽく、いきなり放り出されたように終わるので、近いうちに次も観てみようと思う。これだけ出だしが魅力的、スケール的にも広げまくった展開にしてしまうと、ありがちな「広げた大風呂敷たたむ者おらず」状態になるんではないかと心配にもなるのだが。
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Olympus C-2020ZOOM (デジタルカメラ)

2009年10月03日 23時35分31秒 | PC+AUDIO

 そこそこ愛用していたオリンパスのC-2000の液晶が割れてしまったことから、確か5,6年前にオークションで購入したもの。これを購入した時点でC-2020は、既に十分に古くなっていたので、確か1万円もしないで手にいれたと思う。全く同じC-2000という選択肢もあったのだが、たまたま職場の備品として置いてあったデジカメがC-2020であり、それを使うにつけて、使い勝手の細かいところが大分改善されているように感じたので、C-2020にしたという訳である。

 以降、このデジカメはオークションの出品用写真の撮影などを中心にけっこう活躍した。なにしろレンズがF2.0と非常に明るいので、室内でフラッシュをたかずに大抵のものが撮影できるのが便利だったし、精細感のようなものをよく表現してくれていたような気もしたので、あんまりそういう機会もなかったが、旅行だの、イベントだので、「ここぞ」という時は、その間にいくつか購入したコンパクト・タイプのものではなく、やはりこれを使ってような気がする。

  ちなみに下の写真は、このC-2020とFinePix Z100fdでとった似たようなショットである。色の濃淡によるてかり感とかシャープさとか、こんな小さく写真でもC-2020の方が遙かにキレイに写っていることがよく分かる。やはりデジカメは画素数じゃないんだよなぁ....と妙に納得してしまう。そういえば、アンプだってワット数で判断できないもんな(笑)。

(C-2020ZOOM)

 

(FinePix Z100fd)

 

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ブラッド・スウェット&ティアーズ3

2009年10月02日 20時50分30秒 | ROCK-POP
 BS&Tの最高傑作といえば、その全活動歴を通じ、第2作「血と涙と汗」というのが衆目の一致するところだろう。第1作と同様、序曲と終曲を額縁に廃したトータル・アルバム的な構成、ジャズを中心に様々な音楽要素を取り込みつつも、実験や前衛ではなく、もはやAOR的といいたいような完成度でもって音楽を仕上げているところ(秀逸なアレンジというべきか)、「スピニング・ホイール」や「ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ヴェリー・ハッピー」といった大ヒットナンバーを擁している点、デビッド・クレイトン・トーマスという類い希なロック・ボーカリストが生き生きと躍動して、ロック的なダイナミズムが横溢している点などなど、確かにアルバムは歴史的なロック・ヴィンテージ・アルバムとして非常に良質なアルバムだと思う。

 じゃぁ、BS&Tは「血と涙と汗」しかないのか。他のアルバムは全て大したことのない作品なのかといえば、そうでもないと思う。確かにここでしばらく取り上げてきたジェリー・フィッシャーをフィーチャーしたアルバム群は大傑作というほどのものではないと思うが、少なくとも第4作目まではどれも傑作たり得る作品だ。ことに「血と涙と汗」の余勢をかりて制作された本作は、前作にかなり肉薄する仕上がりだと思う。前述のとおりBS&Tは前作でバンド自体はほぼ完璧に完成され尽くしており、このアルバムでは取り入れる音楽の幅を更に拡張し、ダイナミックな振幅をより強調した方向で制作された思われる。つまり全体としては前作に比べ、より多彩でスケールの大きな作品に仕上がっているのだ。

 アルバムは、冒頭に収録されたゴスペル風な「ハイ・デ・ホー」、中世的な「ザ・バトル」「4万人の頭目」、シンガー・ソング・ライター風な「ファイアー・アンド・レイン」、「悲しきスージー」、「ヒー・イズ・ア・ランナー」といった一見BS&Tらしからぬ曲も味わい深いが(これらの楽曲は結果的に次作への伏線となる、今の視点で聴くとこちらの楽曲群の方がむしろ良かったりする)、ロックとジャズの狹をダイナミックに行き交う「マック・イヴィル」、「マック・イヴィビル変奏曲」のメドレーは前作以上にBS&Tらしさを感じさせるし、「サムシン・カミン・オン」は、前作の「微笑みの研究」でみせたジャズとロックのハイブリッド感覚をさらに拡張したような仕上がりで、途中フリー・ジャズ的なインプロを経て、オルガン・ソロからテーマに収束していくプロセスは筆舌に尽くしがたいスリリングさがある。まさに秀逸という他はない。

 ついでに書けば、「悪魔によせる交響楽/悪魔を憐れむ歌」は、このアルバムの本当の目玉かもしれない。元はストーンズの有名曲だが、初期のプロコやバルトークを思わせるバーバリックなダイナミズムにラテン・ジャズ的な要素を苦もなく合体させ、全体を異様なスケール感で仕立てた異色作だ。この曲に盛り込まれた音楽的な情報量の豊富さ、アレンジの見事さは尋常ではなく(英国のバンドであればこれだけの素材があれば20分はかけて演奏することだろう)、このバンドの音楽的な懐の広さを見せつけた曲といえる。
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Olympus C-2000ZOOM (デジタルカメラ)

2009年10月01日 23時22分28秒 | PC+AUDIO
 これは初代サイバーショットを購入してから、約三年後の2000年1月に購入したものである。当時のデジカメのデジタル的スペックの向上はまさに日進月歩、わずか三年の間にデジカメはフィルム・カメラにかわる位置に躍り出ていった時期で、カシオやソニーだけでなく、カメラの専業メーカーも次々にデジカメを投入して、まさに家電普及期特有の百花繚乱の状態を呈していたと思う。
 自分がどうしてこの機種を選んだのか、実にはあまり記憶にないのだが、レンズがF2.0、光学式の3倍ズーム機能を備えた、-当時としては-デジカメというよりフィルムカメラ的な風情に惹かれたのだろう。また、当然の如く記録は内蔵ではなくスマートメディアだったりして、パソコンへの取り込みも簡単そう、更にいえば単三のアルカリ電池4本で稼働することもの理由だったかもしれない。

 ともあれ、この機種はその本格的にカメラした風貌からもわかるとおり、どちらかといえばボタン押すだけのお手軽デジカメではなく、「あれこれマニュアルで設定して、よりキレイな写真を撮る」ことを主眼においたカメラであることは明らかだった(シャッター優先、露出優先のダイアルが誇らしげに右上に設置されていた)。たぶん、自分のそのつもり満々で購入してきたのだと思う(つまり今の自分と同じ心境であった訳だ-笑)。
 ところが、このカメラ基本性能が高いせいだったのか、デジカメの進歩故なのかはよくわからないけれど、ボタン押すだけで-それこそ初代サイバーショットなどとは比べものならないくらいに-キレイな写真が撮れてしまったことで、なんとなく満足してしまったのだろう。取説はほとんど読まずに、つまり設定などついぞいじくることなく、このカメラはたんなるお気軽カメラになってしまったのだった。

 そうなると、気になるのはこのカメラの大きさである。旅行などで撮る気満々で携行するならいざしらず、常時、バッグに入れるにはあまりに分厚く、かさばるサイズであったので、もっとコンパクトなデジカメが欲しくなるのは人情というもの。この機種はこれでいいが、もっと小さなデジカメが欲しいと思い始めるのは時間の問題であった。そこでまたあれこれ物色することになる。思えば、ミレニアムとか世間が賑わっている頃、日頃写真とは縁遠い人達でも、デジカメにあれこれ煩悩している人は実に多かった。そういう時代だったのである。
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