人間として生まれながらにして持つ<欲>はどうしようもありません。
その欲の中に見栄・世間体・プライドもあります。
然るに私は正しいの思い思い込み・自惚れ慢心もあります。
だからそれが不信感にもつながっています。
その不信感の裏には己の自信の無さがあります。
然るに不信感と自信の無さからして、己が虚しくも・わびしくも・哀れにも思え・イラつくことにもなり、
しかも自信の無さからして世間に馴染めなくなり、その対人関係が気になり苦手にもなり、それが劣等感にもなり、それが度を越せば引きこもりや不登校にもなり、さらに憂鬱・ウツの精神疾患にもなり、リストカット・自殺願望にもなります。
また不信感からして神仏・他力にすがることが無ければ・・・尚更に己の居場所・生き場所を見失ったような感覚・孤独感にもなります。
しかも世間に馴染めないことからして働く仕事も少なく貧乏になり、それが宿無しフリーター・ニート・ホームレスともなっています。
またそれが青い鳥探し・自分探しの流浪の旅にもなっている人もいます。
と言うことはこの世人間関係に馴染んで己の能力を発揮して世間に目立って忙しくしている人よりも、世間の片隅で暇している人のほうがその分だけ精神的な学びが多いことにもなります。
ちなみに己の能力の中に・・・超能力・霊力・念力・手かざしの類を持つ人もいますが・・・
私の此れまでの見聞経験知識からして言えば・・・己の知っていることをただ言うだけ、知ったかぶりで聞かせるだけ、そして己の能力を見せつけるだけで、不満と欲も見栄も不信感・偽善もしっかり持っています。
然るに私たち以上の能力からして・・・私たち以上の偽善者なのです。
しかも私が見た限りでは孤独感も相当あるようです。
だから己の中の矛盾偽善からしての虚しさ寂しさ孤独感からして逆に大勢の人を集めて壇上に立ち自分を見せつけて満足し自惚れ慢心していたいようです。
だから常に人様・信者意識の人たちに憧れ羨まれ囲まれた存在を好んで喜んでいるようです。
ちなみに(私の場合)孤独の自由にして自分の思い通りに生きているだけに・・・なのに周りの人様に気を使ったり、また気を使われたりするのも、何だか厄介でうっとおしくも面倒臭くも思えるものです。
とにかく神仏霊魂に頼りたがる人・信者意識の人はそれだけ自信自力が無いのは事実です。
またそれだけに・孤独感からして人が集まるところや同じ仲間のところへわざわざ出掛けることにもなっています。
何はともあれ(どんなに優れたお偉い方であっても)己の矛盾偽善意識をどうすることもできない事実があるのに、何で自らが先んじて人様のことに係りたくなるのでしょうか・・・
然るに良い子ぶって・善人ぶって世間や仲間に目立ちたいのです。
となれば個人意識丸出しでもって独自独歩にして自分のために・自分の精神のために生きている人のほうが賢い選択になります。
何はともあれ自らが精神世界に係るからには完全真理をマスターしこの世人間関係の矛盾偽善を見極め、余計なこと無駄なことをしないままの静寂にして心穏やかに生きる「精神の安定」が絶対的に必要になるのです。
その欲の中に見栄・世間体・プライドもあります。
然るに私は正しいの思い思い込み・自惚れ慢心もあります。
だからそれが不信感にもつながっています。
その不信感の裏には己の自信の無さがあります。
然るに不信感と自信の無さからして、己が虚しくも・わびしくも・哀れにも思え・イラつくことにもなり、
しかも自信の無さからして世間に馴染めなくなり、その対人関係が気になり苦手にもなり、それが劣等感にもなり、それが度を越せば引きこもりや不登校にもなり、さらに憂鬱・ウツの精神疾患にもなり、リストカット・自殺願望にもなります。
また不信感からして神仏・他力にすがることが無ければ・・・尚更に己の居場所・生き場所を見失ったような感覚・孤独感にもなります。
しかも世間に馴染めないことからして働く仕事も少なく貧乏になり、それが宿無しフリーター・ニート・ホームレスともなっています。
またそれが青い鳥探し・自分探しの流浪の旅にもなっている人もいます。
と言うことはこの世人間関係に馴染んで己の能力を発揮して世間に目立って忙しくしている人よりも、世間の片隅で暇している人のほうがその分だけ精神的な学びが多いことにもなります。
ちなみに己の能力の中に・・・超能力・霊力・念力・手かざしの類を持つ人もいますが・・・
私の此れまでの見聞経験知識からして言えば・・・己の知っていることをただ言うだけ、知ったかぶりで聞かせるだけ、そして己の能力を見せつけるだけで、不満と欲も見栄も不信感・偽善もしっかり持っています。
然るに私たち以上の能力からして・・・私たち以上の偽善者なのです。
しかも私が見た限りでは孤独感も相当あるようです。
だから己の中の矛盾偽善からしての虚しさ寂しさ孤独感からして逆に大勢の人を集めて壇上に立ち自分を見せつけて満足し自惚れ慢心していたいようです。
だから常に人様・信者意識の人たちに憧れ羨まれ囲まれた存在を好んで喜んでいるようです。
ちなみに(私の場合)孤独の自由にして自分の思い通りに生きているだけに・・・なのに周りの人様に気を使ったり、また気を使われたりするのも、何だか厄介でうっとおしくも面倒臭くも思えるものです。
とにかく神仏霊魂に頼りたがる人・信者意識の人はそれだけ自信自力が無いのは事実です。
またそれだけに・孤独感からして人が集まるところや同じ仲間のところへわざわざ出掛けることにもなっています。
何はともあれ(どんなに優れたお偉い方であっても)己の矛盾偽善意識をどうすることもできない事実があるのに、何で自らが先んじて人様のことに係りたくなるのでしょうか・・・
然るに良い子ぶって・善人ぶって世間や仲間に目立ちたいのです。
となれば個人意識丸出しでもって独自独歩にして自分のために・自分の精神のために生きている人のほうが賢い選択になります。
何はともあれ自らが精神世界に係るからには完全真理をマスターしこの世人間関係の矛盾偽善を見極め、余計なこと無駄なことをしないままの静寂にして心穏やかに生きる「精神の安定」が絶対的に必要になるのです。